日本公衆衛生看護学会誌
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研究
東日本大震災による津波被災半年後に自治体職員が語った有事の業務と思い
~遺体対応に焦点をあてて~
岡本 玲子岩本 里織西田 真寿美小出 恵子生田 由加利田中 美帆野村 美千江城島 哲子酒井 陽子草野 恵美子野村(齋藤) 美紀鈴木 るり子岸 恵美子寺本 千恵村嶋 幸代
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キーワード: 津波, 遺体対応, 公務員
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2016 年 5 巻 1 号 p. 47-56

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Abstract

【目的】本研究の目的は,東日本大震災で津波災害を受けた自治体の職員が,震災半年後に印象に残ったこととして自発的に語った遺体対応業務とそれに対する思いを質的記述的に解釈することである.

【方法】対象は一自治体の職員23名であり,個別面接により被災直後からの状況と印象に残ったことについて聴取した.

【結果】自治体職員として行った有事の業務に関する262のデータセットのうち遺体対応に関するものはわずか21であった.遺体対応業務には,震災後,直後からの遺体搬送,約2か月間の遺体安置所,約3か月間の埋火葬に係る業務があった.それぞれの業務に対する職員の思いは,順に,「思い出せない,どうしようもない」,「精神的にやられた,つらい」,「機能マヒによる困惑」が挙がった.

【考察】避難所と物資の業務については,創意工夫や今後の展望などが具体的に語られたのに比べ,遺体対応については非常に断片的であり,話すことにためらいが見られた.遺体対応業務は通常業務とは全く異質なものであり,準備性もないまま遂行した過酷なものであった.我々は有事に起こるこのような状況について理解し,今後に備える必要がある.

I. はじめに

阪神淡路大震災以降,さまざまな自然災害が生じる中で,全国の自治体は独自の災害時マニュアルを整えてきた.地方公務員法第三十条には,服務の根本基準として,「すべて職員は,全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し,且つ,職務の遂行に当つては,全力を挙げてこれに専念しなければならない」とあり,公務員である自治体職員は,いったん災害が起これば,災害時マニュアルに従い初動体制を整え住民を守る責務を負う.

2011年3月11日に起きた東日本大震災は,平日の午後,勤務時間内に発生し,未曾有の人的・物的被害をもたらした.自治体職員は,必然的に,自宅を顧みることよりも,自身の命を守ること,および目の前で生じていることへの応急対応と初動体制整備に追われた.

多くの幹部職員を亡くし,職場も流出した状況で,職員はどのような思いで,公務員としての業務を遂行していたのか.発災後に自治体職員が行った活動に関する報告は多くあるが(奥田,2008),津波災害後に自治体職員が行った特別業務やそれを遂行する上での思いに焦点をあてて質的に分析した研究はなく,証言や記事という形での記述がいくつかあるのみである(吉村,2004林ら,2009).

本研究の目的は,東日本大震災で地震による津波災害を受けた自治体に勤務する職員が,震災半年後に印象に残ったこととして自発的に語った有事の業務とそれに対する思いを質的記述的に解釈することである.本稿では,有事の業務の内,とりわけ非日常的な遺体対応に焦点を絞って行う.本研究の意義は,この結果を基礎資料として,保健師等公衆衛生従事者や自治体関係者が,津波災害後の遺体対応における自治体職員の状況や心理に理解を深め,有事に備えた平時の準備を検討できることである.なお,本研究における遺体対応業務とは,遺体を発見し埋火葬するまでの一連の過程で生じる業務を指し,思いとはその状況において体験したことに対する感情とする.

II. 研究方法

研究方法は質的記述的研究であり,データ収集方法は個別の半構造化面接である.研究参加者は,津波で壊滅的な被害を受けた人口5万人未満の1自治体の正規職員23名である.調査においては,町長に依頼文を送付し承諾を得た後,総務課に研究目的および調査内容について説明し,そこから各部署への研究協力を依頼し,研究参加者に内諾を得た.この際,可能な範囲ですべての部署の職員の協力が得られるよう依頼した.

自治体職員への調査者は10名であり,災害支援活動と質的研究の経験があり事前に災害時の精神保健活動(全国保健師長会,2006兵庫県こころのケアセンター,2009)について学習した公衆衛生看護の教育研究者5名と,院生・学部生5名であった.面接は2人1組となり教育研究者が面接を,学生は記録を担当した.調査内容は,被災直後からの状況と印象に残ったことである.データは許可を得てICレコーダーに録音した.調査時期は震災から半年後の2011年9月である.なお,本稿では避難所内の診療所専属に配置された職員のデータは含んでいない.

