抄録
本研究は, 明治政府が,「国民」としての統一性を前提とした近代化を推し進めるために, その秩序が内在化できるような身体の形成装置として都市や公園を捉えていたという都市と身体の関係に関する基本的な分析視点を明らかにするとともに, その諸相の一端を序説的に展開することを目的としている。
特に, 明治・大正期に都市計画とともに整備された公園に焦点をあて, そこでの人びとの身体が, 次のようなことから秩序づけられていく可能性をみることができた。それは, 公園内の運動場や体操器械, 園路といった施設=モノや, 公園内の人びとの〈見る/見られる〉という視線が, 人びとの行為の限定や秩序の受け入れに有効に機能している点である。