日本ペインクリニック学会誌
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短報
抑肝散により四肢麻痺を伴う低カリウム血症を生じた頸椎症の1例
魏 慧玲奥野 聡子
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2020 年 27 巻 1 号 p. 106-107

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I はじめに

近年,神経障害性疼痛に有効な治療手段のひとつとして,抑肝散が注目されている.常用量の抑肝散で重篤な低カリウム(K)血症に至ったまれな症例を経験したので,患者本人の承諾を得て報告する.

II 症例

患者は45歳の男性,高尿酸血症でアロプリノール内服中.2年前より,右頸部から右肩にかけての疼痛があり,整形外科で頸椎椎間孔狭窄に伴う右C6,C7神経根症の診断を受けた.初診時visual analogue scale(VAS)は90 mmであり,プレガバリンやトラマドールは無効で,頸部神経根ブロック,頸椎椎間関節ブロックを毎週交互に行ったが一時的な効果しか得られなかった.VAS 80~90 mmの強い疼痛が続き,イライラが高まった状態となり,その怒りは医療者へ向けられるほどであった.この「怒り」を指標に抑肝散エキス顆粒7.5 gを開始したところ,6日後にはVAS 6 mmへ低下がみられ,以後もVAS 10 mm以下を維持,毎週行っていたブロックの頻度を3週に1回程度に減らすことができ,仕事にも復帰できた.抑肝散の開始から47日目,右頸部C6神経根ブロックを行って帰宅したが,11時間後に下肢脱力を自覚,自宅で転倒し,緊急来院した.所見は意識清明.血圧140/86 mmHg,心拍数84/分,動脈血酸素飽和度97%,体温36.6℃,下腿浮腫なし.徒手筋力テストは,手関節掌屈3/3,背屈3/3,足関節底屈2/2,背屈2/2と左右対称性の筋力低下を認めた.膝蓋腱反射,アキレス腱反射は消失しており,足クローヌスは認めなかった.頸髄MRIを再検したが,初診時と比較して変化はなかった.血液検査で血清K 2.1 mEq/ℓと著明な低K血症が明らかとなり,心電図ではQT時間延長を認めた.

経過より,筋力低下は低K血症によるものと判断し,抑肝散を中止,入院のうえK補正を行った.K静脈内投与を10 mEq/hで開始したところ,4時間後の所見では筋力は四肢ともにほぼ正常まで回復がみられたため,計50 mEqでK静脈投与を終了した.翌日の血清K値は2.6 mEq/ℓであり,K製剤は経口投与で1日あたり32 mEq補充とした.3日目にK値は3.4 mEq/ℓまで回復し,後遺症なく独歩退院した.退院後の血漿アルドステロン,血漿レニン活性は正常範囲内で原発性アルドステロン症は否定的であり,その他の内分泌検査も異常はみられなかった.

III 考察

本症例では,頸椎症の治療経過中,しかも神経ブロック施行11時間後に四肢麻痺を生じたため,原疾患である頸椎症の悪化もしくはブロックの合併症などを鑑別にあげる必要があった.神経根ブロックの合併症には,神経根損傷,感染,血腫形成,くも膜下ブロック,小脳・脳幹部梗塞などがあげられる.本症例においては,頸椎MRIで頸髄圧迫の悪化や血腫などの所見はみられず,K補正によりただちに筋力が回復したことからも,上記は否定的であり,抑肝散に含まれる甘草の作用により重篤な低K血症が起こったと考えられる.甘草は,医療用漢方製剤の約70%に含まれており,偽アルドステロン症を起こすことがある.甘草の代謝産物であるグリチルレチン酸により,11β-水酸化ステロイド脱水素酵素2型活性が阻害され,増量したコルチゾールが尿細管の鉱質コルチコイド受容体に作用してNaの再吸収を促進し,尿中K排泄を増加させる1).低レニン低アルドステロン血症とともに血圧上昇や血清K低下が生じ,これらが原因医薬品の中止により正常化した場合に,副作用としての偽アルドステロン症と診断される.本症例では高血圧や浮腫は明らかではなく,発症時の血清レニン・アルドステロン値が不明であるため,正確に偽アルドステロン症と診断するにはやや根拠に乏しい.ただ,抑肝散の投与により重篤な低K血症が起きたことはほぼ確実であり,若年者でもこのような重篤な副作用が起こりうることを認識するべきである.抑肝散による低K血症の発現頻度は1.3%とされており2),偽アルドステロン症を起こす危険因子としては,低身長・低体重など体表面積が小さい者,女性,高齢者,腎機能低下3),利尿薬を併用している症例などがあげられ,用量依存的な傾向もある4).また,市販の総合感冒薬や緑茶抽出健康飲料などに含まれるカフェインの大量摂取による低K血症も報告されており5),十分な問診を行うことも重要である.本症例ではこれらのリスク因子に該当するものはなかったが,神経ブロックに用いたデキサメタゾン1.65 mgのコルチコステロイド作用が,血清K値低下を助長した可能性は否定できない.

抑肝散は,セロトニンの部分作動薬として作用するほか,グルタミン酸による興奮を抑制する効果や,神経鞘の保護作用などもあり,複数の神経薬理学的作用をもつ6).とくに,グルタミン酸トランスポーター活性化によりグルタミン酸濃度を低下させることによって,抗アロディニア効果を発揮する機序が解明され7),神経障害性疼痛に対する治療薬として期待されるが,甘草含有の漢方薬を処方する際は,年齢や用量,期間にかかわらず,常に偽アルドステロン症の発症に留意するべきであり,低K血症を予防するためには定期的な電解質の測定が望ましい.

本論文の要旨は,日本ペインクリニック学会第52回大会(2018年7月,東京)で発表した.

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