逐語録の分析は,まず研究参加者が被災後の状況を時系列に振り返りながら印象に残っていることについて語った内容から,公務員として行った災害時の特別業務(遺体・物資・避難所等の対応)に関する内容を抽出し,そのうち遺体対応について,業務に関する内容と,それに対する思いに関する内容に分けて整理した.考察では,本調査において,1)印象に残ったこととして語られた遺体対応業務の特徴,2)他の記録(石井,2011)と比較した遺体対応業務の特徴,3)時期毎の主な遺体対応業務に対する思いの特徴の3点に焦点化して解釈した.この際,本調査が,未曽有の津波被災後という誰もが経験したことがない状況下で実施していることから,3)においては,エスノグラフィーにおける社会的状況の9つの次元(Spradley, 1980)とコード化の視点(Roper et al., 2000)を参考に,自治体職員が,津波被災後の遺体対応という特異な状況下で,発災直後から半年後までの特徴的な時期毎に,何を目標に,どのような思いで,何を考え,どこで,どのように動いていたのかという点を意識し,現場を内部から理解するように努めた.

分析は筆頭者がまず行い,その信用性を共同研究者3名が検討し,加筆修正後,共同研究者全員に意見を求め修正する手順を取った.なお,本研究で用いたデータの一部には,岩本ら(2015)が津波被災後の自治体職員の身体的精神的苦悩を生じた状況を明らかにした研究の遺体対応に関する部分のデータが含まれている.

研究参加者には,調査目的および調査協力の自由やプライバシー保護等の倫理的配慮について記した文書を用いて口頭で説明し,同意書に署名を得た.調査では,被災者でもある研究参加者の心情に配慮し,被災後に印象に残ったことについて自由に話すよう求め,特定の業務や事象を指定して聴くことは避け,自発的な語りを聴き取った.本研究の倫理面は岡山大学大学院看護学分野倫理審査委員会の承認を得た(T11-01).

調査は,通常業務に支障を来さないよう希望する時間と場所の指定を依頼し,勤務時間中もしくは勤務終了後に実施した.調査は研究参加者の状況を考慮し,調査回数は1回,時間は60分以内とした.

III. 研究結果

1. 基本情報と逐語録の分類・整理

研究参加者23人の平均年齢は43.0歳(24–59),男性17人,女性6人であった.所属部署は,教育関係3人,産業・地域整備関係7人,総務・議会関係3人,税務・市民関係4人,福祉・保健関係6人であった.

研究参加者が公務員として行った災害時の特別業務に関する内容を意味のまとまりで分けたところ262単位が得られ,そのうち遺体対応業務に関する記載があったものは21であった.その1単位毎に遺体対応業務に関する内容とそれに対する思いに関する内容を振り分け,どちらか一方のものはそのまま,なるべくもとの表現を保ち時系列になるよう表に整理した(表1).1単位の中で複数の時期に渡って語られている場合は,それぞれの時間軸に合う場所に分けて整理した.なお以降,結果において,遺体対応業務に関する内容は鉤括弧「 」,思いに関する内容は山括弧〈 〉を用いる.また,括弧内文末の数字は表1のデータ番号,データ中の( )内の言葉は筆者による補足を表す.

表1  津波被災半年後に印象に残ったこととして自治体職員が語った遺体対応業務とそれに対する思いに関する内容
時期 主な業務内容 データ番号 遺体対応業務に関する内容 それに対する思いに関する内容 データ源
3月11日直後


1 3月11日の夜,本当にあの直後,3班編成(遺体安置班,物資班,医療班)を行った. 107
2 直後から救助が始まり,既に亡くなっている人もいた.避難者の方が来る中で,一緒に置いておくわけにいかないということで(相談して),遺体の方々を他の場所に運んだ. その時,何をしていたのか,正直なところ分らないという部分がある.あの時のことは,今でも思い出そうと思っても,思い出せない部分. 203
3 (もう動かない人もいたが)患者さんや妊婦……弱者というか怪我してる人を,11日の時点で,若手の職員らと,林道を通って何回も搬送して,寝ずにやった. 皆ずぶ濡れで,青ざめている人もいるし,もう動かない人もいた. 313
3月12日翌日から 4 翌日自衛隊のヘリコプターに救助され,課長職で本部を立ち上げた.遺体搬送班,物資班,避難所誘導班の3班に分かれ,それぞれ職務をした. 役場の機能はもう無くなっていた.課長職が3人助かったので,なんとかしなければと思った. 104
5 各課に担当業務が降りてきた.当初は1-2日交代だったが連絡体系が悪く途中から固定化した. 102
6 直後は所属課の仕事ではなかった. 何班だったか,思い出せなくて悪いんですけど. 106
7 入れる地区に入り,今度はどこに運んでほしい(遺体の移送先)とか,ブルーシートに包んだりといった処理に主に携わった.最初に携わったのは遺体班だった. その時の印象は,なんとも仕方がない,どうしようもないものだった. 208
8 要は遺体処理関係. 極端な話,ご遺族とかそういった(生きている)方々と接する機会がない.ご遺体と接して,(搬送に)追われているという印象しか残ってない. 211
9 警察による身元確認の手伝いもした. 207
10 一時期は,小学校の全部,1階と2階全面に遺体が並んでいる状態だった. 216
11 3月中は,来る日も来る日もその作業(遺体搬送)をしていた. 今,毎日どういったことをやっていたのかと思い出そうと思っても(思い出せない).とにかく,遺体に向き合っていたというだけの部分しか見えない. 210
12 (震災直後から)4月の中頃までは遺体収容班のチーフをやっていた. 生きがいも何も感じることなく,仕事で手一杯,こなすだけ,切羽詰まった状況でやっていかなければならなかった. 201
3,4月


