ろう者・難聴者が薬剤師免許を取得する道が開かれたのは2001年のことである.免許取得者は増え続け,薬学部に入学するろう・難聴学生も続出している.これまでに薬剤師免許を取得し,社会に出たろう・難聴薬剤師の役割を理解すれば,自ずからろう・難聴薬学生を教育する意義が導き出されるだろう.筆者が考えるその役割とは,ろう・難聴者と聴者との間のコミュニケーションの課題が具体的に明らかになり,当事者の視点でその解決方法を提供することである.1つは服薬指導などにおけるろう・難聴患者–聴医療従事者間の課題で,もう1つは一緒に働くにあたってのろう・難聴薬剤師–聴医療従事者間の課題である.それらの課題や,解決に向けた活動を紹介する.薬学教育にも「文化モデル」の視点で「ろう・難聴」「日本手話」を取り入れてコミュニケーション豊かな薬剤師を輩出して頂ければ幸いである.
In 2001, Deaf and Hard of Hearing (DHH) people started to be legally permitted to obtain a license to practice pharmacy in Japan. Since then, the number of license holders has continued to increase, and there have been some DHH students who enrolled in colleges of pharmacy. Understanding the role of DHH people who obtained a license as a pharmacist and entered the workforce would help us better understand how meaningful it is to provide pharmaceutical education for DHH students. According to the author, it is important for pharmacists who are DHH to be empowered to educate hearing medical professionals regarding communication challenges so that DHH patients and licensed pharmacists experience can help to address communication challenges. Both DHH patients and DHH pharmacists experience communication challenges with hearing medical professionals because of a lack of knowledge about Deaf culture and sign language. There continues to be communication challenges between DHH patients and hearing medical professionals as well as between DHH pharmacists and hearing medical professionals. In this article, we will identify communication challenges and discuss actions that can be done to address the challenges. It is my hope that “Deaf and Hard of Hearing” and “Japanese Sign Language” issues will be discussed in term of Cultural Model in pharmaceutical education to train students on how to learn communication skills that can be used when giving medication counseling to DHH patients and when working with DHH licensed pharmacists.
ろう者・難聴者の薬剤師が誕生してから歴史はまだ浅い.以前は薬剤師法第4条に絶対的欠格事由が定められており,耳のきこえないものには免許が与えられなかった.全日本ろうあ連盟を初めとする,多くの団体の運動により,医師法を初め様々な法律から聴覚を理由とした絶対的欠格事由が撤廃された.薬剤師法に関していえば,2001年に絶対的欠格事由から相対的欠格事由に変わり,きこえない人にも薬剤師免許を取得する道が開かれるようになった.筆者は先天性のろう者で2003年に薬剤師免許を取得した.
ろう者・難聴者の薬剤師免許保持者数や医療機関での就労者数は正確なところは明らかになっていない.参考として,2010年12月~2011年4月に栗原らによって行われた調査では,回答のあったろう・難聴の薬剤師10名のうち,1名は病院に従事し,7名は保険薬局にて従事していた1).また「聴覚障害をもつ医療従事者の会」のHPによると2019年11月時点で薬剤師会員は21名と掲載されている2).おそらくその倍以上の薬剤師が存在しているというのが筆者の所感である.
さて,ろう者・難聴薬剤師は薬剤師として社会に貢献できているのだろうか.これは免許を取得すること以上に大切な視点である.
まず,病院と保険薬局においての勤務状況を見てみよう.きこえる方々には調剤や監査,在庫管理などの裏方的な仕事はきこえなくても出来ることは想像がつくと思うが,服薬指導やチーム医療など対面コミュニケーションが必要な仕事が出来るのかどうか疑問に思われるだろう.筆者は20人前後のろう・難聴薬剤師と交流を持っており,それぞれが職場と話し合った上で可能な範囲を決めて対面業務を行っているという印象を受ける.その範囲は残存聴力の程度だけが決定要素ではないことを強調したい.手話が出来るなど他職員のフォローが得られるかどうかのチーム体制,または馴染みの患者の利用が多いかどうか,一人の患者に時間をかけてゆっくり応対出来る薬局かどうかなどの環境的な要素にも左右される.米国では,少数ではあるが職場から専属の手話通訳者を付けてもらい患者応対やチーム医療に貢献している医師と看護師がいる.スピードが要求される救急医として手話通訳者と共に従事している人もいる.筆者は全米のろう者・難聴者の医療従事者が集うAMPHL conferenceに出席し,交流をした3).先に紹介したろう救急医と専属の手話通訳者による救急現場を設定したワークショップもあった.専属の手話通訳者を得られた人の講演も拝聴した.彼らは自らの労働について活き活きと語っており,自信あふれる表情がとても印象的であった.このように,対面業務においても活躍できるかどうかは,コミュニケーション保障が得られる環境にあるかどうかという点も重要な要素である.
