がん罹患に伴う精神的苦痛は大きく、患者がうつ病などの病的な状況に陥ることも少なくない。心のケアを含めた緩和ケアが推進される中、精神腫瘍医(精神腫瘍学の専門性を持ってがん患者の精神・心理面の症状緩和を担当する医師)への要請は大きい。精神腫瘍医は精神保健における専門性を持ちつつ、身体状態を十分理解したうえで他職種と十分に連携することで、全人的な医療の提供を可能にし、その仕事の内容はまさに心身医学が目指す方向性の延長線に存在する。
我が国のがんの罹患は年々増加の一途をたどり、毎年50万人以上が新たにがんと診断され、がんと今現在向き合っている人は300万人を数える。治療の進歩に伴い、「がん=死」を意味する時代ではなくなったが、がん死亡は毎年30万人を超えている。日本人の3分の1はがんによって死亡している実状からは、依然として生命を脅かす病気であることは変わりない1)。インフォームドコンセントが導入され、がん医療においても情報開示を前提とした医療が導入される一方で、がんの疑いにはじまり、検査、診断、再発、積極的抗がん治療中止などの悪い知らせに伴い、患者は大きな心理的衝撃を受け、臨床的介入を要する精神症状を呈することもまれではない。これらの流れの中で、2002年4月からは、世界で初めての精神腫瘍医を必須とする緩和ケアチームによる一般病床におけるがん患者に対する診療に保険点数加算・緩和ケア加算が認められた。今後がん患者の心のケアに対する要請は強く、担い手である精神腫瘍医に求められる役割はますます大きくなることが予測される。
精神腫瘍医とは、精神腫瘍学の専門性を持ってがん患者の精神・心理面の症状緩和を担当する医師を指し、専門医制度は確立されていないが、例えば厚生労働省が定めた緩和ケア研修会における精神腫瘍学の基本教育に関する指導者の基準が、精神腫瘍医のひとつの目安となる。ここでは、医師としての経験が5年以上あり、精神科医あるいは心療内科医として3年以上の経験を積み、その中で最低1年間はがん患者のケアにあたった経験がある医師が、所定の研修を終了すると、指導医として認定される。つまり、精神科医や心療内科医として精神保健に関する専門性を確立したうえで、がん患者の症状緩和に関してある程度経験があることが求められる。
がん医療の現場において、精神腫瘍医が主治医、看護師、身体症状緩和医、コ・メディカルスタッフと連携しながら患者の精神症状緩和を行う体制が整備されようとしている。ここでは、がん患者におけるうつ病、適応障害の疫学について触れた上で、精神腫瘍医が他職種と連携したがん患者のケアの実際について詳述する。また、精神腫瘍医に求められる能力や、教育プログラムについても触れることとする。
がん患者に合併する精神症状で頻度が高いものはうつ病、抑うつ気分を主徴とする適応障害、せん妄であることはよく知られている2)。わが国での有病率調査においても、大うつ病は3~12%、適応障害は4~35%と、かなりの割合のがん患者が臨床的介入を要する病的な抑うつ状態を呈していることが示されている3)(Fig. 1)。大うつ病や適応障害はそれ自体が苦痛に満ちた症状であるのみならず、がん患者の自殺、抗がん治療のコンプライアンス低下、入院期間の長期化などとも関連するため、これらに対する適切な治療が望まれる。
日本人のがん患者に合併する適応障害,うつ病の有病率
精神腫瘍医が行う介入に関して、薬物療法と精神療法の有効性は実証されており4, 5)、うつ病に対しては薬物療法と精神療法、適応障害に対しては精神療法を中心とした介入を行うことが一般的である。しかし、精神腫瘍医が単独で介入を行っても、その効果は限定的であることが多い。というのは、がん患者の精神症状は身体的苦痛・社会的苦痛・実存的苦痛と関連していることが先行研究より示されている(Fig. 2)6)ので、多職種チームが連携し、身体面、社会面なども含めた症状緩和にあたることで、包括的な苦痛の緩和が可能となるからである。うつ病の関連要因として、身体症状である疼痛や倦怠感、社会的問題として経済的困窮や孤独、実存的苦痛としてとらえられる生きる意味、目的、希望の喪失が挙げられている。精神症状のみに焦点を絞ってもうまくいかないことが多く、患者の苦痛を包括的、全人的にとらえて緩和する姿勢が必要となる。多面的な苦痛を持った患者については、主治医や担当看護師など、限られた医療者で対応するよりも、様々な専門技術を持った多職種が介入することが望ましい。例えば、次のような症例を考えてみよう。
