生活大学研究
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国民学校におけるカリキュラム実践モデルとなった自由学園初等部
昭和16、17 年度来校者名簿の考察を基に
菅原 然子
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2016 年 2 巻 1 号 p. 26-49

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抄録

1921年、羽仁もと子・吉一夫妻によって創立された自由学園は、女学校からのスタートであった。その6 年後、1927年に小学校を設立する。1928年に尋常小学校の認可が下りた自由学園小学校は、当時の小学校令に則った授業時間数で教育実践を行っていたが、生活そのものが教育であるという創立者の理念により、委員会制度や毎日の掃除など、自労自治が徹底されていた。1941 年、国民学校令が施行され、「皇国民の練成」が日本の教育機関全体の教育目的となる。その目的の達成のために教育審議会によってカリキュラムが組まれたが、1941 年、42年に、自由学園初等部(1941 年に小学校から初等部へ組織名変更)を多くの国公立の国民学校関係者が参観に訪れた。当時の来校者名簿には、礼状等も添付されており、それらの資料からは、初等部での実践が国民学校における授業実践のモデルになっていたことがうかがえる。新教育の流れをくむ自由学園が、国民学校のモデルになったのは、創立当初からのカリキュラム実践が、国民学校が求めた「生活即学習」「学習即生活」という考え方に期せずして合致していたからとも考えられる。一方、戦後の教育の民主化という課題に対しても、自由学園初等部は再度、モデル校として評価され、参観者が多数訪れた。一私学の小学校が、戦中戦後という社会が劇的に変化した時期、一貫して公教育のモデルになるとい う役割を果たしていた。

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© 2016 自由学園最高学部
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