2020 年 27 巻 4 号 p. 314-317
【症例】20代の男性.現病歴:左前縦隔腫瘍に対して胸腔鏡補助下腫瘍切除術を施行した.手術体位は右半側臥位,左上肢挙上(離被架吊り下げ)で同体位での固定時間は約8時間であった.全身麻酔覚醒直後より左上肢の疼痛と感覚・運動障害を認めた.術後7日目の腕神経叢の造影MRIで左腕神経叢の腫大がみられ腕神経叢損傷と診断された.運動障害が改善したため術後9日に退院となった.術後よりメコバラミン,プレガバリン(300 mg/日),トラマドール(200 mg/日)を内服していたが,退院後に左上肢痛が増強し術後43日に当科紹介受診となった.初診時現症:左前腕外側から母指の感覚障害と強い痛みがあり,運動障害も軽度みられた.治療経過:内服薬追加の希望はなく,腕神経叢ブロック(斜角筋間法)(1%メピバカイン,デキサメタゾン)を数回施行した後,疼痛は消失した.【まとめ】本症例は,手術体位による左腕神経叢損傷による神経障害性疼痛と考えられた.また画像所見から同部位に神経炎症が残存していると推測された.腕神経叢ブロックを施行することで早期に痛みが改善された.
末梢神経損傷は周術期に起こり得る重篤な合併症の一つである.今回,術中体位が原因と考えられる腕神経損傷に伴う疼痛に対して腕神経叢ブロックが著効した症例を経験したので報告する.
本報告は患者からの承諾を得ている.
20代の男性.身長179 cm,体重74 kg.
既往歴:特記事項なし.
現病歴:検診の胸部X線写真で異常陰影を指摘された.精査の結果左前縦隔腫瘍(奇形腫)と診断され,胸腔鏡補助下腫瘍切除術が予定された.麻酔は,Th5/6から硬膜外カテーテルを留置した後,全身麻酔を行った.手術体位は右半側臥位で左上肢挙上(離被架吊り下げ)であった.術中大きな合併症なく手術は終了し,手術時間7時間10分,全身麻酔時間8時間59分であった.手術体位での固定時間は約8時間で,手術操作に合わせて適宜左右にベッドのローテーションを行った.全身麻酔からの覚醒直後より左上肢の疼痛と感覚障害,運動障害を認めた.このときの硬膜外麻酔による冷覚消失はTh3~7であった.症状が持続したため,術後2日目に神経内科にコンサルトされた.左上肢の徒手筋力テスト(manual muscle test:MMT)は三角筋0,上腕二頭筋1,上腕三頭筋2,手関節伸筋群1,手関節屈筋群3,手指伸筋群2,手指屈筋群3と低下し,左上肢の深部腱反射もすべて低下,感覚障害は左上肢の広範囲に及んでいた.これらの神経学的所見から術中体位による左腕神経叢損傷と診断された.疼痛に対し術後2日目よりプレガバリン(300 mg/日まで漸増)とメコバラミン(1,500 μg/日),アセトアミノフェン(1,600 mg/日),セレコキシブ(400 mg/日)の内服を開始し,疼痛増強時にペンタゾシンの筋注が行われた.術後7日目に造影MR neurographyを施行し,左斜角筋停止部近傍の炎症性の変化と隣接する腕神経叢の腫大が確認され,左腕神経叢損傷および神経炎症と診断された(図1).経過中に徐々に運動障害は改善し,術後5日目より開始したトラマドール(200 mg/日まで漸増)により疼痛改善がみられたため,術後9日目に退院となった.しかし,退院後10日目より職場復帰したあとから疼痛が再度増強したため,術後43日に当科紹介受診となった.
造影MR neurography(冠状断)
左斜角筋停止部と左腕経叢に増強効果がみられ,神経叢は腫大している(白丸).
初診時現症:左前腕外側から母指にかけてしびれと感覚低下がみられた.同部位に火傷のようなビリビリとした自発痛とアロディニアがあり,数値評価スケール(numerical rating scale:NRS)は8であった.左上肢のMMTはおおむね保たれていたが,手指伸筋群でMMT 4程度の筋力低下があり,握力は右47 kgに対して左20 kgであった.仕事(重いものを持つ,機器を操作するなど)に弊害が生じ,長時間行うことで左上肢の脱力が増強した.腱反射は正常であった.
治療経過:上記の薬物療法が継続されており,これ以上の増量は希望されなかった.神経ブロックによる治療を提案したところ同意が得られた.超音波ガイド下に左腕神経叢ブロック(斜角筋間アプローチ)を週に1回の頻度で施行した.薬液には1%メピバカイン4 mlを用い,うち2回(2回目と5回目)はデキサメタゾン3.3 mgを混注した.神経ブロック後は,「仕事を継続することがリハビリテーションそのものであり,自分自身で可能な限り上肢を動かすことが筋力の回復や関節の拘縮の予防になり得る」ということを患者に対して教育的に説明した.神経ブロック施行の度に痛みは軽減しNRS 0~1となったため,計5回で神経ブロックは中止した.その後,痛みは再燃せずに内服薬を漸減した.プレガバリンを中止するとしびれが増強したため150 mg/日で継続し,その他の薬剤は中止できた.手術より6カ月以上経過した時点で,左上肢のしびれと脱力(80%程度回復)が残存していた.
