文化人類学
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日本の近代化過程における「安全神話」のポリティクス : 殉職を取り巻く権力関係と言説の構築を中心に(<特集>国家政策と近代)
金子 毅
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2005 年 69 巻 4 号 p. 520-539

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抄録

本稿は、日本の高度成長の形成という問題を、「安全第一(safety-first)」という近代的スローガンの実践と、雇用という状況が生み出す権力関係との関連に基づき、そこで育まれる言説の構築という観点から検討するものである。労務管理を目的に導入された「安全」理念の定着に当たっては労使間での葛藤が存在しており、それはとりわけ「殉職」という死の意味付けを争点としていた。労働災害という異常な死は労使間の権力関係によって規定され、その際、企業戦略として適用されたのが、殉職を自己判断がもたらしたリスクの結果と見なす労働省の提示する「安全」理念であった。これにより当初不確定な死は正当な労災という「殉職」として位置付けられるとともに、被災現場の記憶すら去勢された数値化、記号化された「無化された死」として処理される。そして、企業が設立した菩提寺での葬儀を経て、晴れて「殉職」と公認された人々は、さらに企業主催の「殉職者慰霊」において企業の永続性を保障する「祖先」としての地位を付与されることになった。そうした言説の虚構性を見抜いた労働者たちは、雇用者による「安全」実践のシステムを逆利用した対抗的な言説を編み出すことで、労組の戦術を展開するが、相次ぐ合理化はその活動を先細らせ、構成員自体を企業に従順な「企業戦士」へと変貌させた。昭和40年代に入ると当初、対抗のシンボルと目されていた「殉職者慰霊」へ代表者の参加が見られるようになったことは、労組内部にこのような本質的な変化が生じた証である。このことから、労使間のポリティクスが企業、あるいはそれを操る国家の論理に回収された点が指摘されよう。それはまさしく成長神話の暗部が取り払われ、安全神話として確立した瞬間でもあった。言い換えれば、企業理念を縁取り、高度成長という時代のけん引役を果たした「安全」の唱導は、国策による国民統合の一つの手段であったと見なされよう。

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2005 日本文化人類学会
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