日本ペインクリニック学会誌
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症例
胸骨正中切開後に発症した両側上肢の複合性局所疼痛症候群に対して集学的疼痛治療を行った1症例
井ノ上 有香前田 愛子中山 昌子山本 美佐紀白水 和宏山浦 健
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2022 年 29 巻 9 号 p. 202-205

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Abstract

【症例】68歳の男性.現病歴:胸骨正中切開による僧帽弁置換術と左内胸動脈を用いた冠動脈バイパス術後より左前腕内側と尺側手指の痺れを伴う疼痛が出現した.手術2カ月後には右側にも同様の症状が出現した.薬物療法が開始されたが同部位の疼痛増強や筋力低下が出現したため,手術4カ月後に当科紹介受診となった.初診時現症:両前腕から手指にかけての疼痛,アロディニア,手指関節拘縮,運動障害,浮腫があった.厚生労働省研究班による判定基準を満たし,複合性疼痛症候群と診断した.治療経過:薬物療法に加えて超音波ガイド下腕神経叢ブロック,リハビリテーションおよび痛みの認知教育による集学的疼痛治療を行い,両手指の疼痛や関節の拘縮,運動障害は著しく改善した.【まとめ】本症例は,胸骨正中切開後に腕神経叢損傷が生じ,その後両上肢の複合性局所疼痛症候群に移行したと考えられた.胸骨正中切開後に生じる腕神経叢損傷の危険因子は内胸動脈採取などが報告され本症例でも該当する.比較的予後良好とされるが,難治性疼痛に移行する可能性があることを認識し早期の集学的治療を考慮することが重要である.

Translated Abstract

Case: A 68-year-old man underwent cardiac surgery including internal mammary artery dissection using sternal retraction. The day after surgery, he had pain with numbness in the left medial forearm and ulnar side fingers. Two months after surgery, similar symptoms appeared on the right side, gradually, edema and contractures developed in both hands. He was referred to our department 4 months after the surgery. His symptoms, with significant pain and contracture of both hands, met the diagnostic criteria for CRPS. We have performed rehabilitation, pain awareness education, medication, and twelve times ultrasound-guided brachial plexus block (1% mepivacaine) to control his symptoms. After approximately five months of these treatments, the patient's impeded bilateral upper limbs motion and pain were notably improved. Conclusion: Early multidisciplinary treatment initiation could ameliorate intractable pain syndrome such as complex regional pain syndrome induced by cardiac surgery-related brachial plexus injury.

I はじめに

周術期の末梢神経損傷は術後の生活の質を低下させる重大な合併症で,その一つに心臓手術後の腕神経叢損傷がある.今回,胸骨正中切開後に腕神経叢損傷を発症し,重度の上肢機能不全を伴う両側の複合性局所疼痛症候群(complex regional pain syndrome:CRPS)へ移行した症例の治療を経験した.本症例報告にあたり,患者から書面によるインフォームド・コンセントを得た.

II 症例

68歳の男性.身長168 cm,体重68 kg.

既往歴:糖尿病,高血圧,脂質異常症,慢性心房細動,気管支喘息.

内服薬:ワルファリン,バイアスピリン,ビソプロロールフマル酸塩,キナプリル塩酸塩,メチルジゴキシン,スピロノラクトン,フロセミド,メトホルミン,エンパグリフロジン,テネリグリプチン,ピタバスタチン,エソメプラゾール.

現病歴:40年以上前に僧房弁手術を施行されて以来経過観察されていた.X年4月ごろより労作時息切れ症状が出現し,精査により高度僧帽弁狭窄,左冠動脈のびまん性狭窄を指摘された.X年7月に僧帽弁置換術,左心耳閉鎖術,左内胸動脈を用いた冠動脈バイパス術を胸骨正中切開で開胸器を用いて施行された.手術は全身麻酔で行われ,術中体位は両上肢巻き込みの仰臥位であった.術中合併症なく手術は終了し,麻酔時間10時間33分,手術時間8時間28分,人工心肺時間3時間34分,左内胸動脈採取に要した時間は約70分であった.

