日本家庭科教育学会大会・例会・セミナー研究発表要旨集
第60回大会/2017年例会
セッションID: P27
会議情報

第60回大会:ポスター発表
1950-60年代における家庭科の教科理論
「労働力再生産」論の出現・展開・衰退の過程を追って
中屋 紀子*田結庄 順子*柳 昌子*牧野 カツコ*吉原 崇恵
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抄録
(目的)
戦後混乱期の家庭科の教科理論の形成過程を追って、報告者はこれまで検討を重ねてきた。今報告はその一部である。1950年代後半、家庭科に「労働力の再生産」論が導入され、文部省及び民間の双方からそれへの接近があった。ところが、この理論は短い間に衰退した。出現から衰退までの過程を当時の資料から明らかにする。
(方法)
家庭科への「労働力再生産」論の導入について、それぞれの展開、相互関係を見るために以下の資料を収集し、分析した。
①文部省関係では文献の他、家庭科教科書、指導書、解説書。
②民間教育団体では文献の他、教育図書館所蔵の日本教職員組合(以下日教組)中央教育課程研究委員会(以下中教研)家庭科部会資料や各県代表者の全国教育研究集会報告書、国立女性教育会館所蔵の日教組家庭科研究会資料や和田典子個人ノートなど。
(結果)
1.1956年高等学校学習指導要領での「労働力再生産」論

文部省関係を見ると、当時の文部省職員であった山本キクは家庭科の確固とした存立基盤を求め、困窮化した家庭生活の克服を願って、大河内一男の理論を下敷きにして「家庭における物の消費は、家族の労働力に再生産されあるいは生産されて、国の生産に貢献する。*)」と主張した。その考えによって『高等学校学習指導要領家庭科編』1956.2.1の「家庭一般」に「労働力の再生産の場としての家庭」という事項が出現するところとなり、当時の教科書『家庭一般』と『家庭経営』にもその用語は用いられていた。しかし、1960年の高等学校学習指導要領にはそれは見られなくなった。      
* 山本キク「家庭科の立場」『産業教育』 1955.3
2.日教組・家庭科研究会での「労働力再生産」論
山本と同じような問題意識を持っていたが、異なったアプローチをした日教組家庭科研究会では「労働力の再生産」を用いた家庭科教科理論を提示していた。「教授の中核に労働力の再生産過程の基本的な諸法則をすえる」という基本的立場に立ち、理論に基づく授業実践は『家庭科教育の計画と展開』にまとめられ、明治図書から出版された。それによって、「労働力の再生産」論が家庭科関係者のなかに広く知られるようになった。執筆者の理論的な背景となったのは中教研・家庭科部会が提出した理論であったと記されている。その前身である日教組家庭科研究会が「家庭は、労働力の肉体的・精神的=(生理的・心理的・文化的)再生産の場」であると、第8次全国教育研究集会・家庭科分科会で数百名の参加者を前にして提案したのは1959年のことである。さらに、主婦論争の影響を受けて、家事労働の疎外現象を「労働力再生産」論に加えていくこととなった。その後、日教組中央が自主編成運動を強力に進めていくなかに、家庭科研究会が位置づけられ、中教研・家庭科部会として継続した取り組みをしていくことになった。他の教科と並んで、教育課程の具体的な提案をし、小学5年から中学3年まで家庭科の「教育内容の系列」を作成することになった。「家庭科教育内容の系列を目ざして*)」のなかで重要な位置を持つのは「労働」の概念であるが、当時の指導者であった村田忠三がそれまで培ってきた産業教育研究連盟での成果をそれに反映させたものと思われる。人間の「全面発達」を求めて、「労働」の概念を教育内容試案に取り込んだのである。
*『家庭科研究課題に対する一考察』中教研家庭科部会 昭和36年1月
3.「労働力の再生産」論??の衰退 
しかし、提案直後から「労働力の再生産」論はさまざまな批判があり、家庭科の自主編成をすすめる上でのよりどころとして中教研より提起された「家庭科研究の原則的視点」が1964年1月の第13次全国教研において発表され、 それを契機に、やがてこの理論は短命のまま衰退するところとなった。
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© 2017 日本家庭科教育学会
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