2021 年 32 巻 5 号 p. 619-624
エピゲノムは,遺伝子の配列変化を伴わずに機能を変化させ,細胞分裂を経ても安定して伝わる情報である.近年その分子的実体が明らかになると共に.エピゲノム異常による病因病態の詳細が解明されつつある.またエピゲノムは,環境の影響を受けて変化することが知られている.その結果,胎児期や乳幼児期の不適切な環境の影響が長期遺残し,成人期の疾患素因となる可能性が示されている.また,単一遺伝子疾患が,ゲノム異常(塩基配列異常)を伴わずにエピゲノム異常により発症した例も報告されつつあり,これまで原因不明とされてきた様々な疾患の病因病態解明に寄与することが期待される.
ヒトの発生と生命維持に必要な全遺伝情報(ゲノム)は,細胞分裂を経ても正確に複製され,文字通り親から子へと特徴が「遺伝」し,あるいは細胞分裂後も各細胞や臓器は機能を失わずに個体を維持することができる.エピゲノム(エピジェネティックな情報全体)は,DNAやヒストンの化学的修飾等により,遺伝子の塩基配列を変えずに機能を変化させるが,エピゲノムも「遺伝」するため,細胞機能や個体の健康に長期にわたり(あるいは世代を超えて)影響することがある.本総説では,エピゲノムの背景とその破綻による疾患発生のメカニズムについて,我々の知見を交えて概説する.
図1に,エピゲノムの分子的実体の模式図を示す.DNAの化学的修飾として,DNAメチル化が挙げられる.DNAの4つの塩基(アデニン,グアニン,シトシン,チミン)のうち,シトシンの5位のCにメチル基(CH3)が付加されることをDNAメチル化と呼び,DNAメチル化された領域の機能は原則として抑制される.DNAメチル化は植物から脊椎動物まで広く保存されているが,哺乳類はDNMT1,DNMT3A,DNMT3BというDNAメチル化酵素を有する.加えてDNMT3LというDNAメチル化酵素活性を持たないタンパク質が存在しDNMT3A・DNMT3Bに結合してそれらの活性を制御する1).興味深いことに,DNMT3Lは胎盤を有する真獣類・有袋類には存在するが,哺乳類ではあるが卵を産む単孔類(カモノハシ)には存在しない.このような状況証拠から,DNMT3Lは,胎盤の進化や後述のゲノムインプリンティング獲得に寄与したと考えられる2).
エピゲノムの分子的実体であるDNAやヒストンの化学修飾と,クロマチン構造の関係の模式図.ヘテロクロマチン状態では,転写因子等がアクセスできなくなり,その領域の遺伝子の転写は抑制される.
ヒストンタンパク質の化学的修飾は,DNAメチル化よりも複雑である.クロマチンの基本構成単位であるヌクレオソームは,4種類のヒストンタンパク質(H2A, H2B, H3, H4)から成るコアヒストン8量体に,146 bpの2重鎖DNAが巻き付いた構造をとる.コアヒストンからヌクレオソームの外側に伸びるヒストンテールが,様々な化学修飾を受け,高次構造を変化させ,必要な因子のアクセス状態を調節することで,その領域の機能を制御する.H3K4me3(プロモーターマークとして作用する.ヒストンH3の4番目のリシンにメチル基が3個付加された状態を意味する.以下同様),H3K27ac/H3K4me1(エンハンサーマーク),H3K36me3(転写領域マーク),H3K27me3(ポリコーム複合体抑制マーク)等の修飾が,種を超えて広く保存されており,それぞれの修飾に特異的なヒストン修飾酵素が多数同定されている3).
ゲノムは,正確に複製されて遺伝情報を伝えていくことにその存在意義がある.1個の細胞から発生した生命が,同一のゲノムから様々な細胞に分化して複雑な体を作り上げる際も,ゲノムを書き換えるわけにはいかない.そこで,エピゲノムのような機構によるゲノムのファインチューニングが必要となってくる.受精後,配偶子由来のエピゲノム(配偶子あるいは父・母が持つ特有のエピゲノム)は一旦消去・解除され,初期胚の全能性や多能性の獲得につながると考えられる.その後,分化に応じて各細胞・組織は特異的なエピゲノムを構築し,全能性や多能性を失なう一方で,細胞分裂を経ても各細胞のエピゲノムが「遺伝」するため,元の性質を失わず,生体は恒常性を保つことができる.