次に,ろう者・難聴者の薬剤師が社会においてどのような役割を果たしているかについて記述していきたい.大きな柱としては2つあり,1つめは医療現場におけるろう・難聴患者とのコミュニケーションの課題について具体例を見出し,当事者の視点から解決方法を提供する役割がある.自らと同じ視点からろう・難聴者の患者への服薬指導において,職能を発揮し,これらの患者により適切な薬物療法を提供することが出来る.これまで伝わっていると思われていたことが実際は伝わっていなかったというようなケースを発見し,それらの解決に向けて活動をすることが出来る.
まずは,筆者が行っているろう患者への受療権向上に関する取り組みを紹介したい.現職においてろう患者が入院された場合は,入院病棟の担当薬剤師の協力を得て,出来る限り筆者が日本手話で担当するようにしている.また,外来患者の場合も当センターは院外処方であるが,ろう患者の希望や処方医の依頼などに応じて院外処方箋について服薬指導を行っている.2019年度の服薬指導件数は入院40件,外来15件であった.現在外来に関しては体制がより整いつつあり,2020年4月から7月までは4ヶ月で13件と,増加している.ろう患者に対しては筆談で服薬指導をすればよいと思われがちであるが,実際はそうではなく日本手話が必要な場面が多い.ろう者は視覚言語である日本手話を習得することは出来るが,音声・書記言語である日本語を習得することは大変困難なため,筆談のみではコミュニケーションがほとんどとれない人もいる.実際に誤って服用していた例,重複していた例および薬剤の副作用が見過ごされていた例などが,筆者の日本手話による応対によって見出され,より適切な薬物療法の提供に至った経験は多数ある4,5).
現職の患者以外にもろう者は多数いる.筆者はそれらのろう者の医療コミュニケーションを向上するために,休日を利用して講演活動を年15~20回ほど行い,相談会活動なども行っている.講演の主な対象者はろう者(ろう学生含む),手話通訳者,医療従事者の3つである.ろう者へは直接のヘルスリテラシー向上に,手話通訳者へは医療通訳に必要な知識と通訳技術の向上に寄与し,医療従事者へは病院などからの依頼でろう患者への対応方法についてお話ししている.また,手話動画で医療情報の提供も行っている.インターネット上では大阪府薬剤師会で作成したろう学校の小学校6年生対象の「くすりの正しい使い方」が公開されている6).これらの活動をより広げるために,日本手話が出来る医療従事者の仲間と「関西ろう者医療保障研究会」を2019年4月に設立した7).ろう薬剤師は筆者の他にも2名が役員として活動している.この研究会はすべてのろう者が安心して医療を受けられる社会を目指して活動する団体であり,特に日本手話による情報提供に力を入れている.直近では当会役員と直接手話で相談が出来る「オンライン医療相談」を試行で開始したところである.
ここまで筆者の活動内容を紹介したが,他のろう者・難聴者薬剤師も同様に活動している人は複数いる.保険薬局ろう薬剤師からは,「ろう患者の在宅を担当している」,「ろう患者のかかりつけ薬剤師をしている」という話を聞く.他にも書籍「医療の手話シリーズ」や「手話で学ぶクスリの教科書」 8) の編集に携わっていた人や医療機関における設置手話通訳者の普及と医療通訳の質の向上を目指して調査研究を行っている9) 人もいる.
ろう・難聴薬剤師のもう1つの役割は医療現場においてスタッフ間のコミュニケーションについて,再考するきっかけとなることである.一緒に働くことによって,今までの「口話のみによるコミュニケーションではうまくいかない」というこれまでにはなかった現実に直面する.チームワークを発揮するためには,ろう・難聴薬剤師とも等しく情報を共有し,心の通い合うコミュニケーションをはかることが欠かせない.