13 役場職員として,震災直後,私は遺体安置所にいた.仕事の立場上そういうことをしていた. その場では特に判断に困ったということはなかった(坦々と語る). 219
14 (震災直後から2週間は町内を歩き回って情報を集めては対策本部に伝える役割,3時間くらい寝て,を[繰り返]したあと)3週間ぐらい遺体安置所の担当になった.避難所対応の人や本部張り付けの人がいる中で,(間)自分は遺体安置所の係だった. 知り合いの人も運ばれてきますし,毎日身体を拭きに来て,泣いている方とか. 220
15 遺体安置所は5,6ヶ所あって役場職員は15人くらい選ばれ,2~3人ずつ配置され,9~17時まで張り付いていた. 223
16 (自衛隊に屋上から救出されたあと)3月から4月丸々中央公民館にいて,物資や遺体の仕事をした. 311
17 遺体安置所は警察の管理下であるが,住民票の管理は町なので職員が配置された. 誰が死んだかっていう情報は町で押さえないとだめなので,役場の職員も配置になって,同僚とかも結構,いたので,結構つらかった. 215
18 避難所運営のあとは,災害対策本部の仕事に従事し,その後,遺体安置所というところに,ずっといた.そこで結構1カ月ぐらい. そこ(遺体安置所)は,けっこう悲しいところだった.あんなに人が死んでいるのを見たことはなかなかなくて,つらかった. 212
19 遺体安置所に4月中,1ヶ月位いた. 家族に確認してもらう. (家族に確認してもらうにも,)まだ3,4か所は写真が整備されていなかったので,家族はそこ(遺体安置所)に来て棺桶を開けないとチェックできない状況だった. 217
20 遺体安置所の係 (住民からの苦情で)厳しい言葉もいただいたが,たいしたことをしていないが,「ありがとうございました」というような声をかけられると,まずはよかったとも思った. 218
21 地元の遺体安置所の係を3週間くらいやった. それはもうきつかった. 221
22 通常業務に戻る4月中旬まで,他の職員の人と一緒の業務なんですけど,遺体安置とか,物資配給とか.避難所に必要な物を聴いて回ったりしていた. 312
23 安置所では,特にすることはなく,警察が死亡届や検視するのを,案内したり,水を汲んでくるように言われて汲んでくるなどした. 業務的には大変じゃなかったが,精神的にもうやられました. 224
5月

24 本来なら死亡届が出て,戸籍から抹消され,火葬許可証が出て,火葬という順だが,住民票や戸籍が流され,その手続きが省かれた. 行政機能がまるっきりマヒしてしまい,誰が亡くなったと連絡があっても照合する戸籍や住民票がなく,通常業務とは異なる不安な中での業務だった. 316
25 あがった遺体の死亡届を出してもらい火葬とかの調整を行った.どんどん遺体があがってくるが,町では5体しかできないので他市町村にお願いした. 205
26 土葬することも考え,450人分くらいの穴も掘った. (最終的には火葬となった.) 202
27 4月終わりか5月にだんだん火葬できるようになり,閉鎖する安置所も出てきてから,通常業務の担当に戻ることになった. 226

注:データ番号とは,本文での説明用に本表記載順に番号を振ったものである.データ源に記載した数値は元データと対応している.個人を特定する数字は含んでいない.

本調査において遺体対応業務に関する内容を語ったのは,研究参加者23人中10人のみであった.調査終了後,現地関係者から,遺体対応業務を担当したのは男性のみであったこと,および今回それについて語らなかった研究参加者の中にもその業務に従事した者がいたことを聞いた.

2. 遺体対応業務に関する内容

ここでは,整理したデータより,時期別に,遺体対応業務に関する内容を読み取り,また,研究参加者がその業務に配置されたことをどのような言葉で表現していたかを抽出した.

