本稿では, 『東京音楽学校作曲委託関係書類』を主な史料として, なぜ学校はその学校固有の歌である校歌を作るようになったのかを明らかにした。『東京音楽学校作曲委託関係書類』とは, 東京音楽学校と同校に校歌の作成を委託した学校との間でやりとりされた往復文書の綴りである。東京音楽学校には, 1907 (明治40) 年から1945 (昭和20) までに計456件の校歌の作成委託がなされている。校歌の作成は法令によって義務付けられてはおらず, 作成には資金が必要であったにもかかわらず, 学校は校歌を作るようになった。とりわけ1930年以降には, 東京音楽学校への校歌委託件数が急増する。学校は, 同校へ校歌作成を依託することで「優れた校歌」を手に入れ, 自校の校訓や理念を盛り込んだ校歌を, 式典や儀式の際に学校外部者に向けて披露した。校歌は, 周囲の環境や徳目を児童生徒のあるべき姿と結び付けることで自校の理念を体現し, 独自性を打ち出す手段だったのである。