手術体位による末梢神経損傷は周術期の重大な合併症である.その原因は体位による神経の進展,圧迫および虚血であると考えられている1,2).神経の物理的障害や虚血による変化に引き続いて,神経内血腫や浮腫が生じる1).神経障害の症状が持続すれば患者の生活の質(quality of life:QOL)は大きく損なわれることとなる.周術期の手術体位による末梢神経損傷の発生率は0.03~0.147%程度と報告されている3).高リスク群として,術前因子としては糖尿病やビタミンB12欠乏症,慢性アルコール中毒,悪性腫瘍,脱水症,低栄養,喫煙,高血圧症,術中因子としては低体温,低血圧などが報告されている2,3).その他,解剖学的要因として胸郭出口の異常や低体重などが指摘されている2).腕神経損傷は肩関節の外転・外旋および頸部の過伸展により腕神経叢が引き伸ばされることにより生じるといわれ,本症例では術前の高リスク要因はなかったが,長時間に及ぶ左上肢の挙上と頸部の伸展による神経伸長とそれに伴う虚血が原因と推測された.
末梢神経損傷のSunderland分類4)のI度では一過性伝導障害のみだが,II度以上では軸索に障害が及び,IV度以上では神経周膜まで障害されているため外科的介入を検討する必要がある.治癒までの期間は,I度で数日から数週,II度で数週から数カ月の期間を要し,III度以上では自然治癒は難しいと考えられている.本症例では,6カ月以上経過した後もしびれと脱力が残存した経過から,腕神経叢の一部で同分類のII~III度の損傷が生じたと考えられる.また痛みの原因は,神経損傷部位の異常な神経発火に伴う神経障害性疼痛に加えて,損傷部位局所の炎症が残存した可能性が考えられた.これに対して局所麻酔薬とステロイドを注入することで,速やかに疼痛が改善したと考えられた.
局所麻酔薬による腕神経叢ブロックは,一過性の痛みの軽減によりリハビリテーションを促進して患側上肢の拘縮や血流,浮腫を改善する.また末梢性・中枢性感作を抑制し,慢性疼痛への移行を防止すると考えられている5,6).さらに末梢神経は知覚神経求心路とともに交感神経遠心路線維を含み,これを遮断することで局所の血流改善が起こる7).この血流改善効果は,間接的に損傷部位の神経再生を促進すると予測される.また交感神経ブロックによる抗炎症効果も期待できる.Liuら8)は急性期外傷患者に対する頸部交感神経ブロックにより,炎症反応や炎症性サイトカインの分泌が抑制されることを報告し,全身性炎症反応症候群への移行防止を示唆した.またラットを用いた基礎研究でも,星状神経節ブロック後の抗炎症効果によって急性期肺障害が抑制されたことが報告されている9).組織損傷に伴う急性炎症反応は,神経成長因子を誘導し軸索再生を促す作用がある10)一方で,強い炎症反応が長期にわたると神経変性疾患にみられるような神経毒性を有すると考えられる11)ため,何らかの対策が必要である.本症例でも腕神経叢ブロックにより,局所の血流改善と過剰な炎症反応を抑制したことにより慢性疼痛への移行を防止できたと推測した.加えて,ステロイドの注入は局所の抗炎症効果とともに,局所麻酔薬の効果を増強することも期待できる12).
末梢神経損傷の保存治療として,メコバラミンやステロイド,鎮痛薬の内服やリハビリテーション,障害をサポートする矯正器具を用いた補助療法などがあり,個々の状態に応じて最善の方法を検討しているのが現状である.今回,治療法として選択した超音波ガイド下神経ブロックによる神経損傷の発生率は0.0037%ときわめて低いと報告されている13).このため熟練した医師が十分に注意して施行する環境においては,神経損傷に対する治療の選択肢となり得ると考える.
末梢神経損傷に伴う痛みの遷延は,四肢の不動化や自律神経系の異常から複合性局所疼痛症候群などの病態へ移行する可能性がある.これに心理社会的要因が加わるとさらに病態が複雑化し,治療はきわめて困難となる14).早期にペインクリニック医や神経専門医へコンサルトし,適切な評価を受ける必要がある.本症例のように医原性の神経損傷による疼痛では,患者自身が現状をどのように認識しているかを確認することも大変重要である.もし医療者に対する怒りや不信感が痛みなどの症状を増強させていると判断される場合は,治療戦略を神経ブロックではなく他の方法に変更したほうが得策かもしれない.本症例では画像や理学所見と発症起点,経過などが痛みの訴えと矛盾がなく,痛みによるQOLの低下を改善したいという患者自身の切実な訴えがあったため,神経ブロックによる治療を提案した.医原性に引き起こされた疼痛に対する神経ブロックの施行には,十分な説明と同意が必要である.
手術体位による腕神経叢損傷後疼痛に対して,腕神経叢ブロックが奏効した症例を経験した.急~亜急性期で炎症を伴う症例では,神経ブロックが有効であると考えられた.
本稿の要旨は,第38回九州ペインクリニック学会(2020年2月,福岡)で発表した.