震災直後および翌日から3月中の遺体対応業務には,「遺体対応業務を行う課・職員を決める1,4,5」,「もう動かない人を避難者とは別の場所に運ぶ2,3」,「ブルーシートに包む7」,「(遺体仮置場からの)搬送先を決める7」,「遺体安置所に搬送する11」,「警察の身元確認を手伝う9」が語られた.

3,4月の遺体安置所での業務には,「数週間~1ヶ月,9時~17時まで,配置された安置所に張り付く14,15,18,19,21」,「遺体を拭く水を汲むように言われ汲んでくる23」,「検視に来た警察の案内をする23」,「(警察に)死亡届を書いてもらう23」,「家族に遺体を確認してもらう19」が語られた.

3月から5月の埋火葬に係る業務には,「土葬も考え何百人分もの穴を掘る26」,「火葬許可証を出す24」,「遺体の火葬を他市町村にお願いする25」,「5月に火葬ができるようになり安置所を閉鎖する27」が語られた.

研究参加者が遺体対応業務に配置されたことについての表現には,遺体搬送の業務では「所属課の仕事ではなかった6」,「要は遺体処理関係8」,「その作業をしていた11」,遺体安置所への配置については「役場職員として遺体安置所にいた.仕事の立場上そういうことをしていた13」,「遺体安置所の担当になった.避難所対応の人や本部張り付けの人がいる中で,(間)自分は遺体安置所の係だった14」,「遺体安置所は警察の管理下であるが,住民票の管理は町なので職員が配置された17」,「遺体安置所というところに,ずっといた18」,「遺体安置所にいた19」,「遺体安置所の係20,21」があった.

3. 主な遺体対応業務に対する思いに関する内容

1) 直後の遺体対応業務について

津波直後の混乱の中,助かった職員はまず目前の救助から始めるも,そこにはずぶ濡れの避難者や〈もう動かない人3〉が混在していた.役場の機能が完全にマヒするなか,集まった職員は直後から遺体班,物資班,医療班に分かれて動き出す.「避難者と一緒に遺体の方々を置いておくわけにいかない2」状況から,職員は急きょ相談をして,他の場所(使用していない小学校など)に遺体を運ぶことを始めた.〈その時,何をしていたのか,正直なところ分らないという部分がある.あの時のことは,今でも思い出そうと思っても,思い出せない部分2〉,〈何班だったか,思い出せなくて悪いんですけど6〉と,極限状態の中で無我夢中で動いていた状況が語られた.

2) 翌日から3月中,遺体搬送業務について

翌日以降,自衛隊の救援活動が始まる中,「どんどん遺体があがってくる25」ことになる.翌日,〈役場の機能はもう無くなっていた4〉が,助かった役職者は,〈課長職が3人助かったので,なんとかしなければ4〉と,災害本部を立ち上げ,「遺体搬送班,物資班,避難所誘導班4」の業務を各課に振り分けた.そして職員は,正式に災害時特別配置の業務に従事することとなり,「当初は1–2日交代だったが連絡体系が悪く途中から固定化5」することとなった.遺体対応では,自衛隊の救援・捜索活動によって仮置場に運ばれた数多の遺体を安置所まで搬送する業務の優先度が高く,それを自治体職員が担った.

通常業務では日々あたりまえであった,〈ご遺族とかそういった(生きている)方々と接する機会がない8〉状態となり,遺体搬送班に就いた職員は,ひたすら「来る日も来る日も11」,〈ご遺体と接して,(搬送に)追われて8〉いた.〈毎日どういったことをやっていたのかを思い出そうと思っても(思い出せない)11〉状態であり,〈とにかく遺体と向き合っていた11〉事実だけが職員の脳裏に焼き付いた.〈その時の印象は,なんとも仕方のない,どうしようもない7〉ものであった.遺体収容のチーフであった職員は〈生きがいも何も感じることなく,仕事で手一杯,こなすだけ,切羽詰まった状況でやっていかなければならなかった12〉と語っている.

3) 3,4月,遺体安置所での業務について

研究参加者の自治体では,遺体安置所が5,6ヶ所設置され,選ばれた15人程の職員が,そこに2~3人ずつ配置され,9~17時まで張り付いていた.張り付けられた職員は「特にすることはなく23」,家族を案内したり水を汲んだりなど〈業務的には大変ではなかった23〉,〈特に判断に困ったということはなかった13〉と表現している.しかし,〈一時期は,小学校の全部,1階と2階全面に遺体が並んでいる状態10〉であり,〈あんなに人が死んでいるのを見たことはなかなかなくて18〉,〈そこはけっこう悲しいところ18〉であり,職員は〈精神的にもうやられた23〉,〈それはもうきつかった21〉,〈同僚とかもいたので,結構つらかった17〉とその期間のいたたまれぬ心情を語っている.また,住民からの苦情で厳しい言葉を受ける一方で,遺族にありがとうございましたと声をかけられ〈まずはよかったとも思った20〉という感情を経験していたことも語られた.

