2023 年 7 巻 論文ID: 2022-006
医療におけるプロフェッショナリズムの主要な要素として,卓越性,人間性,説明責任,利他主義があるが,共感(empathy)は人間性に含まれる重要な要素である.医療者の共感の代表的な定義に「患者の内的経験および視点を理解し,患者にその理解を伝える能力を伴う認知的属性」というものがある.医学教育によっていかに学習者の共感を涵養できるかは大きな課題である.患者が語る病いの物語(ナラティブ)を医療に応用する能力,すなわち「ナラティブ・コンピテンス(物語能力)」が共感教育の鍵となる.患者ナラティブの活用手法として,患者の語りデータベース「ディペックス(DIPEx)」があり,インターネットで視聴できる.また,当事者に体験を語ってもらう「患者講師(patient storyteller)」の養成も重要である.ディペックス動画や患者講師を授業に活用した事例では,学生が患者の苦悩や心理の理解に迫っており,共感の涵養につながる可能性が示唆された.
While excellence, humanism, accountability, and altruism are key elements of professionalism in healthcare, empathy is an important component of humanism. A typical definition of empathy by medical professionals is “a cognitive attribute that involves an understanding of the inner experiences and perspectives of the patient, combined with a capability to communicate this understanding to the patient”. How medical education can cultivate empathy in learners is a major challenge. The key to empathy education is narrative competence, which is the ability to apply the patient’s narrative of illness to medical care. As a method of utilizing patient narratives, there is a patient narrative database called DIPEx, which can be viewed on the Internet. It is also important to train “patient storytellers”, patients who can talk and share their experiences. In case studies where DIPEx videos and patient storytellers were used in a class, students came closer to understanding the suffering and psychology of patients, suggesting the possibility of cultivating empathy.
医療におけるプロフェッショナリズムにはさまざまな定義がある.Arnoldらは,臨床能力・コミュニケーションスキル・倫理的および法律的理解の土台の上に立つ,卓越性・人間性(ヒューマニズム)・説明責任・利他主義の4つの柱で定義している1).また,ジェファーソン医科大学のグループは,プロフェッショナリズムの重要な3要素として,共感,チームワーク,生涯学習を挙げている2).
共感(empathy)は,プロフェッショナリズムを構成する重要な要素である.Arnoldらのモデルでは,「人間性」の中に,共感をはじめ,敬意,思いやり,誠実,高潔などが含まれる1).共感の定義にもいくつかのものがあるが,その代表的なものは「共感とは徹底した感情移入を伴わずに,他人の見解・経験・感情を理解する人間の能力である」というものである3).また,Hojatらは医師の共感を「患者の内的経験および視点を理解し,患者にその理解を伝える能力を伴う認知的属性」と定義している4).ここでは二つのことに留意されたい.一つは,共感とは主に認知的属性であり,感情的属性が中心となる同情(sympathy)とは異なるということである.その意味では,日本語の「共感」には両者の意味が含まれることが多く,学術的な意味での「共感(empathy)」とはニュアンスが異なる.もう一つは,Hojatらの定義には「患者に伝える」という行動的要素が含まれることである.
共感が医学教育によっていかに涵養されるかについては,欧米とアジアで違いがあることが分かっている.ジェファーソン共感尺度(JSPE: Jefferson Scale of Physician Empathy)によって測定した医学生の経年的な共感スケールの国際比較の論文では,アメリカや英国では高学年において共感が低下あるいは不変だったのに対して,韓国や日本では上昇傾向となることが示された5).ジェファーソン共感尺度は「医師は患者に治療を行なう際,患者の視点で物事をとらえる努力をすべきである」など20項目の質問からなる測定尺度であり,得点が高いほど患者への共感的な態度を有していることを表す6).
欧米と日本で医学生の共感の発達に違いが見られたことは非常に興味深い.しかしながら,その要因を探るのは容易ではない.おそらく文化の違いというよりは,医学生の学習環境や労働負荷の違い,隠されたカリキュラム(hidden curriculum)の影響など複数の要因が絡み合っている.例えば,アメリカの医学部高学年では,日本における研修医と同程度の業務が求められるため,感情的消耗が起きていると言われている7).
