2023 年 7 巻 論文ID: 2022-055
本稿は,令和3年8月に行われた第6回日本薬学教育学会シンポジウム「どう伝える?医療プロフェッショナリズム~医学部のこれまでと薬学部のこれから~」で発表した「薬学部におけるプロフェッショナルを考える―卒業時にどこまで到達するか―」という講演の内容をまとめたものである.帝京大学薬学部では,ディプロマ・ポリシー(DP)に「プロフェッショナリズム」という言葉を用いている.現行(平成25年度改訂版)の薬学教育モデル・コア・カリキュラムには含まれていないが,DPに使用した以上,1年生から考えさせなければならない.しかし,プロフェッショナリズムとは,大きな一般的概念の下に,〇〇におけるプロフェッショナリズム,という具体性のある場を繋げて考えてゆかなければならないものであり,この〇〇にはとても多くの場が含まれる.国家資格のない学生に,プロフェッショナルという概念をどのように伝えるか,筆者が薬学6年制教育の開始以来,考え続けてきた「大学における薬学生のプロフェッショナリズム」についての概略と教育に用いた方法を紹介し,今後の教育をどう発展させるか,という私見を込めて記載した.
This paper summarizes the lecture “How to Communicate Medical Professionalism: The Past and Future of the School of Pharmacy” presented at the 6th Academic Meeting of the Japanese Society for Pharmaceutical Education held in August 2021. Although it was not included in the Model Core Curriculum (2013 edition), Teikyo University’s Faculty of Pharmaceutical Sciences used the word “professionalism” in its Diploma Policy (DP). If the word was used in the DP, it was assumed to be included in the program from the first year. However, professionalism is a broad, general concept that must be connected to specific, clinical situations. The author offers his opinion and some methods on how to develop professionalism in students from the start of the six-year pharmacy education program to graduation.
本学部の1年生後期の討論を含んだ演習で,ソムリエのシナリオを例に挙げて討論させた際,プロフェッショナルとは何かと問うたところ,「仕事で金を稼げる」,「その道のスペシャリスト」,「アマチュアではない人」,といった返答が返ってきた.プロを意識する場合,それぞれの場における行為,行動を合わせて1つ1つ考えてゆくことが重要と考え,本講義では一流のソムリエと,ワインコレクションでは世界一と言われるワインコレクターの2名が登場する物語を題材に,プロフェッショナルとスペシャリスト,プロフェッショナルとアマチュアの違いを考えた.
討論の結果,まず,プロフェッショナルとアマチュアの違いについて,多くの1年生は両者の違いを,お金を稼ぐかどうかという点だけで認識していた.なぜ国民がプロに対価を支払うかという視点,つまり,プロの仕事は仕事に対して対価を払うだけの十分な価値あるものである,という考えに及ぶ学生は少なかった.また,プロフェッショナルとスペシャリストの違いについては,両者の専門性,能力等の根本は同じであると感じ,両者の違いを認識することは1年生には難しいようである.そこで,「オタク」という概念を入れて再度,討論してみると,「誰のために」専門性を高めるか,「社会のニーズの答えた専門性」なのか,という観点に気づく学生が多くなった.プロフェッショナルと違ってスペシャリストや「オタク」では,手段が目的化していることに気づかせることが大切であると感じた.
大部分の学生は,入学時点では医療人ではないが,卒業して免許を取れば医療人になれると漠然と感じている.その背景にある今までの教育環境を考えると,13歳のハローワーク(2003年)の概念が潜在的に大きな影響を与えているように感じた.13歳のハローワークの本来の目的は,社会勉強の一環として,世の中にはたくさんの仕事があり,それら1つ1つに大きな目的があり,職業は生きるための手段ではなく目的であるということを感じることが第一義であると筆者は思っている.しかし,教材として教育に一部切り取られて導入されたのか,ただ若者が自分の将来を早く決め,その目的に向かって勉学に邁進する手段に使われていると感じることがある.決して,13歳の時点で「どんな職業に就きたいか,何になりたいか」を問うているわけではないのではないか.13歳で自分の将来を自分の力で決められる生徒はどのくらいいるのだろうか.この例もいつの間にか目的と手段が取り違えられている例である.
日本財団が2018年10月に行った18歳意識調査「第4回―働く―」1) では,図1に示すように18歳の時点で将来なりたい職業が決まっている学生は2人に1人以上であるが,果たしてなりたい職業が決まっている,と回答した学生だけが薬学部に来ているのであろうか.また,仕事よりもプライベートを優先したいという学生は2人に1人,決められた時間,場所で働きたい,という希望者が30%もいる18歳の集団には,入学後早い時期から医療人としてのプロフェッショナリズムを継続して伝え続けることが必須と感じる.なぜ,プロにならなければならないのか,という命題に納得すれば,学生のその後の大学生活が大きく変わる事例を数多く経験した.
18歳意識調査「第4回―働く―」(抜粋)日本財団.2018年10月17~19歳800人を対象.