術後第1病日覚醒後より,左前腕内側と尺側手指の痺れと疼痛を訴えたため左C8~T1領域の開胸器使用に伴う神経損傷と判断されていた.その後数日で左手指の筋力低下が出現したがメコバラミン内服で経過観察されていた.術後2カ月ごろより右側にも前腕内側から尺側手指の疼痛を訴えた.術後3カ月ごろより疼痛に加えて,両前腕より末梢の浮腫と拘縮を認めた.トラマドール(100 mg/日)とミロガバリン(25 mg/日)を内服するも改善がないため,術後4カ月目に当科紹介受診となった.

初診時現症:両前腕から手掌にかけて数値評価スケール(numerical rating scale:NRS)で最大6の疼痛を認めた.同部位に浮腫とアロディニアがあり,サーモグラフィー検査で両手指の皮膚温上昇がみられた.手指屈筋伸筋群の徒手筋力テスト(manual muscle test:MMT)は両側ともに2/5程度で,手指関節の拘縮を認めた.ボタン掛けや箸を持つなどの巧緻運動障害がみられた.両側小指外側に感覚障害がみられた.上肢腱反射は正常であった.厚生労働省研究班によるCRPS判定指標である,1.皮膚等の萎縮性変化,2.関節可動域制限,3.持続性ないしは不釣り合いな痛み・知覚過敏,4.発汗の異常,5.浮腫のうち2項目以上を満たした.頚椎X線検査では特記所見を認めなかった.左右正中神経・尺骨神経の神経伝導速度検査では全ての神経でF波最小潜時遅延がみられ中枢側の神経損傷が疑われた.主治医や本人の話から,手術前は糖尿病による下肢の振動覚低下と異常感覚がみられたが上肢の痛みや痺れの訴えはなかったことが確認された.以上から胸骨正中切開後に生じた腕神経叢損傷を契機に発症した両側CRPSと診断した.

治療経過:外来通院で薬物療法を行い,徐々に増量しトラマドール(200 mg/日),ミロガバリン(25 mg/日),デュロキセチン(20 mg/日),ワクシニアウイルス接種家兎炎症皮膚抽出液含有製剤(16単位/日),ロキソプロフェンナトリウム水和物(180 mg/日)の内服を行った.さらに,超音波ガイド下斜角筋間アプローチ腕神経叢ブロック(1%メピバカイン5 ml)を施行した.治療開始後より安静時痛は改善傾向であったが,可動による痛みへの恐怖心から両上肢を動かさないようにする傾向がみられた.認知行動療法とリハビリテーション目的に術後8カ月目に2週間程度の入院加療を行った.入院中は腕神経叢ブロックを左4回,右1回施行し,リハビリテーションを行った(図1).また,毎日行われるリハビリテーション中に作業療法士や医師は,本人の理解度を確認しながら適切な運動療法が疼痛や機能の回復に重要であることを繰り返し指導する方法で認知行動療法を行った.これにより自発的に両上肢の運動を行う姿がみられるようになり,約2週間の入院の後,NRSは左側が2~3,右側が1程度となり,両上肢ともに自動運動が可能となった.両上肢ともに両側手指屈筋伸筋群MMTは4/5程度と改善したため自宅退院となった.両側小指外側に痺れは残存するが,退院後もCRPSの症状は再燃せず,内服薬も漸減することができた.

図1

治療経過

横軸に時間経過,縦軸上段に治療の経過(内服薬と神経ブロック),下段に最大の痛みの推移(実線は左,破線は右上肢痛)を示す.

III 考察

胸骨正中切開後の腕神経叢損傷の発生率は1.5~24%と,非心臓手術の周術期末梢神経損傷の発生率0.03~1.5%と比較して高頻度であることが報告されている13).後者と比較した胸骨正中切開後に生じる腕神経叢損傷の特徴は,下位腕神経叢損傷であることが多く,運動神経よりも感覚神経が影響を受けやすく,予後良好である1).しかし,0.3~1%程度は慢性的に症状が残存すると報告されている4,5)

