抄録
関東ではムクドリ Sturnus cineraceus は夏塒に多くの個体が集合することが知られているが(黒田1955 1973 など,成末ら 1987,竹中ら 1987),広域にわたる夏塒の分布状況は明らかではない.我々は余り都市化していない関東東部でムクドリの夏塒を調査し,その空間分布を分析した.調査地は,茨城,千葉,埼玉に及ぶ面積約3,000km2の地域で,平坦な耕作地帯の中に農家の屋敷林が点在する(図1).調査は1984-1986年の6月-10月に行った.日没前に,塒に向かう群を車で追い,塒をつきとめた.通常500個体以下が利用する繁殖地の近くの塒は,突発的で数日しか使われないので,夏塒には含めなかった.これらの塒の集合羽数と塒林の植生を調べ,利用時期,年数等の観察及び聞き取り調査を行った.いくつかの夏塒では2度以上センサスを行った.発見した夏塒について,IδIndexを計算した(森下 1959).Iδ<1であれば,一様分布である.これには私信により場所が判明した3塒も含めた(表1).
夏塒への集合羽数は1万弱から3万羽であった.1985年に,つくばの6番の塒が付近の住民に強制的に放棄させられた後,約1ヵ月間は色々な方法へ飛去したが,最終的に元の塒から約2km離れた所に塒が形成された(図1,表1,2,3の「6'」).塒林として特定の植生が選好されることはなかった(表2).利用年数が判明した8つの塒のうち6つは6年以上連続して利用されていた.利用時期が判明した9塒のうち8つは6月中-下旬から10月中旬まで利用され,1つは梅雨明け頃から落葉開始の頃迄利用された.IδIndex は0.4945(F-検定:F<2.275.P<0.05)で,一様分布であった.塒間の平均距離は約17kmだった.
ムクドリ等の夏塒の研究は少数の塒が対象だったり,アンケート調査に基づいたものが多い(DAVIS 1970,黒田 1960,1962,MACCARONE 1987,成末ら 1987,竹中ら 1987),本研究で関東東部のムクドリの夏塒は均一分布しており,何年も継続的に利用されることが明らかになった.CACCAMISEらも(1983)ホシムクドリ等の塒の一部は何年も継続して利用されると報告している.ムクドリは特定は特定の植生を塒林として選好しなかった.これは関東•信越地方の冬塒の竹林への選好性とは対照的であり(羽田ら 1967,水口 未発表,竹中ら 1987),これも夏塒は植生より塒の均一分布が重要である可能性を示唆している.調査地内の夏塒林は,全て10月中旬に放棄された(表2).成末ら(1987)も埼玉の夏塒が10月に放棄されると報告している.ホシムクドリの塒の放棄時期も10月頃という報告があり,DAVIS(1970)はこの群サイズの変化を生殖腺の変化と関連づけている.黒田(1960)は採食地の急激な変化を伴う稲刈りと10月中旬の塒放棄を関連づけた.近年,台風の害を防ぐため当時より早く稲を刈る傾向があるが,稲刈り時期の変化によって塒の放棄時期は変化していない,これは採食場所だけが塒放棄の決定要因ではない可能性を示す.MACCARONE(1987)は多くの集合羽数の少ない塒から少数の集合羽数の多い塒への転換には食性の変化が関わっていることを示唆した.我々の調査地では親鳥と巣立ち直後の若鳥は,営巣地付近に集合羽数の少ない塒を一時的に形成する.若鳥はその様な塒に集合する間に,充分な飛翔力の獲得等の成熟を待つと思われる.夏塒の分布パターンにもムクドリの生活史自体が深く関わっていることが考えられ,多くの換羽中の未経験の若鳥を伴ったムクドリの群にとってこのような夏塒の分布パターンは好都合かもしれない.塒形成パターンと環境との関係の解明には雛や巣立ち直後の若鳥の成長過程も考慮すべきである.また,図2に示されるように,雛の成長,換羽,落葉,果実の熟す時期等,様々な要因がムクドリの就塒パターンの変化時期にあらわれる.