本稿では第1に、マルセル・モースが「贈与論」において提示した存在論に着目し、それが現代的なアニミズム論との親和性を強くもつことを指摘しつつ、その存在論の時代設定を考察する。そこでは、カール・ヤスパースが「枢軸時代」として設定した歴史認識に整合するような認識が示されている。すなわち、「近代」という用語を広くとって、「枢軸時代」以降の時代を「近代」と呼び、それよりも前の時代を「アルカイックな」時代として特徴づけるという認識である。
第2に、本稿ではこの立論を確認した上で、「枢軸時代」を稜線として、それよりも前に想定される「内在論」と、それよりもあとに想定される「超越論」とを存在論的な類型としてとりだす。その上で、そのそれぞれについて予備的な考察を施す。
第3に、本稿では、モースがいう「自分の外に出ること。つまり与えること」という一節に依拠しながら、「自分の外に出る」ことが他者に〈呼びかける〉ことであるという論点をとりだし、とくに「内在論」的な文脈における〈呼びかけ〉について考察する。他者に付与される〈名前〉に焦点を置くと、〈名づけ〉と〈名乗り〉という行為論的なモメントに挿入されるべきものとして〈名指し〉というモメントを指摘することができる。そしてまた、〈呼びかける〉ものと〈呼びかけられる〉ものとの分節化以前の〈共同性〉という論点をとりだすことができる。本稿では、その共同性のもとで、〈名指し〉と〈名乗り〉の連動が発動されることを、植民地前史のマダガスカルの事象によって説明する。
第4に、本稿では、以上の考察を踏まえて、「超越論」的な文脈における〈呼びかけ〉のあり方について考察する。