重心動揺計を用いた重心動揺検査は,直立姿勢に現れる身体制御機構の障害による動揺を観察し,平衡機能を評価するため,主に耳鼻咽喉科,神経内科,眼科などで普及しており,歯科においても,顎口腔機能と全身機能の密接な関係を調べるために用いられてきている1〜16).咀嚼運動時の身体重心動揺を調べた研究では,重心動揺は,閉眼時よりも開眼時のほうが安定すること,安静時よりも軟化したチューインガム咀嚼時,特に片側咀嚼時に最も安定することが報告されている16).しかしながら,咀嚼側の違いが重心動揺に及ぼす影響については,明らかにされていない.
そこで,本研究では,咀嚼側の違いが身体重心動揺に与える影響を明らかにする目的で,健常有歯顎者25名の各種咀嚼(軟化前後の自由咀嚼と右側と左側の片側咀嚼)時の重心動揺を足圧分布測定システムを用いて測定し,身体動揺の総軌跡長を算出し,咀嚼側間で比較した.総軌跡長は,軟化後自由咀嚼のほうが軟化前自由咀嚼よりも有意に短く, 身体重心動揺は,軟化後自由咀嚼のほうが安定していた.右側咀嚼と左側咀嚼との比較では, 両咀嚼間に有意差が認められず,利き手側と身体重心動揺との間に関係がなかった.主咀嚼側咀嚼と非主咀嚼側咀嚼との比較では, 主咀嚼側のほうが有意に短く,身体重心動揺は,主咀嚼側咀嚼のほうが安定していた.
咬合が身体重心動揺に及ぼす影響を調べた研究では,偏心咬合位よりも咬頭嵌合位5),スプリントや義歯の装着 4, 6, 7, 10, 14)で身体重心動揺が少なくなることが報告されている.これらは,咬合が安定していると身体重心動揺が少なくなることを示している.このことから,咀嚼運動においてもより安定した咀嚼時に身体重心動揺が少なくなることが予想される.
咀嚼運動に関するこれまでの研究で,被験食品や咀嚼方法などの咀嚼条件が咀嚼運動に影響を及ぼすことが明らかにされており18),通常の食品では,咀嚼中に大きさや硬さが変化し,それに対応して咀嚼運動も変化するため,不安定になってしまう.したがって,咀嚼中に大きさや硬さが変化しない軟化したチューインガムが被験食品として適切であり,グミゼリーがそれに準じることが明らかにされている19).軟化前後の自由咀嚼の身体重心動揺を測定した本研究の結果では,総軌跡長は,軟化後自由咀嚼のほうが有意に短く,身体重心動揺は,軟化前自由咀嚼よりも軟化後自由咀嚼のほうが安定していた.軟化後のチューインガムは咀嚼中に大きさや硬さが変化しないが,軟化前のチューインガムは咀嚼中に大きさや硬さが大きく変化するため,咀嚼運動が変化し,不安定になることは容易に推測でき,このことが身体重心動揺に影響を及ぼしたものと考えられる.
右側咀嚼と左側咀嚼との比較では,総軌跡長が右側咀嚼(9.06cm)と左側咀嚼(8.99cm)とで近似し,両咀嚼間に有意差が認められなかった.なお,利き手が咀嚼運動に及ぼす影響を排除するため,本研究では,右側が利き手の者を被験者に限定した.また,利き手の影響を調べた研究ではないが,安静時の総軌跡長は右利きが7.5cm,左利きが7.7cmであったと報告されている20).これらのことから,利き手側と身体重心動揺とは関係ないと考えてよいように思われる.
ヒトには嚙みやすい側(主咀嚼側)があり,非主咀嚼側との間に機能的差異があることが明らかにされている21, 22).咀嚼運動においても主咀嚼側咀嚼のほうが非主咀嚼咀嚼よりも有意に安定することが報告されている21).本研究では,総軌跡長は, 主咀嚼側のほうが非主咀嚼側よりも有意に短く,身体重心動揺は,主咀嚼側咀嚼のほうが安定していた.著者らは,身体重心動揺は自由咀嚼よりも片側咀嚼のほうが有意に安定することをすでに報告16)していたが,本研究の結果により,片側咀嚼の中で,非主咀嚼側よりも主咀嚼側のほうが有意に安定することを示すことができた.これは,咀嚼運動が主咀嚼側で最も安定することに起因しているものと考えられる.
これらのことから,身体重心動揺は,利き手側と無関係であり,運動が最も安定する主咀嚼側咀嚼時に最も安定することが示唆された. 注:本文中の文献番号は,英論文中の文献番号と一致する.