文化人類学
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特集 薬剤の人類学―医薬化する世界の民族誌
公衆衛生の知識と治療のシチズンシップ
HIV流行下のエチオピア社会を生きる
西 真如
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2017 年 81 巻 4 号 p. 651-669

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抄録

本稿では、普遍的治療を掲げる現代のHIV戦略のもと、病とともに生きる苦しみへの関心と無関心が形成され、制度化されてきた過程について、エチオピア社会の事例にもとづき検討する。アフリカにおける抗HIV薬の急速な展開によって得られた公衆衛生の知識は、「予防としての治療」戦略として知られる介入の枠組みに結実した。この戦略は、アフリカを含む全世界ですべてのHIV陽性者に治療薬を提供することにより、最も効率的にHIV感染症の流行を収束させることができるという疫学的予測を根拠としている。エチオピア政府は国際的な資金供与を受け、国内のHIV陽性者に無償で治療薬を提供することにより「予防としての治療」戦略を体現する治療体制を構築してきた。にもかかわらず現在のエチオピアにおいては、病とともに生きる苦しみへの無関心と不関与が再来している。そしてそのことは、「予防としての治療」戦略に組み込まれたネオリベラルな生政治のあり方と切り離して考えることができない。本稿では治療のシチズンシップという概念をおもな分析枠組みとして用いながら、抗HIV薬を要求する人々の運動と、現代的なリスク統治のテクノロジーとの相互作用が、HIV流行下のエチオピアで生きる人々の経験をどのようにかたちづくってきたか検討する。またそのために、エチオピアでHIV陽性者として生きてきたひとりの女性の視点を通して、同国のHIV陽性者運動の軌跡をたどる記述をおこなう。この記述は一方で、エイズに対する沈黙と無関心が支配的であった場所において、病と生きる苦しみを生きのびるためのつながりが形成された過程を明らかにする。だが同時に、彼らの経験から公衆衛生の知識を照らし返すことは、現代的なHIV戦略が暗黙のうちに指し示す傾向、すなわち治療を受けながら生きる人々が抱える困窮や孤立、併存症といった苦しみへの無関心が、ふたたび制度化される傾向を浮かび上がらせる。

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2017 日本文化人類学会
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