江戸時代後期に農村風景が名所化される要因を, 大和の月瀬梅林を例に, 当時の漢詩文の流行と知識人の遊覧熱との関連で考察した。月瀬梅林は商業的農業による梅の大量栽培により出現した, 渓谷沿いの数ケ村におよぶ規模の大きな梅林である。この梅林は津藩の儒者斎藤拙堂の『月瀬記勝』により名所としての名を高めたが, そこには, この時代, 景勝の地をある美意識のもとに叙する文学形式が出現し, それが風景享受の指針的役割を果たしたこと, 文人や知識人のコミュニケーションの仲立ちとして遊覧と詩作があったことが認められる。また農民も宿の提供や案内書の出版で, 名所化に参画した。