抄録
日本のレクリエーション運動は1938年に外来文化の受容を以て始まった。ところが明治革命以来の文化受容では、根源的な現実把握に拠ることなく、目に見える外面の有用性論理(近代合理主義)を判断基準にしてきた。しかも選択に際しては何らの「危機意識」も抱かなかった。このような過程を経て形成された「ものの見方」は現代日本の「生き方の問題」に如何なる影響をもたらしたのか。本稿はこの歴史的現実問題を追及するために議論する。本稿では、大島鎌吉の関与してきた日本におけるレクリエーション運動に視点をおいて、上述の経緯に関して生命原理の立場から検討してみる。