少子高齢化を背景とした昨今の社会保障費の膨張に対し、厚生労働省は健康寿命の伸長に着目している。そこでは「予防」が重要な政策ターゲットとされているが、予防の効果的な実施は医療費の抑制のみならず、予防の実施により高い健康を維持することができれば、労働人口の増加をもたらすことになる。さらに、予防分野へ民間企業が参入することにより、民間投資が活発になるものと期待される。特に、健康寿命の伸長を阻害する最大の要因である生活習慣病をいかに抑制するか、という点は重要な問題であり、病気が発症していない若年期からの予防対策が不可欠なものとなる。予防行動は長期間にわたって選択・実行されるものと考えることができるが、一国全体における費用及び効果の計測は非常に困難である。そこで本稿では、若年期の予防支出が老年期における生活習慣病の罹患確率に影響するモデルを構築し、予防支出の定量化を試みる。
主な結果は以下の通りである。
(1)本稿のモデルによれば、代表的個人の生涯効用を最大化する最適な予防支出は、若年期の所得、老年期の医療費、老年期の自己負担率、予防の限界効果とは正の関係にある。つまり、これらのパラメータが増加すると、予防支出を増加させる。一方で、老年期の所得とは負の関係にあるので、老年期の所得(年金など)が増加すると若年期の予防支出を減少させる。
(2)公表データから老年期における医療費及び介護費を概算し、若年期における予防支出を数値計算により求めた結果、最適な予防支出が正の値をとるのは、自己負担率が0.104を上回るときであることが明らかになった。
今回得られた定理と数値計算の結果から、第一の政策的なインプリケーションとして、年金に依存する老年期の所得の減少は避けられない見通しであることから、生活習慣病の予防がより大きな意味を持つようになることが挙げられる。また、生活習慣病の予防行動には、罹患確率の低減による医療費の抑制のみならず、介護にかかる費用の抑制という複数の効果が期待できる。今後、社会保障制度の維持可能性のために自己負担率の引き上げが避けられない場合においては、若年期の予防支出が罹患確率の低下に寄与する疾病か否か、という視点からの検討と、より効果的な予防施策の導入・普及が必要不可欠であろう。具体的には、予防に効果のある医薬品や医療技術の開発、適度な運動や食生活改善に向けた啓蒙活動の強化、市町村のみならず民間が運営するスポーツ施設へのアクセスの利便性が高まることにより、社会厚生が向上することが挙げられる。