気候変動・人口推移・今後の地震災害により、これまでの右肩上がりの防災が不可能になる。片田(2020)は、災害は防ぎ切ることが可能だという「災害制御可能感」から、諦観論を前提とした防災思想に転換することが必要だと述べている。本稿はこの立論を前提としつつ、近代型防災と現代型防災の要因を分析することで、災害制御可能感を手放すための手がかりを探す。近代型防災は自然の外力に抵抗し予測する。そこには自然の外部化と能力主義という要因が見出される。現代型防災は、さらに人間主体を外部化する。また、現代型防災における能力主義は主体を行方不明にし、能力の無さがもたらす可能性を覆い隠す。近現代型防災は生命を対象とするが、かえって死と表裏一体の生命を取り逃がす。災害制御可能感から諦観論へシフトするために、従来とは異なる「主体」のあり方を探りあてねばならない。それは守られる対象・目的語としての命ではなく、主語としての生命であり、世界と自己の行為の未確定性を更新する主体である。