遺体安置所の様子についての具体的な描写としては,〈知り合いの人も運ばれてきますし,毎日身体を拭きに来て,泣いている方とか14〉,〈家族に確認してもらうにも,まだ3,4か所は写真が整備されていなかったので,家族はそこ(遺体安置所)に来て棺桶を開けないとチェックできない状況だった19〉が語られた.

4) 3から5月,埋火葬に係る業務について

この自治体では,津波によって「住民票や戸籍が流された24」ことによって,「本来なら死亡届が出て,戸籍から抹消され,火葬許可証が出て,火葬という順24」で行う手続きのうち戸籍を抹消することができなくなり,「その手続きが省かれ24」ることになった.死亡に関する情報は自治体が把握する必要があり,戸籍や住民票に反映する役割があるものの,その書類やデータが流出し,〈行政機能がまるっきりマヒしてしまい,誰が亡くなったと連絡があっても照合する戸籍や住民票がなく,通常とは異なる不安な中での業務24〉を遂行するしかなかった.

IV. 考察

1. 本調査において印象に残ったこととして語られた遺体対応業務の特徴

自治体職員である研究参加者に,被災直後からの状況を振り返り,印象に残ったことを自由に語ってもらった本調査において,遺体対応業務に関する語りは極めて少なかった.中には遺体と関わった事実を自分からは語らなかった者もいた.これは,同じ災害時の特別業務でも,避難所と物資の業務については,住民の苦情や要望に対する職員の創意工夫や臨機の体制整備,課題への今後の展望などが具体的に語られていた(岡本ら,2012)ことと比べると,遺体対応業務がいかに異質であったかを現している.研究参加者は,遺体と関わったことやその担当であったこと自体を思い出すことや言葉にすることができない状態にあったと考えられる.その業務に配置されたことについての表現は,遺体搬送では非常に婉曲的であり,遺体安置所ではその場所に居たという表現が多かった.災害時に援助者に生じる心理的反応(金ら,2003)には外傷後ストレス障害があり,その症状は「外傷と関連した刺激の持続的回避と全般的反応性の麻痺」,「外傷と関連した思考,感情,または会話を回避しようとする努力」といった形で現れる.一般住民が担わない遺体対応という非日常の業務に,公務員であるがゆえに予期せず突然携わることになった研究参加者は,その衝撃が外傷性のストレスとなり,無意識のうちに記憶や感情を遮断する状態となっていた可能性がある.

2. 本調査と他の記録を比較した遺体対応業務の特徴

ここでは,本調査で語られた業務の特徴を検討するために,実際にはどのような業務が展開されていたかについて,震災後の釜石市において遺体と関わった人々の証言を記したルポルタージュ(石井,2011,以下釜石ルポと略)から,自治体職員が行っていた内容を筆者が抽出した内容(表2)と比較する.

表2  震災後の釜石市において遺体と関わった人々の証言を記したルポルタージュ(石井2011)から抽出した自治体職員の遺体対応業務
遺体搬送業務 1 職員7人が呼び出され,上司に遺体搬送班に就くよう命じられる.
2 マニュアルがないのでその場で話し合い担架を3つ用意する.
3 仮置場に毛布等にくるまれて置かれた遺体を担架に移し,トラックに乗せる.
4 トラックに乗せた遺体を遺体安置所へ搬送する.
5 自衛隊や警察がいない場合,住民が発見した遺体を掘り出し/引き出し,現場の状況をメモして収容する.
6 自分たちの装備を整える(マスク,ゴム手袋あるいは革製の頑丈な手袋,鉄の入った安全靴,車の窓ガラスを割るハンマー,強力な懐中電灯).
7 住民や遺族からの苦情や怒りを受ける.
8 新しく派遣された要員に業務を説明する.
9 陸上自衛隊や警察から口頭や電話で連絡を受ける.
10 海上保安部から無線で連絡を受ける.
11 海上保安部から納体袋に入れられた遺体とメモを受け取る.
12 遺体を確認し自分たちでもメモを作成する.
13 遺体安置所にいる警察と自治体職員に引き継ぐ.
遺体安置所での業務 1 毎日2–3人が行き,安置所の管理・運営を行う.
2 ゴム手袋をつける.(→自分たちの装備を整える)
3 運ばれてきた遺体を警察と相談し遺品を一つにまとめたり,順に列に横たえる.
4 警察・医師の検視や死亡者リスト作成(遺体検案書作成,写真撮影等)の作業を見守る.
5 家族が死亡者リストに記載されている内容を確認し,対面する遺体を選ぶのを見守る.
6 家族を遺体に案内する.
7 (遺体を確認しに来る人のために)遺体をくるんだ毛布を外したり,納体袋のチャックを開けるのを手伝う.
8 家族が来るたびに1日に何回もこれを繰り返す.
9 遺族の号泣,叫び,怒りを見守る.
10 職員で相談して祭壇代わりの机と鉢を置く.
11 遺体安置所が満杯になるので他の場所を確保する.
12 5月中旬,全員を荼毘に送り出し遺体安置所を閉鎖.
埋火葬に係る業務 1 被災を免れた葬儀社に遺体安置所から火葬場に送るまでの作業を依頼する.
2 葬儀社に,火葬場復旧のめどを説明し,安置所で遺体を預かる間の遺体の保存(棺,ドライアイス)に協力を求める.
3 遺族への連絡体制整備や状況把握のため毎日夜に集まって会議を開く.
4 死体検案書作成後,火葬許可書を出した順に火葬リストを作成する.
5 1日の最大火葬処理件数を把握し,安置所から送りだす手配をする.
6 3月14日の厚生労働省からの土葬許可の特別措置(仮埋葬として,死体検案書だけで土葬を許可)を受けて,市町を中心に25日から身元不明者の土葬を決定し20日に記者発表.
7 身元不明者の数を減らすため市町が連日防災行政無線で市民に遺体確認を呼びかけ.
8 同時に他県自治体での火葬計画,搬送計画を推進(結果,土葬は回避された).