ろう・難聴薬剤師が入職したことをきっかけに,これまで口頭のみで伝達していたところを,「ノートや文書も用いて周知するようになった」,「会議のレジュメと議事録を作成するようになった」,「同僚が手話を学ぶようになった」という話を聞く.連絡事項などを文字などの視覚情報によっても伝達するようになることは,ろう・難聴薬剤師だけではなく聴薬剤師にとっても有益なことである.レジュメや議事録の作成は会議目的の明確化と効率化につながる.筆者が新卒のときに勤めた会社では定期的に手話の勉強会が始まり,筆者の退職後もその地域の宇和島市薬剤師会で手話講習会が開催されるに至り,そのうちの何名かはろう者に服薬指導が出来るレベルにまで手話を習得した10) .このことは,とても嬉しく今でも強く印象に残る.
また,ろう者・難聴者薬剤師が職場など社会において活躍するためには,手話通訳者や文字通訳者などの協力が不可欠である.筆者は現職での朝礼や会議においては院内の手話通訳者に,時間外の勉強会は予算の範囲内で外部の手話通訳者に通訳して頂き,内容を把握している.職場外でも,日本薬剤師会や日本病院薬剤師会の学術大会などに手話通訳者を派遣して頂いている.こういった薬剤師同士の会話の通訳場面では,通訳者は医療の専門知識と高度な通訳技術の両方が必要であり,より質の高い通訳を提供して頂くために,筆者の呼びかけで2018年より10名ほどの手話通訳士と手話のできる医療関係者が有志で集まって勉強会を開き,知識と技術をお互いに提供しあっている.そして,薬剤師が集う学会や勉強会の通訳を,出来る限りこの勉強会メンバーに依頼し,経験を積んで頂いている.この取り組みを行ったことでメンバーの医療学術分野の通訳技術の向上が実感出来ている.ここで研鑽した通訳者は筆者に対してだけでなく,他のろう薬剤師の通訳にも貢献している.このように,ろう薬剤師はろう医療従事者が勉強する際の手話通訳者の知識と技術向上にも寄与できる.難聴薬剤師も,音声を文字に変換するPC通訳者の技術向上に関与している人や,音声文字変換アプリを職場や学会への導入に向けて取り組んでいる人がいると聞く.
ろう・難聴者の薬剤師が社会に出てきたことによって,医療分野において見えてこなかった課題が見出せるようになった.私たちは当事者の視点からその解決方法を提案することが出来る.課題に取り組むことによって,医療現場においてきこえる人ときこえない人とのコミュニケーションがより改善される.筆者と一緒に働いた薬剤師や事務員の中には,手話を学び始めた人もいる.そこで学んだことはきこえる人同士のコミュニケーションにも活かされるようになったという嬉しい感想も聞かされ,社会全体にとって大きな意義のあることである.
これからの薬学教育においても私たちの活動を参考にし,コミュニケーションバリアフリーの視点を取り入れて頂くことで,より豊かなコミュニケーションの出来る温かい薬剤師をたくさん輩出できるようになるのではないだろうか.これは多文化共生を目指している現代社会において求められる能力である.ぜひ,教育現場にろう・難聴薬学生を受け入れ,情報・コミュニケーション保障整備をしてはどうだろうか.その過程で学内のきこえる人ときこえない人がお互いに学びあい,尊重しあえる素晴らしい環境が築き上げられていくであろう.また,ろう・難聴患者とのコミュニケーションをカリキュラムの中に取り入れて頂きたい.実際にいくつかの薬学部で「ろう・難聴」をテーマにした授業が取り入れられ,筆者も何度か講義を担当している.学生のコミュニケーションツールに対する意識の変化が見られたという報告もある11).
最後になったが,本稿はこれまで1度も「聴覚障害者」という言葉を使用していない.それはきこえないことを「医学モデル」ではなく,「文化モデル」として発信しているためである.「文化モデル」においては,障害ではなく言語的少数者としてみなされる.特にろう者は「日本手話」という「日本語」とは異なる文法や体系をもった言語でコミュニティを構成しており「ろう文化」が成立している12).このことを理解し,アプローチすることがきこえない人と相互理解をするために重要なのだが,医療の世界での導入はこれからである.私自身も様々な聴者と交流しているが,中でも「文化モデル」アプローチをしてくださる人には心を開きやすく,私も相手を理解しようという気持ちになれる.将来,「文化モデル」の視点から「ろう・難聴」「日本手話」を薬学教育に導入してくださった先には医療現場にもきこえる人ときこえない人がお互いに尊重しあって,皆がより健康で活き活きした人生を送れる社会になっていくことであろう.
発表内容に関連し,開示すべき利益相反はない.