薬学教育
Online ISSN : 2433-4774
Print ISSN : 2432-4124
ISSN-L : 2433-4774
誌上シンポジウム:薬学部学生における研究志向のマインドセット醸成を目指して
6年制にふさわしい研究ってなに?
―有機化学の立場から―
高橋 秀依
著者情報
ジャーナル フリー HTML

2023 年 7 巻 論文ID: 2023-006

詳細
抄録

6年制の薬学が始まってから,ことさら薬剤師養成を意識した教育が推し進められるようになり,研究もこれに沿ったものに変えていくべきではないかと議論されるようになった.本稿では,筆者が経験した興味深い例を報告する.病院薬剤師を希望していた6年制学生には,医薬品の代謝物の合成を研究テーマとして与えた.しかし,その過程で,学生はNMRスペクトルの解析から興味深い発見をし,学生が執筆した基礎的なNMRの論文は有機化学系の伝統ある雑誌に掲載された.一方,光反応の開発に携わっていた4年制の学生は,ビタミン剤と医薬品の相互作用に興味を持ち,医療系の雑誌に掲載される論文を書き上げた.教員は,4年制,6年制,それぞれにふさわしい研究テーマを割り振るのではなく,学生が研究を楽しめるよう支援することが重要と考える.卒業研究は,学生が課題を発見し,解決する能力を養成するもの,という原点を忘れてはならない.

Abstract

In 2006, a historic reform in pharmacy education was enacted in Japan. The goal of the new six-year program is to develop pharmacists who are well-versed in science, the arts, and humanities. This reform was based on a reevaluation of the previous four-year pharmacy education programs, which placed emphasis on “substances,” i.e., drugs. It was thought that basic science and medical science and technology alone were unable to develop pharmacists as medical professionals who provide high-quality healthcare with safety and comfort. That also required a change in postgraduate faculties. However, students in graduate programs biased toward clinical areas might lack literacy in basic science fields. This report presents two examples of graduate research conducted in our laboratory. Each research topic was helpful in enhancing students’ problem-solving abilities irrespective of their previous education programs. We should remember that one of the objectives of graduate education is taking a joyful approach to all types of topics.

はじめに

2006年から6年制薬学教育が開始され,薬学部は薬剤師免許取得を目指す学生が所属する6年制学科と,薬剤師を目指さない学生が所属する4年制学科に分かれることになった.6年制学科においては,薬剤師養成を意識した教育が推進されるようになり,5,6年次においては,病院や薬局での長期間にわたる実務実習が組み込まれた.そのため,同時期に行われていた卒業研究が影響を受け,多くの薬学部では卒業研究の期間が短縮されることとなった.このような状況に対して危機感を持ったいくつかの大学では,卒業研究と実務実習のあり方を考え直そうとする動きも出ている1).これまでの薬学部における卒業研究は,所属する研究室の教員の指導を受けて,基礎的な科学実験に基づく結果をまとめることが多かった.しかし,6年制学科においては学生が薬剤師を志向することから,薬剤師業務とは異なるベーシックなサイエンスを追究する研究テーマがふさわしいのか議論すべき,という声も聞こえる.薬学部にとって卒業研究は欠かせないという点に異論を唱える教員はいないであろう.しかし,卒業研究のあり方はこのままで良いのだろうか?

筆者は2018年に帝京大学薬学部から東京理科大学薬学部へ異動した.6年制学科のみの薬学部から,生命創薬科学科(4年制)と薬学科(6年制)が100名ずつ在籍する薬学部へ移ることで大きな変化を体験した.特に卒業研究に対する考え方を変える出来事を経験したので,本稿で私見を含めてまとめさせていただく.