○印は本調査の語りで類似する内容が含まれていた業務

本調査を行った町は釜石市と同じ岩手県内にあり,遺体対応として同様の業務が日々展開されていたと推測する.表2に示した釜石ルポでは,遺体搬送業務,遺体安置所での業務,埋火葬に係る業務が具体的に書かれているのに比べ,表中,本調査の語りで類似する内容が含まれていたところに○をすると,その数は順に13項目中2項目,12項目中4項目,8項目中2項目と少なかった.とりわけ震災直後からの遺体搬送に関する内容が少ないことは,業務の中でそれが最も過酷であり,研究参加者の心的な外傷となっていた可能性が示唆された.

過去の津波による死者数や遺体の様子を記した書籍は多数見られるが(山下,2008河田,2010山口,2011),遺体対応に関する記載はなく,それが業務となった際に何をするべきかについて,一般には知る由がない.神戸市では,阪神・淡路大震災後,地域防災計画(神戸市,2012)において,行方不明者の捜索・遺体の埋火葬マニュアルの内容が充実したことが報告されている(舩木ら,2006).東日本大震災においても,その後,震災時の対応の検証が行われており(岩手県,2012),その結果を反映した自治体の地域防災計画には,行方不明者の捜索や遺体の処理・埋葬に関する業務内容が詳細に明記されるようになった.今後は,少なくとも自治体職員においては,遺体対応という業務が,有事に当然生じるものと自覚し,業務内容を知識として持ち,公務員として主体的に役割を果たせるよう平時から備える必要があると考える.

3. 時期毎の主な遺体対応業務に対する思いの特徴

ここでは,研究参加者の主な遺体対応業務に対する思いについて,方法に記した点を踏まえて理解できたことをもとに解釈する.

1) 直後の遺体対応業務:予期せぬ惨事に直面し,公務員として不眠不休で遺体を運び「死」に対する感情が凍結

東日本大震災は,研究参加者が公務員として勤務中の平日に予期せず起きた.津波災害では生死の分かれ目がはっきりしており,生存者は,津波到達地点より高くもしくは奥に逃げた又は居た者,あるいは,津波に流されたものの,運よく何かにつかまったり打ち上げられて助かった者であった.直後は,ずぶ濡れの生存者と,泥流のなかで窒息したり漂流物で負傷して命を落とした死亡者が津波の到達点付近に混在していた.助かった自治体職員は,突然起こった衝撃的な惨事に茫然自失する間もなく,公務員であるがゆえに,目の前で起こっていることへの対応,すなわち弱者や負傷者の緊急搬送と,既に亡くなっている方の他の場所への移動に夜を徹して没頭することとなった.その緊急事態の中で,何かを考える余裕もなく公僕として動くしかなかった状況は,「今でも思い出そうと思っても,思い出せない部分」と語られた部分によく表れている.

災害時の心理的ストレスには心的トラウマがあり(災害時こころの情報支援センター,2011),災害による恐怖体験や,遺体や地域の惨状の目撃がトラウマとなって,その後の精神的反応を引き起こすといわれている.水口ら(2013)は,発災直後からの非常モードの中で心身のストレス反応が凍結され,遅発性惨事ストレスに至る援助者がおり,そのようなケースでは慢性化長期化していることが多いと指摘している.本調査において,震災から半年経っても記憶に蘇らせることができない体験が語られたことは,遺体対応業務にあたった自治体職員への長期的な見守りと支援が必要なことを示唆している.