図2は,DNAメチル化を例に,発生過程のエピゲノム変化の概要を図示したものである.受精直後に,精子由来のDNAメチル化は速やかに消去され(能動的脱メチル化),卵子由来のメチル化はそれに遅れ,DNA複製依存的に維持されずに失われていく(受動的脱メチル化).親由来のDNAメチル化修飾情報はこのように大部分が一度消去され,その後胚盤胞期まで低メチル化状態にあり,着床後,複数の酵素によって,発生段階や細胞系列・組織に特異的なDNAメチル化修飾(エピゲノム)が再構築されていく.オス生殖細胞系列では,胎児期にDNAメチル化修飾が行われ,出生前の精原細胞の段階(減数分裂の始まる前)ですでにゲノム全体が高度に特異的修飾を受けているのに対し,メス生殖細胞系列では,出生後の卵母細胞成長期(減数分裂中)にもDNAメチル化修飾が新たに確立される.
発生過程のDNAメチル化変化の模式図.縦軸は,ゲノム全体のDNAメチル化レベルを示し,高いほど強固なエピゲノムによる遺伝子発現制御が構築されており,低いほどその制御が解除されていることを示す.
特定の遺伝子群(合計数百個と推定されている)は,卵子と精子でエピゲノム(DNAメチル化状態)が異なる.エピゲノムの違いは生涯不変であり遺伝子機能を制御するため,これらの遺伝子群は片親性発現(どちらの親由来遺伝子か?が常に識別されて発現)する(図2).この現象は,「親世代の生殖細胞になんらかの情報が事前に『刷り込まれ』,子世代の遺伝子の親由来が識別されている」と捉えることができるため,ゲノムインプリンティングと称されている.
多くの先天性疾患やがんで,様々なゲノム異常(遺伝子の欠失や点変異等々)が病因として同定された結果,がん分野ではすでに,数百個の候補遺伝子の網羅的遺伝子解析が保険適用され,医療として実装化されている.そのほかにも,単一遺伝子疾患の病因遺伝子を標的とした診断薬や創薬も多数実用化されている.いわゆる遺伝性疾患,単一遺伝子疾患と呼ばれるものは,当該遺伝子のゲノム異常だけではなく,「エピゲノム異常(DNAやヒストンの修飾異常)」でも同じ症状を呈するはずであり,実際にそのような症例が報告されてきている.
メチルマロン酸血症は,我が国で最多の有機酸代謝異常症であり,新生児マススクリーニングが行われ,小児慢性特定疾患にも指定されている.同疾患は代謝経路の諸段階で発症し,その代謝経路にかかわる複数の遺伝子が病因として同定されている.Guéantらは,典型的な症状や検査値からcblC遺伝子の機能異常と推定されるにもかかわらず,同遺伝子に変異(ゲノム異常)を有さない症例の詳細を解析した(図3上段).これらの症例では,疾患とは全く関係のない近傍の遺伝子に変異が存在し,その結果異常なcblC遺伝子アンチセンス産物が産生され,最終的にDNAメチル化異常(エピゲノム異常)が生じていた.すなわち,「原因遺伝子のエピゲノム異常によるメチルマロン酸血症」であった4).
エピゲノム異常が遺伝して単一遺伝子疾患を発症した例.詳細は本文参照.
あるいは図3下段に示す例では,乳がん・卵巣がんの原因遺伝子の一つであるBRCA1遺伝子について,翻訳領域(タンパク質のアミノ酸配列をコードしている領域)には異常を有さず,プロモーターのDNAメチル化異常により転写が抑制されて機能欠失状態になりがんを発症していた.これらの症例のBRCA1遺伝子配列を詳しく調べると,非翻訳領域に多型が見つかった.この多型によってプロモーターの異常なDNAメチル化が生じやすくなっており,その結果BRCA1発現が抑制され,まるで機能欠変異(ゲノム変異)のような状態になっていた.この多型自体を実験的に調べても,直接遺伝子の転写や翻訳には影響しないため,塩基配列解析ではこれらの症例の病態は解明不可能であり,エピゲノム異常を調べることではじめて原因にたどり着けた例である5).
理論上は,あらゆる単一遺伝子疾患で,これらの例と同様に,「いくら遺伝子を調べても変異が見つからないが,エピゲノム異常によって機能を失っているため,まるで遺伝子変異と同じように発症する」ということが起こり得る.
エピゲノムは,環境(胎児期の環境や出生後の栄養摂取,生活習慣,化学物質への曝露,等々)の影響を受けて変化することが知られているが,過剰な適応や適応失敗は,疾患素因となる可能性が懸念されている.
