生活大学研究
Online ISSN : 2189-6933
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2 巻, 1 号
生活大学研究
選択された号の論文の10件中1~10を表示しています
  • 横山 草介
    2016 年 2 巻 1 号 p. 1-8
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は,教育実践研究の中にフォークペタゴジーという概念を導入することを提案するものである.フォークペタゴジーとは,広く教育という営みに従事する際に,それに携わる諸個人や集団が有している教育についての考え方や信念を包括する概念である.ある教育実践が個的にも,集団的にも,その担い手の保持するフォークペタゴジーに基づいて為されていると仮定する限りにおいて,当該の実践についての検討はそこに機能しているフォークペタゴジーを考慮する必要性を有する.本稿では以上に要約されるフォークペタゴジーという考え方を理解するための手だてとして,Deweyの『民主主義と教育』における「成長としての教育」という考え方,ならびに『学校と社会』に示された彼の実験室学校(laboratory school)における教育活動に係る議論を例に考察を進める.最後に我々は,特定の集団や諸個人が保持するフォークペタゴジーは彼らが日々の実践のなかで,あるいは日々の実践について語る言葉の内容や様式に反映されることを指摘する.この指摘によってフォークペタゴジーの研究は日常生活の中での人々の様々な「語り」を研究対象として行うことができることを示唆する.諸種の教育活動の背後に根付いているフォークペタゴジーの研究は,教育実践研究を教育の臨場と切り離さずに行うための一つの有効な手だてとなり得るはずである.
  • 「美術」と「工芸」の重層的展開をめぐって
    村上 民
    2016 年 2 巻 1 号 p. 9-25
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー
    1921(大正10)年、自由学園創立者の羽仁もと子・吉一は、美術科主任として山本鼎を招聘した。羽仁夫妻と山本との協働をもって始められた自由学園の美術教育は、芸術を特権的なものとせず、誰もが美に対する感覚を養い、自他の生活に活かすことを目指した。多くの芸術家たちの参画によって進められたこの美術教育は、絵画・工芸・鑑賞を構成要素とする芸術教育として展開した。1932年、自由学園卒業生は、学園美術を社会的に発展させ、「工芸」を産業化し社会運動にまで推進するべく、「自由学園工芸研究所」を発足させた。これを機に、自由学園の美術教育は学校内の美術教育にとどまらない、「美術教育運動」としての方向性を明確にし、「工芸」に大きく舵を切り始める。これは、羽仁もと子・吉一と山本鼎が共有していた、芸術、教育、社会改造を深く結び付けようとする志向の延長上に位置する。またこうした方向性は、近代日本の「工芸」をめぐる動きとも重なるものであった。自由学園の工芸推進路線はしかし、単線的に進んだわけではない。1930年代のこうした方向性に対して、「学園美術の危機」とみる批判が美術教師達からあがったことは重要である。彼らは学園美術が一つの方向に収斂しつつあることの問題性を指摘し、美術教育の再構築を図った。こうした緊張感を背景に、自由学園の美術教育運動は「工芸」を時代の課題として選びとり、歩みを進めていった。また、1930年代後半以降の自由学園工芸研究所の海外展開は、日本が国際的孤立を深め、日中戦争、太平洋戦争へと突入していく時期の取り組みだった。この時期の工芸研究所の海外展開と国内展開との関係、また戦時下自由学園における美術教育の取り組みや、新たに参画した若手芸術家たちの招聘事情についても検討を試みる。1930年代から40年代にかけての自由学園の「美術」と「工芸」の展開をたどることを通して、この時代における自由学園の美術教育運動の重層性に迫る。
  • 昭和16、17 年度来校者名簿の考察を基に
    菅原 然子
    2016 年 2 巻 1 号 p. 26-49
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー
    1921年、羽仁もと子・吉一夫妻によって創立された自由学園は、女学校からのスタートであった。その6 年後、1927年に小学校を設立する。1928年に尋常小学校の認可が下りた自由学園小学校は、当時の小学校令に則った授業時間数で教育実践を行っていたが、生活そのものが教育であるという創立者の理念により、委員会制度や毎日の掃除など、自労自治が徹底されていた。1941 年、国民学校令が施行され、「皇国民の練成」が日本の教育機関全体の教育目的となる。その目的の達成のために教育審議会によってカリキュラムが組まれたが、1941 年、42年に、自由学園初等部(1941 年に小学校から初等部へ組織名変更)を多くの国公立の国民学校関係者が参観に訪れた。当時の来校者名簿には、礼状等も添付されており、それらの資料からは、初等部での実践が国民学校における授業実践のモデルになっていたことがうかがえる。新教育の流れをくむ自由学園が、国民学校のモデルになったのは、創立当初からのカリキュラム実践が、国民学校が求めた「生活即学習」「学習即生活」という考え方に期せずして合致していたからとも考えられる。一方、戦後の教育の民主化という課題に対しても、自由学園初等部は再度、モデル校として評価され、参観者が多数訪れた。一私学の小学校が、戦中戦後という社会が劇的に変化した時期、一貫して公教育のモデルになるとい う役割を果たしていた。
  • 髙橋 由佳, 河原 弘太郎, 遠藤 敏喜
    2016 年 2 巻 1 号 p. 50-63
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー
    古来から多くの芸術家や研究者がそれぞれの目的で音楽の可視化・図形表現を試みている.本論文では楽譜の持つ音楽要素を縞模様で表現する.縞模様には,自由学園生活工芸研究所のオリジナル・テキスタイルであるプラネテを用いる.手法としては,計量情報学でよく知られているジップの経験則を用いる方法と,ヨハネス・イッテンの色彩論を用いる方法を紹介する.聴覚と視覚という異なる感覚を用いた表現メディアの融合の,縞模様を用いた新たな例を提供する.