がん患者に合併する精神症状の特徴
53歳・男性 非小細胞肺がん IV期(肺内転移)
大手食品メーカーの営業課長。明るく責任感もあり家族思いの性格。妻(50)と、1男(大学2年生)1女(高校1年)の4人暮らし。15年前(38歳のとき)に父親を肺癌で亡くしている。
咳と倦怠感を主訴に総合病院を受診。胸部Xp、胸部CTにて異常陰影が指摘され、肺がん疑いと告げらる。某がんセンター紹介受診し、精査後に肺癌IV期の診断が告げられ、翌週より化学療法(CDDP+CPT-11療法) が開始される。Grade IIIの嘔気を認める。
化学療法3コース目の途中から激しい腰痛が出現。徐々に増強し、倦怠感、不眠、食欲不振を訴えるようになった。骨転移が判明し、まずは放射線治療を含めた疼痛緩和の方向性が主治医より伝えられる。某日、プライマリーNsが夜勤でラウンド時に「もうなにもかもがいやになった」との発言があった。精神腫瘍医が診察したところ、うつ病の診断に該当する精神症状を認めた。また、面接の中で次のような心情を吐露している。
「治らないがんだとわかって、すごくショックでした。今の時代インターネットをみればその病気がどのようなものかということはわかるじゃないですか。肺がんのIV期って言われたら何の希望も持てないですよね。まだ子供は2人とも成人前だし、もう少し頑張らなければならないと思っていたのですが……。何とか気持ちを立て直そうと思って、抗がん剤の治療に臨みましたが、副作用がつらくて。こんな苦しみが死ぬまで続くのかと思うと、何の希望も持てずに落ち込みました……。腰骨への転移がわかって。さらに痛みにも耐えていかなきゃならないと思うと、本当に絶望的になりました。家族の迷惑になっているだけだと思ったらいっそ死んでしまおうと思ったのです。」
上記情報を受けて、主治医、看護師、精神腫瘍医が集まってスモールカンファレンスを行った。患者の苦痛の原因と、苦痛に対する介入に関して、次のようなものがリストアップされた。
2. 患者の苦痛の原因① 精神症状として希死念慮を伴ううつ病が存在する。
② 関連する身体症状として、骨転移に伴う腰痛があり、症状がずっと継続するのではないかという懸念がある。
③ 関連する実存的苦痛として、一家の大黒柱としての役割を喪失し、家族へ依存しなければならない現状に対する葛藤がある。
④ 関連する社会的問題として、家族が動揺していることから、ソーシャルサポートが十分に得られない可能性がある。
3. 介入① 希死念慮を伴ううつ病に対して抗うつ薬の投与と、支持的な傾聴を中心とした関わりを、精神腫瘍医と看護師が協力して行うこととした。
② 疼痛に関しては、鎮痛薬の増量と疼痛緩和を目的とした放射線治療の導入を行う。主治医より十分に緩和可能な症状であることを繰り返し説明し、患者に安心感を与える。
③ 動揺する家族に対して、精神腫瘍医と看護師が支持的な介入を行う。家族の不安に十分に配慮した上で、家族が本人をどのように支えたらよいかについて相談していく。
4. 介入後の経過精神腫瘍医と看護師が妻と面談したところ、突然夫が進行肺がんになった衝撃と、自殺企図をするほど夫が追い詰められていることに対してのやりきれない思いが語られた。妻の苦悩に共感したうえで、本人の生きがいを支えることができるのは家族であることをつたえた。妻がしばらく付き添い「働けなくてもかまわない。家族のために生きていて欲しい」という思いを繰り返し伝えたことにより、生きようという気持ちが徐々に芽生えた。
主治医より積極的な疼痛コントロールを約束。医療チームとして、苦痛なく過ごせるように最善を尽くすことを伝えたことも大きな安心感につながった。抗うつ薬の効果もあったと思われ、徐々に笑顔が見られるようになり、「家族のためにも治療を頑張って、家でゆっくりすごしたい」という表出があった。その後は疼痛コントロール中心の治療に対して積極的になり、主治医に対しても自分の希望を述べるようになった。また、退院後は妻や子供たちとすごす時間を大切にしていた。国内の小旅行に何度か出かけ、大切な思い出になったと述べている。
前述の症例への関与にあるように、がん患者の精神的問題に対応するために、精神腫瘍医には様々な能力が必要とされる。主なものを挙げれば、精神保健に関する専門性、身体状態を診る能力、コミュニケーション能力であろう。