このような偏差値だけでは測れない能力を引き出すには,それなりの覚悟と環境が必要である.最近,帝京大学薬学部1年生の授業で,シミュレーターを大講義室に設置し,大画面にモニターを提示した医学部の臨床大講堂的な環境を作り,喘息患者に対して適切な薬物が選択されないと,どのような帰結となるのか,また,投与方法を誤るとどのような状態になるのか,ということを感じてもらう教育を開始した.シミュレーターではあるが「死」とはどのような薬物の投与で起こるかをぜん息患者で実施してみた.「β遮断薬とβ作動薬,似たような名前だけど,誤ると患者が死に至ることを学んだ」,という感想を述べた学生に,この2つの薬は自動車でいえばアクセルとブレーキ,決して似ていないので,これからしっかりと学ぶよう指導したことがある.アナフィラキシーショックに対して,アドレナリンの筋注と静注で比較したプログラムでは,アドレナリンの投与形態の違いがもたらす生死を目の当たりにし,学生の薬物投与経路に関する意識が大きく変化した.このような事例からも18歳の意識は,薬系教員とは大きくかけ離れていることを認識した上で,カリキュラムを策定することがとても重要であると感じた.
「まず定義を教える」,という声が多く聞こえてくる.定義や綱領などの一般論を教えただけで,わかったような気にさせる,教えた気になる教授錯覚とは決別しなければならない時代である.高校3年を終了したばかりのフレッシュマン1年生の時に,基本事項として大きな概念を教え込むだけでは,6年間,いや生涯にわたってプロフェッショナルとは何か,を考え続ける学生は決して育たない.ぜん息患者へのβ遮断薬の服用,アナフィラキシーショックへのアドレナリンの静注で起こる状況を1年生で経験しただけでは忘れてしまうことが多い.病態,薬理,薬剤学をはじめ,薬物治療学における症例検討,卒論研究課題の発見と解決の6年間に,専門科目と並行して常に「その場におけるプロフェッショナルとは何か」,を問う環境を継続的に与え,それぞれの場,事例に見合ったプロフェッションを考える機会を与えることが重要である.
CBTや国家試験のために合理的に1つの結果を求める姿勢も重要ではあるが,医療人の在り方をじっくりと考える過程を経験させ,習慣化させることこそ,学生時代も最も重要な教育だと思う.最近では,医療系職能養成校や専門学校でも,患者や地域住民を念頭に,プロフェッショナリズムを考える習慣を醸成させている時代である.カリキュラムに考えるとき,自分の大学のプロフェッショナル教育への自問自答を行わなければ,もはや大学とは言えないのではないか.
難しいことを考えさせるだけではなく,将来,降りかかってくる問題に,1)当事者意識を持つ(自分のこととして考える姿勢),2)自分の能力を十分に発揮する(自己研鑽の姿勢),3)相手の人生に価値ある影響を与える(相手の立場で考える姿勢),4)ベストで臨める健康状態(健康管理の姿勢)で臨む姿勢を醸成するため,アクティブ ラーニング等で繰り返し問題提起し考えさせることが,今後の薬系大学で行わなければならない最も重要なプロフェッショナル教育ではないかと感じている.
薬剤師として,医療人としてのプロフェッショナルを,薬剤師免許を持たない卒業時に達成することは困難と感じる.「薬剤師の資格を持った時から,印鑑1つ押すたびに,自分のプロフェッショナルを発揮できたか問う機会となっています」,という卒業生の言葉が忘れられない.医学教育では,免許取得後2年間の研修期間がある.免許取得後の卒後研修システムがない薬学部とはその到達点は異なると思う.薬学部の場合,プロフェッショナリズムは学部時代からシームレスに,経験した環境に応じて一生涯にわたって考え続ける姿勢を持たせることこそ,卒業時に身につけておかなければならない資質,能力だと感じている.
良い仕事をすれば,患者,地域住民,仲間,組織に役立つことを相手が評価してくれる.評価を期待して行うのではなく,行った結果が評価されるという感覚は,巡り巡って自分に返ってくる.倫理,プロフェッショナルとは,自己や家庭を犠牲にすることではないことに気づかせることが,学生の将来を考えた時,最も重要なことである.正解は1つではなく,状況に応じて多様な考え方があり,それを状況に応じて適切に判断する能力の醸成が必要であると痛切に感じる.
「できる」で止めるのか,「する」ようにするのかは教員の覚悟次第である.答えのない問題,正解が1つでない問題について考え続けることができるか,実際に行動することができるか,そして我々自身が実際にそれらを実践しているのだろうか.教職に立つ者として振り返ることの重要性を再認識することを忘れてはならないと思うこのごろである.
帝京大学薬学部の授業「薬学への招待2」に関わってくださった帝京大学薬学部 厚味厳一先生,丸山桂司先生に心からお礼申し上げます.
発表内容に関連し,開示すべき利益相反はない.