医学生の共感に影響を与えるものには,関連因子として性別,年齢,自分自身や家族の大きな疾病体験,臨床志向性,対人系診療科の志向性などがある7,8).また患者と接する体験学習やコミュニケーション教育にとって共感は向上する一方9,10),進級や臨床実習7,11),上級医や上級生の態度(隠されたカリキュラム)12,13) によって共感が低下することが分かっている.進級や臨床実習が進むほど共感が低下するとは皮肉な結果にも思えるが,生物医学モデルの視点を獲得するほど,患者視点から離れ専門家視点に近づいていくためと解釈される.
「隠されたカリキュラム」は医学教育において大きな課題である.斉藤はその影響について次のように述べている.「学生や研修医は,授業において,利他性,共感性,省察性,倫理性などの『医療者としての美徳』を教えられる.しかし,彼らが臨床実習や実際の職場において直面するのは,そのような『原則』とは正反対の現実である.このような状況において,多くの学生や研修医は『どうせ世の中なんてこんなもの』という冷笑的な態度を身につけるか,自省的な態度を放棄して,『美徳』を他人には語るが自分では実行しようとしないような,非自省的な態度を身につけてしまうことになる」と14).すなわち,この冷笑的な態度の獲得が共感を損なうと考えられるのである.
こうした状況を鑑みるに,医学生あるいは研修医の共感を涵養し,それを向上させるための教育を発展させることは世界的な課題であり,欧米においてもまだ不十分な現状が見えてくる.共感が「患者の視点や経験を理解する」という主に認知的な属性であることを考えると,患者視点を深く認知し理解させるための教育とは何かが中心的な課題である.これに対して,患者のナラティブ(語り・物語)が大きな役割を果たす可能性がある.
ナラティブ(narrative)には「物語」と「語り」という二つの意味がある.精神科医で医療人類学者のA.クラインマン(Arthur Kleinman)は「病いのナラティブは,その患者が語り,重要な他者が語り直すストーリーであり,患うことに特徴的な出来事やその長期にわたる経過を首尾一貫したものにする」と述べている15).患者にとって病気は,客観的なデータではなく,主観的な病いの物語なのである.
患者の視点や価値観を考慮し,患者から見た主観的世界観を医療に取り入れるアプローチを「ナラティブ・アプローチ」と呼ぶ16).このアプローチにおいては,患者を物語の対象ではなく「主体」として尊重する.また,R.シャロン(Rita Charon)は患者のナラティブを医療に応用する能力を「ナラティブ・コンピテンス(物語能力)」と呼んでいる17).すなわち,患者の言葉に耳を傾け,病いの体験を物語として理解し,解釈し,尊重することができる能力や,患者が置かれている苦境を患者の視点から想像し,共有することができる能力などを指す.「患者が置かれている苦境を患者の視点から想像」する能力とは,すなわち患者(他者)視点を理解しようとする認知的能力であり,これは共感(empathy)の定義とほぼ重なる.患者のナラティブを汲み取ろうとすることは,すなわち共感の行為と考えてよいだろう.
医学部における共感教育の試みとして,さまざまなことが実践されており,その一部に,患者のナラティブ動画の学習や,患者講師による体験談の講演など,「患者の語り」を活用した教育手法が挙げられている.その他には,患者のシャドウイング,入院体験,ロールプレイ,演劇的手法,文学の活用などが共感教育として実践されている18).
