臨床倫理
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資料論文
経腟分娩においては胎児死亡が回避し難い妊娠女性における,選好による帝王切開忌避に関する検討
中井 祐一郎比名 朋子下屋 浩一郎
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2019 年 7 巻 p. 24-32

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抄録

 周産期診療においては,時として胎児と母体の利益対立の顕在化が生じる。生命倫理学においては人工妊娠中絶の場で語られることが大部分であるが,子の生存を前提とした場合には,妊娠継続が母体にとって危険であるにもかかわらず,胎児にとっては子宮内生育の延長が速やかな娩出より望ましい場合を典型とする。一般的には,医療の場においては母体生命優先が黙示的な原則とされているために,医学的見地からこの問題が先鋭化するのはまれであるが,母体利益が母体の生命維持や健康ではなく選好に由来する場合には,母子間利益対立を周産期医療者が解決することは困難となる。

 本研究では,多産を目的とする未産婦における,第1子救命目的での帝王切開に対する忌避を取り上げ,この女性における多産という妊孕性維持の可及的追求を踏まえた上での医療者の対応可能性について,法学的,倫理学的,女性学的な視点からの基本的な検討を行った上で,各分野における向後の精緻な研究の端緒とならんことを目的とする。

 さて,本邦においては,堕胎の罪を規定する刑法以外に胎児を積極的に保護する法はないが,米国の一部の州におけるような帝王切開などの治療を強制することにも疑義は残る。医療者としても,経腟分娩における胎児リスクは確率的に推定するほかなく,どの程度の危険率で帝王切開を強要すべきかという技術論も問題となる。倫理学的には,最終的に成し得る子の数に視点を限局する限りにおいて,古典的な功利主義的視点から許容される可能性もあるが,規則功利主義など現在の功利主義的立場からは受け入れることは難しいであろう。一方,女性学的な視点を加えれば,「妊娠女性は,胎児のために帝王切開という侵襲的医療を受けるという犠牲を払わなければならないのか」という問題に帰着し,議論が分かれるかもしれない。

 このような問題に直面せざるを得ない産科医療者は,現状においては母体決定を優先せざるを得ないと考えるが,その正当化には人工妊娠中絶が不可能となった時期以降においても,トリアージが要求されるような緊急時におけるように,胎児生命は母体生命に劣位であるという周産期医療者の黙示的原則のみでは十分とはいえず,胎児生命価値は母体意思に優先されるものではないという原則についても考慮しておく必要があろう。また,この問題については法学をはじめ,倫理学や女性学の視点からの議論が不可欠であり,それぞれの立場からの詳細な分析と批判が求められよう。

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© 2019 日本臨床倫理学会
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