人文地理
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論説
ジェントリフィケーションによる「場所喪失」の経験―ベルリンを舞台とした小説を題材として―
小島 千佳
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2023 年 75 巻 2 号 p. 119-141

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抄録

本稿は,文学作品の分析を通じて,ジェントリフィケーションにおける立ち退きをめぐる問題について,定性的な考察を試みるものである。英語圏のジェントリフィケーション研究では,聞き取り調査に依拠する定性的研究により,居住者の場所喪失という犠牲の経験が論じられつつある。本稿では,文学作品の表象分析を通じて,立ち退きに伴う登場人物の場所喪失を関係論的な場所論の視座から検討した。具体的にはジェントリフィケーションを描いた,ヤン・ブラントによる小説『街の中のとある住まい』を研究対象とし,主人公をはじめとした登場人物の場所喪失の描かれ方を分析した。その結果,主人公の場所喪失は一時的なものではなく,長期にわたる精神的苦痛を伴う過程として描かれていたことが明らかとなった。他方で,旧東ベルリン居住者やトルコ系住民の場所喪失との関係において,主人公は他者の場所喪失による痛みに無自覚であるばかりか,それをロマンチックな経験へと読み替える加害者としても描かれていた。本小説は,ジェントリフィケーションにより住まいが奪われる痛みを私小説形式で伝えるとともに,個人の経験に含まれる犠牲と加害との両義性を示している。しかし,本小説における主人公と他者の痛みの描写のように,場所喪失の経験を序列化する物語は,現実に起きているジェントリフィケーションに対する想像力を方向付け,立ち退かされる人々のあいだに分断をもたらし得るという問題を内包している。

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