日本ペインクリニック学会誌
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症例
腕神経叢ブロック(斜角筋アプローチ)が著効した慢性胸痛の1症例
坂本 正横地 歩丸山 一男
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2022 年 29 巻 5 号 p. 77-80

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Abstract

超音波ガイド下腕神経叢ブロック(斜角筋アプローチ)が著効した慢性胸痛を1症例経験したので報告する.症例は30歳男性で,主訴は両側側胸部疼痛であった.当科初診の3カ月前に上気道炎を発症,会話や体動で増悪する強い側胸部の疼痛を自覚した.複数の医療機関で精査を行うも原因は不明で,疼痛コントロール目的で当科を受診した.初診時,両側側胸部の圧痛と運動や立位の保持で誘発される疼痛があった.肋間神経ブロック,胸部傍脊椎神経ブロック,胸部硬膜外ブロック,横隔神経ブロック,星状神経節ブロックは無効であった.圧痛部位が前鋸筋に一致していたため,同筋の支配神経である長胸神経をブロックするため腕神経叢ブロックを行ったところ,自覚症状が著明に改善した.腕神経叢ブロックは上肢や肩の疼痛治療に用いられるが,同時に前鋸筋を支配する長胸神経もブロックされうる.胸痛の場所が前鋸筋に一致し長胸神経のブロックが有効であったことから,本症例の胸痛は前鋸筋由来の痛みであったと考えられる.腕神経叢ブロックは,外来で比較的簡易に行える治療法である.前鋸筋が原因と考えられる側胸部の疼痛に対して,腕神経叢ブロックを試みる価値があることが示唆された.

Translated Abstract

We report a case of chronic chest pain wherein ultrasound-guided brachial plexus block (BPB) was effective. A 30-year-old man complained of bilateral chest pain. Laboratory and imaging studies revealed no malignant tumor, vascular or collagen disease. Intercostal nerve, epidural, phrenic nerve, and stellate ganglion blocks were ineffective. After a careful re-examination, the pain was found to be in the area of the serratus anterior muscle. Interscalene BPB significantly improved the subjective symptoms. Though this approach is used to treat pain in the upper limbs and shoulders, it can also block the long thoracic nerve innervating serratus anterior muscle. The chest pain, in this case, was speculated to be derived from the serratus anterior muscle, and the block of the long thoracic nerve was effective. The results suggest that it is worthwhile to try an interscalene BPB. It can be safely performed in outpatients with lateral chest pain of the serratus anterior muscle.

I はじめに

胸痛の原因と割合1)は,筋骨格系の痛み(36%),消化管疾患(19%),心血管疾患(16%),心因性・精神的疾患(8%),肺疾患(5%),非特異的胸痛(16%)となっている.診断と治療目的で肋間神経ブロック,胸部傍脊椎神経ブロック,胸部硬膜外ブロックなどの胸神経をターゲットにしたブロックが行われるが,難治性の症例もある.胸部には胸神経以外の運動神経に支配される大胸筋,小胸筋,前鋸筋,広背筋が存在する.前鋸筋の運動神経支配は長胸神経(cervical(C)5~7)となっている.近年,腕神経叢ブロック(斜角筋アプローチ)2),pectoral nerves block(PECSブロック)3)やserratus plane block(SPB)4)により長胸神経をブロックすることができる.今回,われわれは難治性胸痛に対し,腕神経叢ブロックを施行し,著効した症例を経験したので文献的考察を加えて報告する.

なお,本報告は患者本人から承諾と同意を書面にて得ている.

II 症例

30歳男性.身長174 cm,体重82 kg,事務作業従事者であった.主訴は両側側胸部疼痛で,既往歴として特記事項はなかった.

当科受診の3カ月前,発熱,上気道炎,倦怠感が出現した.治癒後,会話や体動で増悪する強い胸痛と両側側胸部に強い圧痛(図1)を自覚するようになり,痛みのため休職となった.近医の精査では原因不明,疼痛コントロールが不良のため,当院総合内科を紹介受診した.自己免疫疾患関連を含む血液検査は正常所見,心電図,胸部CTでも明らかな器質的異常は認めなかった.プレガバリン50 mg/日とアセトアミノフェン600 mg屯用が処方された.しかし,動作時疼痛が改善しないため,疼痛コントロール目的で当科に紹介された.

図1

自発痛と圧痛部位(左),特に痛みが強い領域(右)

当科初診時の症状は,両側側胸部の知覚低下を伴わない動作時疼痛と鋭い圧痛であった.安静時numerical rating scale(NRS)4,動作時NRS 8であった.30分間の歩行や立位の保持で痛みが誘発された.側胸部の動作時疼痛のため両側上肢,肩の挙上は困難であった.体幹動作で痛みを誘発し,上肢の外転動作(90°~180°)や水平伸展動作(0~30°)でも疼みが誘発された.第5,6肋間領域で強い圧痛を認めた(図2).理学療法の併用を試みたが疼痛が強く,初診時での導入は困難であった.

図2

治療経過

疼痛改善が乏しかったためプレガバリンは中止し,経口トラマドール(100 mg/日)とアセトアミノフェン(2,000 mg/日)を開始した.ブロック治療として,超音波ガイド下肋間神経ブロックを第6肋間で施行したが,胸痛の改善は認めなかった(図2).次に,造影剤を用いたX線透視下thoracic(Th)5/6硬膜外ブロック(0.5%リドカイン6.5 ml,ベタメタゾン2 mg)を2度施行したが,全く効果は得られなかった(図2).