  • アクティブ・ラーニング手法導入の試み
    中村 佐里, 遠藤 敏喜, 波多野 和彦
    2016 年 2 巻 1 号 p. 64-70
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー
    高大連携を意識した最高学部での情報特別講義の実施に際し、アクティブ・ラーニング手法を取り入れた授業を開発・実践した。高等科までの学習を意識的に振り返らせることにより、知識の定着を図るとともに、検討すべき課題が「自らの問題である」との意識を高めるために、相手を意識した説明と相互評価の活動を取り入れた。相互評価結果の分析から、提示資料の見栄えなどの項目については、学生と教師に違いが認められず、内容の理解にかかわる項目については、学生と教師との回答に有意な差が認められた。相互評価の実施に際し、ルーブリックの明示などの工夫が必要であることが明らかとなった。
  • 町田家と柏木家の比較を通して
    杉原 弘恭, 松島 耕太, 大口 遼太郎, 鬼崎 衛, 雜賀 順己, 花井 聖仁, 小田 幸子
    2016 年 2 巻 1 号 p. 71-90
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー
    江戸期の上名栗が林業主体,下名栗が薪炭業主体という地域経済の違いは,地域の政治体制にも影響を及ぼしているが(上名栗世襲制・下名栗輪番(年番)制),その違いは地域の基盤の地質の違いが植生の違いに影響している可能性があることを指摘した.その上名栗の名主の町田家と組頭の柏木家の地域経済への取り組みの特色を分析した.町田家は林業を主軸に江戸に進出し名栗との両輪経営を行って名栗の繁栄に寄与し,柏木家は江戸・東京より名栗に回帰する形で名栗の各種産業発展に寄与した.町田家は,林業から筏輸送,材木卸までの川上(名栗)から川下(江戸)へのサプライチェーンを形成したものの,当時の制度的制約から仲買以降の江戸の消費者までを取り込むことはほとんどできなかった.一方,柏木家は,各種事業を行って,大正期には筏の代わりに公共交通機関を整備し,温泉旅館を核とし東京の消費者の名栗への来訪を促進するという川下(東京)から川上(名栗)への流れのバリューチェーン形成を指向した.町田家は林業のキャピタルゲイン指向かつ「規模の経済性」を求め,柏木家はキャッシュフロー重視のインカムゲイン指向かつ「範囲の経済性」を求めたといえる.林業からいち早く離脱した柏木家であったが,柏木家の山づくりで見られた生態学的な「範囲の経済性」の考え方が反映されたといえる.一貫経営は資金の内部留保となることから私的な蓄財ともなるが,当時資金を負担して公共事業を行うのは名主・庄屋層であったことから,名主としての雇用や公共事業等の原資を獲得するための面があったと思料される.
  • 岸本 苑子
    2016 年 2 巻 1 号 p. 91-100
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー
    The Gakuen Weekly は自由学園初期におよそ8年間発行されていた英字新聞で、当時の高等科の生徒が編集・発行を行っていた。『学園新聞』刊行以前の資料であり、他の資料には見られない記録も多数掲載されている。The Gakuen Weekly の調査は、自由学園100年史編纂の一環として行われており、2015年度の時点で全199号の目録作成が終了した。調査は引き続き行われているが、The Gakuen Weekly 全号に目を通し終えたので、いったん概論としてまとめることとした。本論ではまずThe Gakuen Weekly の概要を説明し、次に全体を編集員の交代に合わせて7期間に分け、主に記事の内容の変遷を追っていく。
  • 神 明久
    2016 年 2 巻 1 号 p. 101-102
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー
    2015 年度の自由学園最高学部4 年課程(大学部) の卒業研究は、17 本の論文(うち4 本は共著)が提出され、その成果は、2016 年3 月5 日に行われた4 年課程卒業研究・2 年課程卒業勉強報告会にて発表された。本稿では、卒業研究の論文タイトルと報告会の様子を紹介する。
  • 奈良 忠寿
    2016 年 2 巻 1 号 p. 103-104
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー
    2015 年度の学園特別実習報告会が2016 年3 月12 日に行われ、1・2 年生全員が所属する7 グループに分かれ、活動内容や考察を口頭発表した。本稿では、グループごとの発表内容を当日の要旨集をもとに抄録する。
  • 大塚 ちか子, 杉原 弘恭, 神 明久
    2016 年 2 巻 1 号 p. 105-106
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー
    2015 年度 自由学園最高学部(大学部)卒業研究「自然と人のかかわり-武蔵野 東久留米向山緑地の動植物-」が、多摩六都科学館の自然の部屋にパネル展示されている。この研究の調査地である向山(むこうやま)緑地は、自由学園構内を流れる湧水河川、立野(たての)川の源流域周辺で、㈻自由学園は、市民ボランティア、および東久留米市と協働で保全活動を行っている。
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