The Journal of JASTRO
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粒子線治療60年の歴史の向こうに
香川 一史村上 昌雄菱川 良夫阿部 光幸
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2000 年 12 巻 3 号 p. 205-220

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抄録

938年にLBLの速中性子線治療から始まつた粒子線治療の歴史は期待と失望の連続であった. 初期の速中性子線治療の誤りに基づいて行われたハマースミス病院のトライアルの結果は劇的であり, 速中性子線治療を世界に広める契機となった. 巨大な加速器が世界中で建造され, 大規模なトライアルが相次いで行われたが, 速中性子線の絶対的な有効性は証明されなかった. 原子炉から生じる熱中性子線を利用するホウ素中性子捕捉療法の治療成績は未だに満足すべきものではなく, 大きな期待を集めて登場したパイ中間子線治療も期待外れの結果に終わっている.1980年代後半には一時的に粒子線治療全体が衰退した.続いて登場した陽子線治療は, 眼球メラノーマや頭蓋底腫瘍などに適応を限定して好成績を示すことにより地道に存在意義を確立した. 近年の技術の進歩と社会情勢の変化に伴い粒子線治療は再び注目を集めるようになり, 1990年にロマリンダ大学で医療用陽子線治療施設が開設された後は世界中で陽子線治療施設の建設が相次いでいる. 陽子線よりも優れた生物効果が見込まれる重粒子線についても1994年に放医研で医療専用装置HIMACが稼働を始め, その真価が問われている. 病院内での実施が可能になり, 一大変革期を迎えた粒子線治療が今後も医療として定着していくためには, 過去の歴史に立ち返り適切な方法で臨床面での有用性を示すとともに, 経済効率の面からも他の治療法に劣らぬ結果を出していくことが期待される.

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© 1994 The Japanese Society for Therapeutic Radiology and Oncology
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