卒業研究テーマの設定

筆者の研究室(薬化学研究室)には毎年,両学科とも3名程度ずつの学生が配属され,卒業研究を行う.4年制の学生はほとんど修士課程に進学するため,6年制も4年制も3年間を一緒に研究室で過ごすことになる.この間に学生たちはそれぞれの研究テーマに取り組むが,研究テーマをどのように設定するか,は大きな問題である.学生に興味を持って取り組んでもらうためには,各々が志望する将来も考慮に入れる必要があるかもしれない.4年制の学生であれば,修士課程や博士課程へ進学し,創薬の道を模索することが多いため,創薬化学研究がふさわしいように思われる.この分野は,筆者の専門でもあり,研究指導も自信をもって問題なく行える.一方で,将来は薬剤師になりたいと希望する6年制の学生にとって,創薬化学研究はふさわしいのだろうか.有機合成化学・創薬化学の研究室を希望して配属されたのだから,これらの分野に親しみを感じてくれてはいるだろうが,薬剤師にとって薬をつくるという業務は想定されず,ましてや,基礎的な有機合成化学の反応開発をテーマ設定してよいのかわからない.学生の興味がありそうな,少しでも医療に近そうな医薬品化学の研究テーマを卒業研究として与え,自身も学びながら指導していくのが最善かと思う.異動した直後はこういった悩みを抱えつつ,学生と一緒に卒業研究に取り組む日々が続いた.おそらく,これは,有機化学系の教員に限らず,薬学部の多くの教員に共通する悩みであろう.

このような悩み深い研究テーマの設定において,考えさせられた二つの例がある.

医薬品代謝物合成からNMR特殊測定へ

研究室配属された際,将来の希望を病院薬剤師と答えた6年制学生がいた.そこで,「抗潰瘍薬であるボノプラザンの代謝物合成」を卒業研究テーマとして与えた.当時,薬物動態を専門とする共同研究者から代謝物の標準品合成を依頼されており,実際の医薬品の代謝物であれば,少しは医療に近い研究テーマになるだろうと考えたのである.学生は熱心に取り組み,代謝物の標準品を次々と合成していった.医薬品の代謝物合成は,体内動態や薬理活性,及び,毒性などを明らかにするうえで非常に重要な研究テーマである.また,医薬品に起こる代謝反応についての理解は薬剤師になってからでも役立つため,6年制学生にふさわしい研究テーマと思われた.しかし,この研究テーマは,突然,大きく方向性を変えることになった.

あるとき,学生が「代謝物合成の途中の化合物のnuclear magnetic resonance(NMR)を解析した結果,どうしても納得できないスペクトルピークがある」と報告してきた.スペクトルを見ると,確かに不思議な分裂をしており,なぜこのようになるのか全くわからなかった.そこで,東京工業大学にいらっしゃったNMRの専門家に加わっていただき,ご指導をいただくことになった.その結果,この不思議なスペクトルピークは,through space coupling(TSC)らしいことがわかった.これは,化合物に含まれるフッ素が,対象となる水素と空間的に近い位置に存在するために起こる現象であり,文献調査により,あまり報告例がないこともわかった.本当にフッ素の影響が空間的に及んでいるのか明らかにすべく,学生は横浜にある企業の研究所まで通って企業の研究者に特殊NMR測定をやっていただき,フッ素の影響をなくした.茨城県に住んでいる学生にとっては2時間以上電車に乗ることになったが,苦労した甲斐はあった.測定により,フッ素の影響が消えたピークは通常のスペクトルと同じように観測され,フッ素によるTSCの存在が証明された(図1).

図1

学生が発見したTSC

続いて,学生は,他にも同様なTSCが存在するのではないかと考え,類縁体を合成し,それぞれのNMRスペクトルを解析した.その結果,同様な化合物すべてにTSCが認められることがわかった.このことは,これらの化合物がみな同じ立体構造をとっていることを示唆する.なぜ,このような立体構造をとるのか興味を持った学生は,続いて計算化学に着手した.周囲の学生達に聞きながらdensity functional theory(DFT)計算を行い,安定な立体構造を導き出すことに成功した.