2) 翌日から3月中,遺体搬送業務:来る日も「どんどんあがる」凄惨な遺体の搬送に目を背けず向き合うしかないどうしようもなさ

生き残った被災地の自治体職員は,翌日から正式に災害時特別配置として任務にあたることになる.避難所や本部の業務に就いている職員がいる一方,遺体対応に当たった職員はいつもの「所属課の仕事」とはかけ離れた過酷な業務を行うこととなった.その任務がどのようなものであろうと,公務員である以上,全体に奉仕することへの責任感のもと,失われた多くの職員に代わって懸命に職務を遂行したと考えられる.

人口の1割を失ったこの自治体の被害の全貌はのちに明らかになるが,行方不明者を除く死者数が800人を超えていたことは,毎日自衛隊らの活動によって,おびただしい数の遺体が発見されていたことを意味する.研究参加者らが,仮置場から安置所へと遺体を運べども運べども,仮置場には新たな遺体が並んでいたと考えられる.

泥や海水にまみれ傷ついた遺体を野ざらしのまま放置することは,遺体の状態を悪化させるだけでなく,その残酷な姿を人目にもさらすことになり,著しく人としての尊厳を汚すことになる.当初輪番であたった業務が4日目から固定化し,担当した職員は已むに已まれぬ窮状の中,公務員として黙々と遺体と向き合うしかなかったと考える.その尋常ではない業務への思いは,「思い出そうとしても(思い出せない)」,「なんとも仕方のない」,「生きがいも何も感じることがない」,「切羽詰まった」といった表現に込められていると考える.

警察職員を対象とした惨事ストレス調査では(藤代,2013),最も大変であった災害対策業務の1位が,物資や避難に係ることではなく,行方不明者の捜索(20.2%)であり,次いで検視・遺体見分(18.3%)であった.また,強いストレスを感じた体験(複数回答)としては凄惨な遺体の扱いが56.1%の高率で挙がっていた.この結果は,事件や事故といった事態への対応への訓練を積んでいる警察職員においても遺体対応がストレスの高い業務であることを示している.まして,幹部職員を多数失い,災害時マニュアルも流失して機能不全に陥っていたこの自治体において,突然,遺体を搬送する業務が自分に降りかかった職員が受けた衝撃は想像を絶するものであったと推察する.

同調査では,ストレス対処として行ったこととして(複数回答),上司や同僚との会話,家族との対話,睡眠や休養に半数以上が回答しており,惨事ストレス対策として必要と思うこととしては(複数回答),8割近くが積極的な休暇取得と回答している.また,支援者のストレス対応に関するマニュアルでも(鈴木ら,2011)職員の休養・休息の重要性が述べられている.これらより,遺体対応業務の中でも,残酷な事実に向き合わなければならない遺体回収や遺体搬送に関わる職員に対しては,特に何日働いた後は何日休養するといった綿密な交代計画を立てて業務に臨む必要があると考える.新潟県中越地震の際の支援者のメンタルヘルス対策においては(福島,2006),管理監督者が配慮をして職員を強制的にでも休ませた職場の方が健康被害の発生が少なかったという報告もあり,組織的なマネジメントが重要と考えられる.

3)  3,4月,遺体安置所での業務:「たくさん遺体が並んでいる悲しいところ」に1ヶ月近く1日ずっと居て,つらく,きつく,精神的に限界

遺体安置所は,警察の管理下であり,そこでは,遺体が運ばれる度に,警察や医師による検視や身元確認作業が行われていたことが釜石ルポから読み取れる.自治体職員は「住民票は町の管理」という名目でそこに張り付けられており,本調査の研究参加者は,「特にすることはなく」,家族を案内したり水を汲んだりなど「業務的には大変ではなかった」,「特に判断に困ったということはなかった」と表現している.しかし,知人を含む多くの遺体が整然と並ぶ異常な空間のなかに毎日終日居て,警察だけでなく遺族の怒りや悲しみに対応しなければいけない遺体安置所での仕事は,「仕事の立場上」,「(他の業務に配置された)人がいる中で,(間)自分は」という言葉に表れているように,非常事態にある自治体の職員として仕方はないものの,受け入れがたく,どうして自分がここに配置されるのかという葛藤を伴うものであったと考えられる.

