抄録
筆者は昨年5月に世界石油会議への5人の日本代表の1人としてオランダに赴いたが, 会議の概要とそれに基づいて西欧における石油製産, 製油所建設それに附随してマーシャル計画について述べている。戰爭の結果石炭, 電力の動力が極端な不足をきたしたが, それを補うべき米国製の石油製品を輸入するには弗がまた著しく不足していた。マージャル計画による米国からの援助で, 従来の原則を破り, 消費地である西欧地区内に製油所が続々建設されるようになつた。
その理由の主なものは, 中東における原油生産が伸びつつあるのに対してその政治情勢が不安定であること, 大製油所を建設すれば石油化学工業が当然並立されでくることである。
これらの復興はO.E.E.C.(Organization for European Economic Co-operation) を通じ米国E.C.A.(Economic Co-operation Administration) の働きでなぎれたものである。西欧における製油能力は1950年度には1947年に比して2.5倍に増加し, 1953年には6, 237万tを処理し, 西欧内需要の96%を賄うことが予定されている。