日本臨床細胞学会雑誌
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わが国における細胞検査士の養成と研修システム
都竹 正文元林 宏子福留 伸幸
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2004 年 43 巻 6 号 p. 404-409

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抄録

わが国における細胞検査士養成の歴史は, 1962年に日本臨床細胞学会の前身である婦人科医を中心とした細胞診研究会が故増淵一正先生, 故水野潤一先生を核にして研究集会が持たれるようになったのがはじまりである.1965年に日本母性保護i医協会 (日母) が「女性を人工妊娠中絶の害から守ろう」という運動を,「女性を癌から守ろう」という運動にするようキャンペーンの変更を打ち出した.その方策として細胞診を導入した子宮癌の集団検診を実施することとなった.実際にスクリーニングに携わる十分な数の細胞診技師 (細胞検査士) の養成が急務となってきた.1966年に細胞診技師の養成 (3週間コース) が日本臨床病理学会と日本臨床細胞学会の共催で開始された.1968年に6ヵ月間の養成コースが癌研究会附属病院 (以下: 癌研) と大阪府立成人病センター (以下: 大阪成人病センター) で開始された.その後, 1978年には東京都がん検診センター (現東京都多摩がん検診センター: 以下多摩がん) が加わった.各施設での名称は, 癌研と多摩がんは「細胞診スクリーナー養成所」から「細胞検査士養成所」に, 大阪成人病センターは「細胞診スクリーナー養成講習」から「細胞検査士養成講習」と1997年に改称され, 現在に至っている.4年制大学としては, はじめて1982年に杏林大学保健学部に開設された.1985~1992年の8年間には藤田保健衛生大学短期大学専攻科・衛生技術専攻で開講されていた.1994年に北里大学医療衛生学部に, また, 1999年には国立大学としてははじめて群馬大学医学部保健学科に, さらに2001年に山口大学医学部保健学科に開設された.今後, さらに4年制大学での細胞検査士養成教育が開設される予定である.

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