抄録
妊娠中のアルコール摂取は,胎児性アルコール症候群の診断基準の一つである中枢神経系の発達障害を引き起こし,その症状は学習・記憶障害,多動などの行動異常,視覚・聴覚の異常など多岐にわたる。これらの症状は単一の要因によって誘起されるものではなく様々な要因が関与していることから,中枢神経系初期発生に対するアルコールそのものの影響は十分に解明されていない。そこで中枢神経系の発生段階で最も早期に出現する神経幹細胞を用いて,培養系での毒性評価を行った。胎齢14日目のマウスの大脳基底核原器より細胞を分離し,ニューロスフェア法と呼ばれる神経幹細胞選択的培養法をおこなった。この培養系にアルコールを添加し,神経幹細胞の細胞死誘導,分裂能,ニューロンへの分化能に与える影響を比較検討した。飲酒時の血中アルコール濃度に相当する200mM以下のアルコール存在下では,アポトーシス陽性細胞の割合やニューロンへの分化能に変化は認められなかったものの,分裂能の有意な低下が認められた。この結果から神経幹細胞がニューロンへと成熟する過程で,最もアルコールに対して感受性の強い時期は分裂過程であることが示唆された。続いて,アルコールが神経幹細胞の分裂能を阻害する分子メカニズムを解明するため,リン脂質代謝酵素Phospholipase D(PLD)の関与について検討した。アルコール存在下の神経幹細胞では,PLDによるリン脂質の加水分解に異常をきたし,その下流シグナル因子であるMitogen-activated protein kinase(MAPK)のリン酸化の減少を引き起こすことによって分裂が阻害された。PLD-MAPKシグナル伝達異常による神経幹細胞の分裂能低下は胎児性アルコール症候群の患者にみられる中枢神経系の発達障害を誘引する分子メカニズムの一つであることが示唆された。