以上の研究を数か月で成し遂げ,最後には化合物を単結晶化させてX線結晶構造解析まで完成させた.まだ5年生半ばの時点でここまで実験データをそろえたことに対し,筆者は驚嘆した.もちろん,研究指導者として適切な助言をしたつもりではあったが,ある時点から学生が研究にのめりこんでいることがわかり,学生のしたいことを実現させるための支援をすることが筆者の役割になっていった.この研究は有機化学分野での評価が高く,学生には論文化を勧めた.初めての英語論文ではあったが,前向きに取り組み,筆頭著者として研究成果を論文にまとめることができた.そして,有機化学の分野では高い評価を得ているアメリカ化学会の伝統ある雑誌「Journal of Organic Chemistry」に掲載されることとなった2)

不思議なNMRスペクトルの発見から1年弱でここまで至ったのは驚くべきことであり,その能力の高さとともに研究への情熱があってのことと感じられた.この時,学生は6年生の春を迎えた頃で,筆者は大学院博士課程への進学を強く勧めた.しかし,学生の意志は変わらず,市中の病院への就職が決まった.優れた研究業績を有し,研究者としての適性が高いと思われる学生が病院薬剤師としての将来を選んだことについて,全く理解できなかった.NMRスペクトルの解析に長けていても病院の業務では役に立たない.何のために研究を行ったのか,疑問が残った.研究者の道を必死で歩んできた筆者には全く理解できないことだった.

光反応から医薬品相互作用へ

もう一つの例は4年制学生である.修士課程へ進学する予定であったため,新規な有機化学反応の開発をめざし,「二重結合を持つ化合物(アルケン)の光反応による異性化」を研究テーマとして与えた.アルケンの光異性化の制御は,有用な医薬品や化学物質を製造する際に重要であり,薬をつくることに興味を持つ4年制学生にはふさわしいと考えられた.研究を開始してすぐに,研究室内の文献紹介において,この学生がリボフラビンを触媒として用いるアルケンの光異性化反応を紹介した.このとき,他の学生から,「リボフラビンはビタミンB2である」と指摘されたことをきっかけとして,臨床応用を意識した方向へ研究が変わっていった.輸液中に含まれるビタミンB2がアルケンを有する医薬品と混ざったときに光が当たると光異性化反応が起こる可能性がある,と考えたのである(図2).

図2

ビタミンB2による医薬品の光異性化

学生は医薬品構造式集より,アルケンを有し,光による異性化反応を起こす可能性のある医薬品として,スリンダクとオザグレルを選んだ.これらの医薬品を触媒量のビタミンB2と混ぜて光照射した結果,予想通り,アルケンの光異性化反応が進行することがわかった.本反応はアルコール溶媒中だけでなく,水中でも進行するため,医療現場でも医薬品の光異性化による劣化が起こる可能性を示唆する結果となった.もちろん,ビタミンB2が加えられている栄養剤の輸液は遮光保存が基本であるし,点滴の側管から投与される注射薬が短時間で光異性化する可能性は低いと思われる.しかし,医薬品の相互作用によって生じる化合物の化学構造をNMRによって明らかにするなど,極めて有機化学的なアプローチを用いた本研究は医療系の教員たちに高く評価された.学生はこの結果をまとめた論文を筆頭著者として執筆し,英文誌に投稿して掲載されることになった3).さらに,国際学会での発表も行い,第1位の発表として表彰されることにもなった.筆者も学生も医療現場での経験はなく,本研究には拙い部分も多かったと思う.しかし,学生が興味を持ち,研究の方向性を大きく変えていく様子を傍で見守ることができた経験は貴重だった.

考察

この二つの卒業研究は筆者に気づきを与えることになった.TSCに取り組んだ6年制学生は,卒業時に「研究がとても楽しかった」と語った.また,医薬品の光異性化を研究した4年制学生も「研究として面白かった」と言っていた.学生は,自分が見つけたことを論理的に解析し,結果がまとまっていく過程をひたすら楽しんだのである.学生達は,所属が6年制であること,4年制であること,を意識せず,目の前の事象に対して学術的な興味を持って向き合い,課題を解決していった.それぞれの将来に役立つかどうかなどという観点は全くなかった.