牛島らは,ピロリ菌感染による胃粘膜上皮のエピゲノム変化と,胃がん発症について検討した.ピロリ菌感染による炎症が環境負荷となり,胃粘膜上皮のDNAメチル化が上昇し,胃がん発症リスクとなることが知られている.治療によりピロリ菌が除菌されると,環境負荷が取り除かれるため,DNAメチル化変化も正常状態へと低下していくことが期待される.しかし,一部の症例は,除菌に成功しても高DNAメチル化変化がそのまま変化せず長期遺残する.このような症例では,治療しても他の部位からまた発症する多発胃がんを呈する.
胎児期や乳幼児期の栄養状態が不良であると,仮にその後飢餓から脱して見かけ上正常に発育したとしても,未知のメカニズムによって長期にわたり胎児期・乳幼児期の影響が遺残し,成人期の生活習慣病等の発症リスクを高めることが疫学的に示されている.これらの状況証拠は,DOHaD学説(Developmental Origins of Health and Disease)として概念が確立され,主要な分子メカニズムの一つはエピゲノムと考えられている6, 7).モデルマウスを用いた研究では,父親,母親,あるいは祖母世代の食生活がエピゲノムを介して子孫の遺伝子発現に影響を与える事が明確に示されており,おそらくヒトでも同様の現象が起きることは間違いないであろう.
そこで我々は,実際のヒト症例を用いて解析を行い,胎児期の環境が出生児のエピゲノム状態に深く関与する例,具体的には,胎盤のエピゲノムが母体の妊娠中の体重増加量によって変化する現象,を見出した8).SGA児(Small for Gestational Age,小さい赤ちゃん)は,胎児期に何らかの不適切な状態に暴露されていると推定されるため,予想通り,AGA児(Appropriate for Gestational Age,正常出生体重の赤ちゃん)と比較して胎盤のDNAメチル化状態の乱れが観察された.非常に興味深いことに,AGA児であっても,妊娠期体重増加量が不適切なほど(母親が痩せすぎあるいは太り過ぎなほど),個々の症例でDNAメチル化の外れ値を示す領域の数が増えており,エピゲノムが乱れていた(図4).このような児は,一見正常であるが,エピゲノム変化により発現異常をきたす遺伝子が潜在的に存在することを示唆する.このようにヒトでも,エピゲノムは環境因子により変化することがあり,その環境因子を取り除いてもエピゲノム変化が元に戻らずに遺残し続け,将来の疾患素因となる場合がある.
環境因子(胎児期の母体の体重変化≒栄養状態)が胎児のエピゲノムに与える影響.詳細は本文参照.
ヒト発生は,1個の受精卵に由来する同一ゲノムを由来としながら,多様な細胞・組織へと分化して発生が進むが,それを可能とするメカニズムの一つが,本稿で述べてきたエピゲノムである.ゲノムは原則として変更できないが,エピゲノムは必要に応じてダイナミックに変化することができる.このような性質を利用し,発生初期のエピゲノム状態は分化の全能性・多様性を可能とするように構築され,その逆にいったん分化した後は,不要な遺伝子を強固に抑制して恒常性の維持を担う.あるいは短期的な環境適応であれば,ゲノムを改変せずにエピゲノムを変化させ,いわば,ゲノムの機能にメリハリをつけるのだが,環境の影響によるエピゲノム変化が,必要がないのに長期遺残するリスクもある.その結果,一見正常であっても,隠れたエピゲノム変化が存在する可能性が示唆されている.このようなエピゲノム変化が将来の疾患素因となる可能性は,今後,大規模コホート研究などの分子疫学的な検証で明らかになるであろう.また,冒頭述べたように,エピゲノムは安定であると共に可逆性を有しており,環境介入によるエピゲノム変化の是正も可能と考えられる.実際に,肥満の改善9)や運動療法10),あるいはメトホルミン投与11)による効果も報告されており,今後の展開が期待される.
前述の先天性代謝異常症の例4)のように,異常なエピゲノムは単一遺伝子疾患の原因となりうる.血栓止血の異常でも同様に,「検査結果からは○○○遺伝子の関与が疑われるのにゲノム変異がみつからない」といった場合は,エピゲノム異常を含む未知の遺伝子制御機構異常を疑う例と考えられ,本稿が病因病態解明の一助になれば幸いである.
本論文発表内容に関連して開示すべき企業等との利益相反なし