1. 精神保健に関する専門性患者の精神的苦悩を、その人のナラティブなストーリーとして捕らえるのみならず、精神医学的診断に基づいて評価する能力が必要である。厳しい状況の中で落ち込んでいるケースに関して、当然の反応であると理解してしまうと、治療される機会を奪ってしまうことになる。例えばうつ病の場合、適切に診断すれば、精神療法的対応や、向精神薬を適宜処方することによって、患者の苦悩は軽減され、QOLの向上につなげることが可能となる。
2. 身体状態を診る能力患者の身体的な状況を理解するためには、一般身体疾患、腫瘍学の知識が必要である。これが不十分であると、チーム医療の中で他の医療者との関係構築にも支障を及ぼす。また、がん患者の抑うつは疼痛、倦怠感などの身体症状とも強く関連し、身体症状緩和の知識は必須であると言える。
3. コミュニケーション能力前述の症例にあったように、精神腫瘍医は他職種と十分にコミュニケーションをとり、連携することが不可欠である。主治医、看護師、放射線治療医、薬剤師、ソーシャルワーカー、栄養士等、様々な職種が医療チームには参画する。精神腫瘍医は患者と深くかかわり、その思いを理解する機会に恵まれるため、これをチーム全体に伝え、患者の意向に沿ったチームの目標を設定するサポート役も担う。
また、医療者も当然人間であるために、必ずしも良い転機をとらないがん患者に向き合う中で様々な感情を抱く。この感情のもつれがチームワークを崩すこともあるため、精神医学的な知識を背景に、人間関係の調整を行うことも少なくはない。チーム医療の縁の下の力持ちとして、他職種と円滑なコミュニケーションを行う能力が必要である。
4. その他ほとんどのがん患者は長い人生を生き抜いてきた先輩である。彼らが抱える生と死という問題に根ざした葛藤と向き合うためには、医学的知識だけでは歯が立たないことは想像に難くないであろう。時に「先生にとって生きるとはどういうことですか?」などと尋ねられることも少なくない。精神腫瘍医は自分自身の人生観、死生観を持っていることが必要であるし、そのためには哲学、宗教学、社会学等々の知識が必要となる。
現在がん医療の現場で働く精神腫瘍医には、精神科医としての研修を経て精神腫瘍医となった医師と、心療内科医の研修を経た医師が存在する。先日、心療内科医を経て精神腫瘍医として働いている医師とざっくばらんに話してみたが、精神科医と心療内科医いずれがベースにあったとしても、精神腫瘍医として行う医療のスタイルは変わらないようで、むしろ医師個人のカラーが大きいという結論になった。敢えて挙げるとすれば、精神科医は重症の精神疾患の診療経験が豊富であることが多いので、精神病理が重いケースへの対応が得意であるし、心療内科医は精神療法のトレーニングを受ける機会が比較的多いので、精神療法的介入が得意であることが多いということぐらいであろうか。ただ、精神腫瘍医への要請を強く感じる一方で、現場で働く医師はまだまだ需要には追い付かない現状があり、いっしょに働いてくれる仲間を強く求めている。精神腫瘍医に求められるのは精神保健の専門性と身体を診る能力、そしてコミュニケーション能力であり、これらを駆使して行う全人的医療は、まさに心身医学の志向する方向性の延長上にあるように感じる。心身医学を専攻している医師の中で、その軸足をがん医療に置いてみようと考える方が増えることを切に祈ってやまない。
最後に、精神腫瘍医の研修プログラムについて、少し触れてみたい。精神腫瘍学は、精神医学や心身医学のサブスペシャリティーとして位置付けられるので、2年の初期研修を終えたのち、精神科医や心療内科医として、ある程度一般的な対応が出来るようになってから精神腫瘍学に関する専門的な研修を受けることが望ましい。専門研修は、症例が豊富で、経験ある指導医から実地臨床の中で教育を受けられるような研修を受けることが望ましい。以前はレジデントプログラムがあるのは国立がん研究センターのみであったが、徐々に広がりを見せているため、いくつかの大学病院や、がん専門病院においても充実した研修を受けることが可能になってきている。たとえば、当院のレジデントプログラムは目的に応じていくつか存在するが、3人の経験豊富なスタッフのもと、年間100症例ほどの患者を経験することが可能であり、1年あれば緩和ケアチームの精神腫瘍医として独り立ち可能であろう。3年のプログラムでは、がん患者のあらゆる精神的問題に対応し、この領域を発展させる人材を育てることを目的としている。意欲的な若い医師が、志望してくれることは、とてもうれしいことで、レジデントの先生とのやりとりの中で、我々も新たな刺激をもらうことが多い。