スポーツ社会学研究
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貧困下におけるスポーツと生活実践
マニラ首都圏のボクシングジムとスクウォッター世界から
石岡 丈昇
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2007 年 15 巻 p. 87-102

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抄録

社会経済的貧困下におけるスポーツ実践は、定型化されたいくつかの語り口に添ってこれまで論じられてきた。スポーツが社会問題を隠蔽する「アヘン」として機能することを論じるもの、階級闘争の賭金すなわち「闘争のアリーナ」として論じるもの、また支配者階級の干渉外に置かれた民衆文化の独自の生成空間とする「オープン・カルチュラル・スペース」として論じるものなどである。これらの語り口は、スポーツを貧者の社会参画の手段として位置づける点で共通している。
本稿は、これらとは異なる議論前提に立って、社会経済的貧困下におけるスポーツ実践を論ずる試みである。すなわち、担い手が自身の生活を創り上げるための技法として、スポーツを実践する点を例証する。理論的背景として、ロイック・ヴァカンの言う「緩衝空間」概念を挿入する。スポーツ実践の社会的意味を、社会参画という、担い手自身の認識から離脱した地点から論断する手法によってではなく、担い手の認識そのものを再構成する地点から問い直す上で、ヴァカンの提示する概念が有効だからである。
事例として、フィリピン・マニラ首都圏のパラニャーケ市にあるEボクシングジムを取り上げる。このジムにボクサー以外の人びとが多数居座ることの論理の解明を通じて、ジムがボクサーとその所帯にとっての生活保障空間として定位していることを論じる。
そこから本稿は、社会経済的貧困下におけるスポーツ実践を論ずるための語り口として、担い手の生活の「無事」という視角を中核に据えた研究の必要性を述べる。社会参画としてスポーツを捉える研究は、貧者の現在の暮らしをネガティブにしか論じられない。「無事」の志向こそが貧者の論理であることを示すことによって、彼らの暮らしを絶え間ない創造の過程として捉えることが可能になり、生活実践としてスポーツを論じる地平が切り開かれることを述べる。

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