2025 年 9 巻 1 号 p. 53-110
本稿は生成AIの学習データのガバナンスをとりあげ、日本の現在の著作権法上担保されているようなかなり自由な利用の可能性が望ましいかどうかを検討する。併せて、オープン化の概念を援用しつつ学習データをかなり自由に利用できることがほかのオープン化の文脈と同様に肯定的に評価できるとは限らない理由について検討する。
生成AIの開発にあたって重要なリソースである学習データは現在の日本の著作権制度の下ではかなり自由に利用できる。オープン化の概念を手掛かりに考えるなら、これは生成AIの開発、利用にとってよいアプローチと言える。開発の費用が低いことで競争が生まれやすくなり、提供の価格が低くなることで生成AIのような汎用技術の用途探索を加速させる効果が期待できるため、社会的便益の早期実現に資する可能性や、そのような有用性をもたらす技術への進化も期待できる。
ただし、そのような考え方は、市場構造、技術の特性、リスク、倫理課題、法解釈など多くの領域の主要論点に関する前提条件や意見の上に成り立つもののようにも思われる。これら前提条件や意見が変化すると結論にも影響が及ぶ可能性があるため、学際的な議論が重要となる。
経済的な恩恵を考えた場合には開発と普及を促進することにメリットがあると思われるが、学習データとして自らの著作物が利用される人の中にはそれによって経済的な被害を受ける人もいるかも知れない点などが難点である。これを開発者からの対価の支払いや補償金制度で解決することはおそらく困難で、市場競争への影響などを考えるなら学習データの購入費が参入障壁となることも望ましくないと思われる。他に、文化の大きな変容が起こる可能性についてどのように考えるか、軍事利用などのリスクをどう考えるか、といった論点もある。
オープン化は影響力の小さかった個人などをエンパワーし、その活躍をよりよい社会などにつなげる仕組みとして機能して来た面があるが、生成AIについてはそのような構図とは大きく異なる構図も存在している。学習データとして利用される著作物を提供するのは個人や小規模集団なども含めた多数のクリエイターであり、巨大なコンテンツ産業ではない。それを利用する生成AI開発企業には巨大企業が含まれる。オープン化の推進をしてきた国際的な組織が、公正さや互酬性といった、利用のしやすさとは少し異なる規範を重視するようになってきたことは、このような変化と呼応していると思われる。