患者のナラティブの動画教材を用いた教育は,医学生や研修医に対して患者視点を理解し,患者に対する共感を高める可能性を持つ手法である.医学生に限らず医療多職種の教育・研修にも有効である.代表的な動画教材として,患者ナラティブのデータベースであるディペックス(DIPEx: Database of Individual Patient Experience)を紹介する19).ディペックスは英国オックスフォード大学の研究者が2001年に立ち上げた患者体験のデータベースとして始まり,現在では「健康と病いの語りデータベース」として世界中に広がっている.我が国では,認定NPO法人健康と病いの語りディペックス・ジャパンが運営するサイト注1)において,現在8種類の当事者のナラティブが視聴できる(乳がん,前立腺がん,認知症,大腸がん検診,臨床試験・治験,慢性の痛み,クローン病,障害学生).一つの疾患につき複数の当事者が,複数の場面(診断時,治療時,再発時,生活面など)における体験を語っており,多様性や信頼性の担保に留意されている.語り手の事情により音声のみや文章だけの場合もあるが,ほとんどは当事者が顔を出して語る映像を視聴できるのが特徴である.患者や当事者本人が語る体験談のため,リアリティがあり説得力がある.医学生と看護学生に対してディペックス動画を活用した授業を行なった効果を質的に分析した研究では,「医療者が患者の思いを知るのに役立つ」「同病者に役立つ」「生の声でリアル」「実習に向けて活用したい」といったテーマが抽出され,学生が動画を通して患者の心理をリアルに想像し,患者の意思や価値観の理解に迫ろうとしていることが伺えた20).同じく,ディペックス動画の乳がん患者の語りを薬学生の教育に応用し効果的であった研究も報告されている21).
筆者は,医学生の医療コミュニケーションの授業においてディペックスを活用した経験がある.医学部4年生の医療面接実習の導入授業として,患者-医師関係,医療コミュニケーション,患者への共感といったテーマの講義に続いて,乳がん患者の語り(診断されたときの気持ち)を視聴してもらった.表1にその動画のスクリプトの一部を紹介する.
〈インタビュー42:診断時27歳,インタビュー時33歳〉 先生が,まず,わたしの目を見てくれなくって,で,「結果どうだったんでしょうか」って聞いたら,わたしじゃなくて母のほうを見て,先生が「あの,残念ですが,悪いものでした」ということをおっしゃって,で,「かわいそうだけども,右のおっぱいを全部とることになります」っていう説明を受けたんです.ただ,まあ,そのときにも,ピンとこないっていうのが現実で,最初に先生に言ったせりふが「先生すみません,誰のこと言っているんでしょうか?」って聞き直したら,先生が,「残念ながら,あなたのことですよ」っておっしゃったんです.で,もう,ほんとにピンとこなくて,もう突然のことだったので,ただ,こう漠然と怖いっていうのは最初にあって.やっぱり,がんという響きがものすごく怖いものだったので,何か,今,すごく怖いことを言われたっていうのが感じて.でも,涙は出てこなかったんですね,びっくりしすぎて.で,じわじわとこう何かこう怖いなって感じていたら,わたしの前に母がわあっと泣き出してしまったもんですから,で,もう,どっちが患者さんだろうというぐらい.わたしは,もう,母をずっと慰めて,診察室では.「もう,しかたないよ,しかたないよ」って言って,母の肩をこう叩きながら,慰めたのが,一番最初の告知だったんですけど. |
授業後の学生のアンケートでは,「医療者にとってありふれたことでも,患者さんにとってはそうではないと感じた」「相手にとっては人生を左右する告知だから共感を示す態度などが必要だろう」「患者さんと医師の間に病気・病名に対する認識の違いが大きいと感じた」「患者が求めている思いやりの気持ちに,必ずしも医療従事者は応えられていない」などの記述が認められ,学生は患者ナラティブの動画を通して,患者の苦悩や価値観,医療者と患者の認識の違いなどに関する気づきを得ていた.
動画教材は比較的簡便に当事者のナラティブに触れることができ,一場面のみ再度視聴することもできるため,授業内での活用が容易である.しかしその一方で,動画の場合,視聴者は語り手に強い印象を持ちやすく,特定の語りを代表性があるものと誤解する危険性がある.また,動画は一方向で質問ができないため,相手を正しく理解できたか確認できないという点もある.これらを考慮して,適切に動画教材を選択し活用することが求められる.
長年,「当事者の語り」の教育活用は,闘病記の活用や,実際の患者が授業に参加する当事者参加型授業が主流であった.しかし,実際の患者に教育に参加してもらう際の課題として,倫理的問題,医学生の学習機会の確保・教育の質の担保,「患者講師」の養成の難しさなどが存在する22,23).近年ではこうした課題のため,臨床実習前の教育では模擬患者の活用が主流となっている.とはいえ,医学教育の現場で効果的な語りができる「患者講師」を養成し,早期より医学生の教育に活用することには大きな意義があるだろう.患者講師(patient storyteller)の医学教育への活用は海外において,患者の視点を医療に取り入れ,患者中心のケアを行なう上で効果的であることが報告されている24,25).しかしながら,患者講師を養成するためには長期的な計画と評価・フィードバックができる仕組み作りが不可欠であり,我が国においては患者講師の教育活用に関する報告は少ない.