経過1カ月後,吃逆が出現し,止まらなくなった.トラマドールは,疼痛軽減効果に乏しかったため中止し,プレガバリンを50 mg/日から再開した.横隔神経との関連を考え,超音波ガイド下横隔神経ブロックを行い,ブロック直後から吃逆は軽減するも,疼痛改善効果はなかった(図2).以降,吃逆の再燃は認めていない.

痛みに交感神経が関与していると考え,X−1年9月から星状神経節ブロック(両側週1回の頻度,C6頚長筋内に1%リドカイン3 ml)を開始した.星状神経節ブロック開始後,倦怠感の改善と当科受診前より存在していた不眠の改善を認めたが,痛みに変化はなかったため,星状神経節ブロックによる治療は2カ月間で中止した.プレガバリンを300 mg/日まで増量したが,痛みは変わらないため,下行性抑制系による効果を期待し,デュロキセチン20 mg/日を追加した.疼痛範囲が広く,また圧痛が強く,トリガーポイント注射は困難であったため,10%リドカインクリーム(当院院内製剤)製剤塗布を試してみたところ効果を認めた.疼痛部位を再度確認したところ,両側共に前鋸筋と疼痛部位が一致していることが判明した.

長胸神経ブロックを目的にSPBとPECSブロックを試みたが,強い圧痛のためエコープローベを当てることができず,ブロック治療を断念した.10%リドカインクリーム使用後にブロックを行うことも考慮したが,局所麻酔薬中毒の危険性があったため施行しなかった.そこで,腕神経叢ブロック(斜角筋アプローチ)を施行した(Sonosite社のS-Nerve,リニアプローベ).ユニシス社(22G 70 mm)エコージェニック針を使用した.体位は仰臥位で肩枕にてブロック側をやや浮かせるようにした.C6の神経根と横突起が見える高さで後方から穿刺し,C5とC6の間で中斜角筋を貫き0.5%リドカインを6 ml投与し,針を抜いてくる際,中斜角筋内に0.5%リドカイン4 mlを投与した.薬液投与直後より,一連の治療の中で初めて自覚症状が著明に改善し,NRS 8だった圧痛がNRS 1まで改善した.ブロック後,上肢の痺れは認めたが,明らかな運動障害や呼吸苦は認めなかった.ブロック治療の効果は特に治療2日間で著明,またその効果は治療2週間後もNRS 5とブロック前NRS 8に比し,痛みの改善を認めた.反対側で腕神経叢ブロックを施行し,同様の鎮痛効果を得た.その後も,隔週交互に腕神経叢ブロックを継続し,計16回施行し徐々に痛みの改善を認めた(図2).全ての回において,明らかな運動麻痺は生じなかった.当科受診から9カ月後には,軽い運動ができるまでに改善し,復職に向け就職活動を開始した.

III 考察

本症例は疼痛発症前に上気道感染を生じており,痛みとの関連が疑われる.感染を契機に起こる疼痛疾患としては,流行性胸痛症や皮疹を伴わない帯状疱疹などが挙げられる.EBウイルス,パルボB19ウイルス,サイトメガロウイルスは陰性であったことから,流行性胸痛症は否定的であった.帯状疱疹は,疼痛領域が両側性でデルマトームに沿っていないことから否定的であった.感染症を契機とする疼痛は,比較的経験することのある上記疾患は否定的ではあった.しかしながら,今回感冒症状を契機に疼痛が発症しており,感染が契機となった可能性は否定できない.何らかの原因で,両側前鋸筋領域の知覚が障害され痛みを生じたと考えられる.胸部硬膜外ブロックが効かなかったことより,胸神経や交感神経の関与は低い痛みと考えられる.高濃度リドカインクリームの塗布の効果があり,痛みの原因となる局所に活性化した神経線維の存在が示唆される.さらに,疼痛部位が前鋸筋の場所と一致することから,責任神経線維は長胸神経の末梢枝と推測することができる.長胸神経をブロックする方法として,腕神経叢ブロック(斜角筋アプローチ)2),PECSブロック3),SPB4)がある.腕神経叢ブロックが著効したのは,長胸神経がブロックされたからと考えられる.

腕神経叢ブロック(斜角筋アプローチ)は,前斜角筋と中斜角筋で形成される斜角筋間溝に薬液が浸潤することで,C5~Th1の神経がブロックされる.C8とTh1は,薬液が広がりにくくブロックされないことが多い.長胸神経は運動神経で主にC5,C6,C7で形成される1).中斜角筋と後斜角筋の間を走行するが,中斜角筋を貫いたり2,5),中斜角筋をまたぐ場合もある.本症例で長胸神経がブロックされた場所は,斜角筋間と中斜角筋内の二つが考えられる.

長胸神経麻痺の症状は,前鋸筋麻痺による翼状肩甲骨,上肢前方挙上困難となり,上肢挙上時にだるさ,倦怠感,脱力感が生じる6,7).肩,頚部,上肢の疼痛の報告はあるが6,7),側胸部の疼痛の報告はない.これは,前鋸筋の知覚は胸神経支配で運動枝は長胸神経支配であることと合致する.本症例においては,腕神経叢ブロックで鎮痛効果があったことから,長胸神経が両側側胸部疼痛に関与している可能性が考えられる.今回,治療抵抗性の慢性胸痛に対して腕神経叢ブロック(斜角筋アプローチ)が有効であった症例を経験した.腕神経叢ブロックは手技も容易であり,疼痛部位からも離れているので安全かつ患者への負担も少なく施行できた.側胸部の疼痛で前鋸筋領域に痛みを認めるのであれば,長胸神経を含むブロックを選択する価値があると考える.

文献
 
© 2022 一般社団法人 日本ペインクリニック学会
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