ブータン国王は、時に「人民の王」や「菩薩王」と呼ばれ、人々に尊敬と敬愛の念を抱かれている。一方、国民総幸福量や「上からの民主化」など、ブータン国王の影響が著しく反映されるブータン社会において、王制がブータンにおける国民形成と結び付けて語られることはこれまでほとんどなかった。そこで本稿では、1967年から2000年までの間に発刊されたKuensel 社の英字新聞を用い、ブータン国王による地方行幸の目的とその機能の分析を通じて、国民形成への影響を明らかにした。国王はブータン各地を行幸し、スピーチの実施や人々と直接触れあう中で、開発への参加と協力を繰り替えし主張してきた。そのうえで国王による地方行幸は、開発計画と密接に結びつき、南部問題といった社会状況の変化の中で、「開発をともに進める」という国民が共有すべき属性が定義づけられ、強化されていく場として機能したと考えられる。