筆者は,患者講師を養成しているNPO法人患者スピーカーバンク注2)に協力してもらい,患者講師(患者スピーカー)を医学生の授業に活用する試みを行なってきた.患者スピーカーバンクにはさまざまな慢性疾患の病歴を有する当事者が在籍しており,複数の大学の医学部・看護学部・薬学部などに患者講師を派遣している.また患者講師が語る講演内容は作成サポートやフィードバックを経てブラッシュアップされており,授業の担当教員とも打ち合わせを行ないながら実践される.表2は,実際に授業で話をしてもらった患者講師による講演内容の一部である(図1が授業風景).
〈40代男性:慢性腎臓病,慢性疾患看護専門看護師として病院勤務〉 私が慢性腎臓病と付き合ってきた中で出会った,大学病院の医師の言葉から「希望が見えない言葉は病人をつくる」,男性看護師の言葉から「相手を思う言葉は病人を強くする」,そして透析クリニックの医師の言葉や立ち振る舞いなどから「寄り添い続ける言葉は病人を人間にする」ということを学びました.私が皆さんに伝えたいメッセージは,「医療者の言葉が,患者を病人にも人間にもする」ということです.最後に,皆さんは将来医師になります.病いを抱えた人に皆さんは,どんな言葉をかけ続けますか? |
患者講師に協力してもらった際の授業風景
医学部4年生の授業において,患者講師の講演を約30分行なってもらった後に,講演を聴いて感じたことや考えたことを小グループで話し合ってもらい,その後,患者講師との質疑応答を行なった.授業後の学生のアンケートからは「『いい子にしていれば治る』など,その人に配慮した発言であっても,後からその人を傷つけるということが分かった」「患者さんに対し,気の毒だという丁重さを表すことが是と考えていたが,そのような扱いは『腫れ物扱い』と映ることもあり,病気に着目しがちな医師の視点から離れることも大切である」「患者の言葉そのものに反応するのではなく,その発言の裏にどの程度の不安や動揺があるのか考え,話を聞かせてもらう」など,学生がそれまで予想していなかったような患者心理への気づきや,患者ケアにおける洞察などが記述されていた.
患者講師に参加してもらう医学教育は,適切に養成された患者講師の利用性など課題はあるものの,実際に目の前の当事者が語りかけてくるため,学習者に緊張感や臨場感をもたらし,当事者への敬意や気遣いとともに共感を涵養する効果が期待できる.
医療者のプロフェッショナリズム教育において不可欠な共感(empathy)の涵養を中心に,患者のナラティブを活用した教育手法について概説した.正解を求めがちな理系頭の学生たちに,決して唯一の正解のない「問い」を投げかけ,深く考えさせることが,共感や人間性の教育においては重要ではないかと考えている.本文で紹介した40代男性の患者講師が,講演の冒頭で学生たちに発した「問い」を,筆者は今でも忘れることができない.
「皆さんは,この問題を解くことができますか?目の前の患者さんに『先生,助けてください!先生,病気を治してください!お願いですから……』と言われました.皆さんなら,どんな言葉をかけるでしょうか?」
この患者講師の言葉を通して,教育者である筆者も多くのことを学ぶことができた.共感や人間性の教育は「教える」というよりは「共に学ぶ」ものであり,あるいは,元々ある萌芽を「守り育てる」ものと言えるのではないだろうか.本稿が医療者教育において患者のナラティブを活用するための一助となることを願っている.
本稿を執筆するにあたり,多くの示唆を頂き,また写真をご提供いただいた香川由美様,ならびに授業にご協力いただいたNPO法人健康と病いの語りディペックス・ジャパンおよびNPO法人患者スピーカーバンクの皆様に心より感謝申し上げます.
発表内容に関連し,開示すべき利益相反はない.