また,遺体搬送の業務では「思い出せない」「どうしようもない」といった事象を回避する言葉が表出されていたのに対し,遺体安置所に配置された職員からは,「つらかった」,「きつかった」,「精神的にやられた」という自身の内面にある感情がストレートに表出された.これは,遺体安置所の業務は,遺体に対応するという点では,搬送業務と同様に非日常な経験であるものの,そこは,生きている人,つまり,検視をして死体検案書や死亡届を作成する警察や医師,家族の行方を探す人,家族の死を悼む感情を持った人が出入りする場所でもあり,ご遺体となった方々が今まで生きていた証しを感じられる場であったからではないかと考える.

消防における惨事ストレス対策の指針によると(大澤,2013),その理念は「ねぎらい」と「支え合い」であり,対策レベルには「組織」,「職員同士」,「個人」が置かれている.具体的には,平時の予防教育や,直後の励ましや感謝などが挙げられている.自衛隊員への調査(山本ら,2013)からは,任務が開始されるまでの心の準備や,任務へのポジティブな受け止めが精神障害を防ぐ要因と考えられると報告されている.本調査においても遺族からの「ありがとう」の言葉に慰労された様子が語られていることから,遺体対応業務においては,単に平時から業務内容を把握しておくだけではなく,有事に職員が互いに支え合って業務に当たれるよう組織的な体制を組んでおく必要があると考える.

4)  3から5月,埋火葬に係る業務:戸籍流出・火葬場の許容を超える遺体で通常の火葬許可や埋葬ができない困惑

墓地,埋葬等に関する法律では,日本人の宗教的感情に適合し,かつ公衆衛生その他公共の福祉上の見地から,支障なく火葬や埋葬が行われるよう,市町村長が許可証を出すことが定められている.通常であれば住民票や戸籍に関わる業務は自治体が行うが,この自治体では,死亡届の提出を受けて抹消する戸籍が流出し,火葬許可証を出す途中の手続きができず省かざるを得なくなった.これは住民に奉仕する立場にある公務員が,その対象となる住民の基本情報を管理できない状況に陥っていたことを表しており,「通常とは異なる不安」と表現された不安とは,尋常ではない困惑を孕むものであったと考えられる.

研究参加者の自治体では,データにもあるように,他市町村に協力を求めても,思うように火葬が進まず,3月下旬に身元不明と引き取り手のない遺体の土葬を決定し,450人分くらいの墓穴掘りを行っていた.その後,土葬か火葬かの議論は二転三転するも,4月上旬にすべてを火葬と決定し,5月中にほぼ完了となっていた.阪神・淡路大震災においては,大阪や京都がすばやく申し出て,広域火葬により1月17日から2週間後の1月31日には身元不明の遺体を除く火葬が終了していた(林ら,2009).この解決の速さは,都市部においては機動力や交通網が充実し,遺族自らの手配による火葬も多かった要因によると考えられるが,なによりも,流出や汚泥を伴う津波災害とは異なり,遺体の発見や身元判明が早くできたことが影響している.また,東日本大震災による被害の範囲が多くの自治体にまたがっており,火葬を支援する近接自治体にも混乱が生じていたのではないかと考えられる.とはいえ,実際には行われなかったものの阪神・淡路大震災では国から野焼きの検討を提案されたという証言(林ら,2009)や,1896(明治29)年の津波の時には実際に野焼きが行われた記録がある(吉村,2004).礼を尽くして弔うことは遺族への配慮として重要なことであり(舩木ら,2006),東日本大震災において,ぎりぎりの対応の中で,野焼きや土葬という事態を免れたことは,残された者にとってせめてもの救いであったのではないかと考える.

V. おわりに

本調査では,東日本大震災によって,予期せず多くの幹部職員や同僚,親類,友人,知人を亡くし,職場も流出した状況で,公務員として従事する職員に,震災から半年後,被災直後からの状況と印象に残ったことについて聴取した.遺体対応業務に関する語りはわずかであり解釈するにも限界があるが,その語りの少なさ自体が,その業務の過酷さと,半年ではとても癒やすことができない精神的な痛みの大きさを物語っていたと考える.自治体職員にとっての遺体対応業務は,危機的状況への対応を組織的に訓練された警察や消防,自衛隊とは違い,通常業務とは全く異質なものであり,やるしかない状況下で,公務員としての責任感と,助かった命,残った人員として懸命に遂行していたものであったと考えられる.今後,保健師等公衆衛生従事者や自治体関係者は,このような状況におかれた際の自治体職員の理解を促進し,遺体対応業務に就く者の苦痛を少しでも軽くするための平時からの準備策について検討し有事に備える必要がある.

謝辞

震災後のご公務多用な中,本調査にご協力くださいました自治体職員の皆様に心より感謝申し上げます.

本研究は,2011年度厚生労働省老人保健事業推進費等補助金(老人保健健康増進等事業分)「地震による津波で被災した一人暮らし高齢者・高齢者世帯の生活再構築のための支援過程の構造化」事業により実施しました.

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