明治期の西洋音楽受容については多くの研究が行われてきたが, 明治期に日本の学校唱歌が西洋に伝えられ, 和声付けされていたことについてはまだあまり研究されていない。本論文は伊澤修二の『小学唱歌』第一巻 (1892) が日本学者ルドルフ・ランゲと音楽家ゲオルク・カペレンによってどのように翻訳・編曲されていたのかを明らかにすることを目的としている。伊澤修二の『小学唱歌』第一巻は, 教育勅語の内容をわかりやすく歌で教えることを目的としていた。ランゲの研究論文「日本の小学唱歌」 (1900) の考察から, ランゲは伊澤修二の『小学唱歌』第一巻を深い理解に基づき翻訳していることが明らかとなった。またカペレンの編曲『小学唱歌 伊澤修二の日本の旋律』 (1903) の分析により, カペレンが日本の唱歌の旋律に複数の和音や, 複数の調性の可能性を見出し, 独自の和声付けを試みていることが明らかとなった。