抄録
インドネシアの東カリマンタン州では,1970年代から,大規模な森林開発の後に住民による伐採が行われ,その後焼畑や農地に転換されるというパターンが随所でみられた。本稿では,バロン・トンコッ(Barong Tonkok)郡での実態調査をもとに,森林開発の後に焼畑や農地への転換が行われる要因について考察した。この地域では,1973年から森林開発がスタートした。最初の企業は大径木を伐採した後,1981年にこの地を引き上げている。その択伐跡地へ,周辺の地域住民が入植し焼畑を始めた。企業の引き上げ前にすでに入植していたのはわずか4世帯にすぎない。しかし企業の引き上げ後,入植世帯数は1985年に18世帯,92年には143世帯へと急増した。森林開発がこの急速な焼畑入植を招いた要因として,まず従来知られている道路建設と会社の引き上げが指摘される。さらに,バロン・トンコッ郡では,森林開発後の残存中径木を利用する「地域林業」の展開が,焼畑入植の進展に重要な役割を果たしていた。具体的には,地域林業の担い手である木材運搬業者と伐採技術者がそれぞれ,(1)木材運搬業者は,入植者に必要な交通手段を提供し,(2)伐採技術者は,焼畑耕作における森林伐開者としての役割を果たし,焼畑入植を容易にしたのである。