胸骨正中切開後の腕神経叢損傷の主な危険因子は,術中体位や開胸器を使用した内胸動脈採取の有無であることが指摘されている.体性感覚誘発電位(somatosensory evoked potential:SSEP)による検出上では,肩を90度未満に外転し上肢を体幹より上方に固定するハンズアップポジションが上肢を体幹に沿わせた巻き込み位より有利とする報告がある.しかし,術中SSEPの末梢神経障害検出の科学的エビデンスは確立されていない1,6).Vahl7)らは内胸動脈採取と腕神経叢損傷の関係を調査し,採取群(10.6%)では非採取群(1%未満)より高率に発症し,内胸動脈採取時の非対称な開胸器装着が本合併症と関連する可能性を示唆している.胸骨正中切開による腕神経叢損傷は,開胸器による第一肋骨の上方偏移や鎖骨の後方偏移,また,これと同時に対側へ頚部が回旋することによる腕神経叢の伸展が直接的な原因と考えられている.さらに開胸時の第一肋骨骨折や血腫による圧迫も原因の一つであることが示されている1).一般的な末梢神経損傷の危険因子は,糖尿病や高齢,脱水症,低栄養,喫煙,高血圧症,術中因子としては低体温,低血圧などが報告されている3,8).本症例では,術後の経過や検査所見から両側腕神経叢損傷が生じた可能性が高いと考えられた.これは,長時間の内胸動脈採取や高齢,人工心肺による低体温,術中低血圧,術前から上肢にも糖尿病による末梢神経障害が潜在していた可能性など,多くの危険因子が存在したことが関与したと推測した.

胸骨正中切開後に腕神経叢損傷と考えられる症状が出現した場合は速やかな診断と治療が求められる.症状が持続する場合は,筋電図検査,神経伝導速度検査やMR neurography撮像を実施し,損傷部位とその程度を同定することが必要である.肋骨骨折はX線撮影では見逃されやすくCT検査を考慮する9).末梢神経損傷はSeddonの分類に従い一過性神経伝導障害,軸索断裂,神経断裂の3つに分けられる10).胸骨正中切開後の腕神経叢損傷は軽症例が多いことから,多くの症例で一過性神経伝導障害であると考えられる.しかし,本症例では日常生活が可能となったが,痛みや痺れが残存したことから軸索断裂が生じていたと推測した.一般的な治療は,リハビリテーションとメコバラミン,ステロイド,鎮痛薬などの薬物療法である.神経断裂が生じ,長期的な運動障害が残存した場合は,上記治療に加えては矯正器具などを用いた補助療法が必要となる.

本症例のように,胸骨正中切開後に腕神経叢損傷をきたし,その後両側のCRPSに進展した報告はなく非常にまれと考えられる.CRPSは,外傷などの後に過度の安静や患肢の不動化を契機に血流不全や炎症反応,交感神経活動の異常が持続して生じる難治性慢性疼痛症候群と考えられている11).本症例でも腕神経叢損傷後の疼痛により両上肢の過度の安静や不動化が持続したことが原因と考えられた.CRPSの治療はリハビリテーションが推奨されている12).神経ブロックを併用したリハビリテーションは,運動への恐怖心を和らげ関節可動域を拡大し,拘縮や血流,浮腫を改善しやすくすると考えられる.さらに交感神経遠心路線維は知覚神経求心路に伴走するため,末梢神経ブロックによる直接的な末梢の血流改善効果も期待できる13).また,慢性的持続的な侵害刺激の入力は中枢性感作の原因の一つと考えられており14),末梢神経ブロックによる侵害刺激伝達の遮断は中枢性感作への移行を防止することも見込まれる.本症例が両腕神経叢損傷から両側ともにCRPSに移行した原因は不明であるが,腕神経叢損傷の程度や痛みの強さと持続時間,不動化などの認知行動様式などの要素が複合的に関係した可能性が考えられた.

IV 結論

心臓手術における胸骨正中切開後の腕神経叢損傷から両上肢のCRPSへ進展した症例を経験した.本手術による腕神経叢損傷は良好な経過であることが多いとされるが,難治性疼痛に移行する可能性があることを認識し早期の集学的治療を開始することが重要と考えられた.

本論文の要旨は,日本ペインクリニック学会第2回九州支部学術集会(2022年2月,Web開催)において発表した.

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