抄録
本稿の目的は、済州4・3事件にかかわる民間人死者や行方不明者の家系記録を手掛かりにして、過酷な政治暴力的コンフリクトを経験した人びとが、彼/彼女たちの社会的文化的な意味づけを通してどのように近親者たちが経験した悲劇とその記憶を表現し、その過程で生起する国家権力との摩擦や葛藤を乗り越えるためにいかなる工夫と知恵を発揮してきたかを考察することにある。具体的には、フィールド調査で収集した除籍謄本と族譜、墓碑上に書き記された死や行方不明の記録についての相互比較分析を試みる。その際資料の真偽ではなく、各々の資料の性格にもとついた記録の間にみられる齟齬、つまり除籍謄本とその他の二つの資料との矛盾に注目する。加えて、文字記録とインタビュー調査による証言記録との比較、3種類の家系記録と他の公的資料との比較も試みる。そこで確認される死や行方不明の記され方やそれぞれの記録の間にみられる相違点と一致点、また親族集団レベルにおいて創造・運用されてきた記載実践から、虐殺以後を生き抜いてきた人びとによる大量死の意味づけをめぐる工夫と実践のダイナミズムを解明し、国家からの理不尽な暴力に対する民衆の生活知の可能性を展望する。