自身を振り返ってみても,卒業研究は,実験をすること自体が楽しく,研究の意義について深く考えることはなかった.いつかは薬につながるだろうと思ってはいたが,遠い先のことのようでイメージもできなかった.仮説を立てて実験し,結果が予想と違っても,また新たな仮説を立てて実験に取り組む.予想通りの結果が出たときの嬉しさが次の実験への動機づけとなる.この繰り返しを楽しんだのが卒業研究であった.

6年制薬学教育が始まってから,私たち教員は薬剤師養成をことさら意識しすぎているのではないかと思う.薬学部が6年制と4年制に分かれる前は,教員も学生も卒業研究の意義を深く考えることはなかった.サイエンスとして面白いから研究する,と言って成り立つ時代でもあったし,コア・カリキュラムもなく,薬学部では当たり前のこととして卒業研究を行っていた.しかし,薬学部の中に6年制学科と4年制学科が存在するようになってからは,薬剤師になれる6年制学科とそうではない4年制学科という相違が際立ってしまった.また,6年制学科のためのコア・カリキュラムができ,授業の内容が画一化されたことも拍車をかけたかもしれない.結果として,教員は卒業研究についてもこれまでと同じでよいのか,6年制の学生のための新しい卒業研究は,薬剤師をめざす学生にふさわしいものであるべきではないか,と悩むようになった.筆者自身も6年制学科だけの薬学部に所属し,薬剤師になることを第一目的とする学生たちと接するうちに,将来に役立つ研究として臨床に関わる内容を卒業研究テーマとして設定する方が良いと考えるようになっていた.そして,大学は教育の場であり,薬剤師養成のための学部に所属する以上,有機合成化学研究や創薬を目指す研究を続けることはできないという結論に至る寸前まで追い詰められた.薬をつくりたいと思って大学に残る選択をした筆者にとって,この結論は耐え難いものだった.

その後,新たな大学へ異動し,本稿で紹介した二つの例を経験したことで,卒業研究に対する考え方が変わった.当たり前のことではあるが,卒業研究は学生が主体的に取り組むものであり,もともとは教員の研究テーマであったとしても,学生の卒業研究はその学生の研究なのである.6年制にふさわしいとか,4年制らしい,という教員側の勝手なくくりは意味がない.研究を楽しいと思って学生が自ら考えて取り組む研究であれば,どのような内容であったとしても,その学生を大きく成長させる.病院薬剤師を目指す学生が特殊なNMRスペクトル解析に取り組んでも良いし,医薬品をつくりたい学生が医療現場で起こる医薬品相互作用を防ごうとしても全く問題ない.大事なことは,学生が主体的に取り組み,一つ一つの課題を解決する方策を生み出し,その過程を楽しむことだと思う.私たち教員は,「研究は問題解決能力を養うために必要である」と主張してきた.そうだとすれば,教員は,学生の卒業研究を指導するのではなく,支援するという感覚の方が正しいのかもしれない.問題解決能力は,誰かに指導されて身につくものではなく,学生が自分で獲得していくものである.それは容易なことではないかもしれないが,研究は楽しいもの,と思うことができればきっと乗り越えていける.その楽しさは,自ら考えて取り組むところから生まれるものであり,楽しさを知った学生は,将来,どのような環境におかれたとしても問題にあたることが楽しいと思えるだろう.楽しかった研究の記憶は生涯にわたって支えになる.

教員は,6年制学科であれ,4年制学科であれ,卒業研究の内容に悩むことなく,学生が研究を楽しいと思って取り組めるようサポートすることに徹すればよいのだと考える.卒業研究は,学生が課題を発見し,解決する能力を養成するものである,という原点を忘れてはならない.

発表内容に関連し,開示すべき利益相反はない.

文献
 
© 2023 日本薬学教育学会
feedback
Top