2025 年 22 巻 1 号 p. 20-31
アッパーエシェロン理論に基づく戦略的転換の研究では、経営者の在任期間が長くなるほど自らのパラダイムに固執し、柔軟性が欠如することによって戦略的転換が抑制されると主張されてきた。つまり既存研究において、戦略的転換には柔軟性が必要であると仮定されてきた。
一方で、戦略的転換研究と系譜の異なる認知的柔軟性の既存研究によると、認知的柔軟性には正の側面だけでなく負の側面もあると指摘されている。認知的柔軟性がもたらす負の影響を踏まえると、戦略的転換の先行研究のように「経営者の認知的柔軟性が高ければ戦略的転換が促進される」といえない可能性がある。むしろ、認知的柔軟性は戦略的転換を抑制する可能性がある。このような現状を踏まえて、本研究では「経営者の認知的柔軟性が戦略的転換に及ぼす影響について検討すること」を目的とする。
本論文では、認知的柔軟性の3つの構成要素であるシフト、対立、再形成が戦略的転換に及ぼす影響を検討している。具体的に、シフトの能力が高い経営者は、新しい刺激に柔軟に適応し、自らの考え方を切り替えるため、戦略的転換を促進する。また、対立の能力が高い経営者は、組織内のコンフリクトを和らげられるうえ、組織内の矛盾や相反する意見を受け入れられるため、戦略的転換を促進する。一方で、再形成の能力は、複数の選択肢を多角的に検討することで新しい機会を特定する可能性を高めるものの、意思決定に過度な時間を要して意思決定の遅延や複雑化を招くことで、戦略的転換を抑制する可能性がある。さらに、環境の変化が激しい場合、戦略的転換の実行までに求められる時間は短くなるため、再形成による戦略的転換の抑制への影響は大きくなる。一方で、環境変化の程度が低い場合は、再形成は適切なタイミングでの戦略的転換を促進する可能性がある。
アッパーエシェロン理論(Upper Echelons Theory)は、Hambrick and Mason(1984)の論文を契機として発展した、経営者などの組織の上層部に注目する理論である(たとえば、Hambrick, 2007;Finkelstein, Hambrick, and Cannella, 2009)。アッパーエシェロン理論に基づく戦略的転換(strategic change)の既存研究では、経営者の在任期間(tenure)が長くなるにつれて、戦略的転換は抑制されると想定されている(Hambrick, Geletkanycz, and Fredrickson, 1993;Boeker, 1997)。先行研究によると、就任当初は柔軟な場合もあるが、在任期間を経ることによって、経営者は自らのパラダイムへのコミットメントが強まるといわれている(Hambrick and Fukutomi, 1991)。つまり、在任期間が長い経営者の認知は凝り固まり、現状にコミットしてしまい、柔軟性が失われ、その結果として戦略的転換が起きにくくなると想定されてきた(たとえば、Boeker, 1997;Miller, 1991)。このことから、戦略的転換を行うためには、経営者の柔軟性が必要であると仮定されてきたといえる。
一方で、戦略的転換研究と系譜の異なる認知的柔軟性(cognitive flexibility)の既存研究によると、認知的柔軟性には正の側面だけでなく、負の側面もあると指摘されている(Patil, Srinivas, Tussing, and Rhee, 2025)。たとえば、認知的柔軟性の高い経営者が意思決定の優先順位付けを誤ったり、過度に意思決定を複雑にしたりする可能性があるといわれる(Malhotra and Harrison, 2022)。
認知的柔軟性がもたらす負の影響を踏まえると、戦略的転換の先行研究のように、経営者の認知の柔軟性の低下によって戦略的転換が抑制されるとしても、「経営者の認知的柔軟性が高ければ戦略的転換が促進される」といえない可能性がある。むしろ、認知的柔軟性は戦略的転換を抑制する可能性がある。しかし、既存研究では経営者の認知的柔軟性が戦略的転換に及ぼす影響についてあまり検討されていない。
このような現状を踏まえて、本研究では経営者の認知的柔軟性が戦略的転換の実行に及ぼす影響について検討する。具体的に本論文では、既存研究で認知的柔軟性が複数の側面を持つことが指摘されていることを踏まえ(Patil et al., 2025) 、認知的柔軟性の各側面がそれぞれ戦略的転換にどのような影響を及ぼすかを検討する。
本論文の構成は以下の通りである。まず、第2章で戦略的転換とアッパーエシェロン理論の概念を踏まえたうえで、アッパーエシェロン理論を用いた戦略的転換の既存研究を説明する。次に、第3章では、アッパーエシェロン理論における経営者の認知への注目の高まりを示し、認知的柔軟性について検討する。続いて、第4章では認知的柔軟性の各側面がそれぞれ戦略的転換にどのような影響を及ぼすか検討しつつ、認知的柔軟性がもたらす負の影響について考察する。最後に、第5章ではそれまでの議論を要約し、本研究の限界点を述べる。
いかにして環境の変化に適応するかという問題は、経営学における重要なテーマとして古くから議論されてきた。とりわけ近年では、環境変化に応じて組織は変革を意識し続ける必要があるといえる。
環境変化に対する組織の適応について、戦略的転換は経営戦略論の中心的なテーマとして広く研究されてきた。戦略的転換とは組織による「主体的な経営戦略の変更」のことであり、新しく戦略を策定する段階と、それを実行する段階の二つに分かれている(小沢, 2018:32)。
戦略的転換の重要性にも関わらず、それに取り組むことは容易ではない。戦略的転換を容易に行えない要因として、先行研究では組織慣性(organizational inertia)や変革への抵抗(resistance to change)について論じられてきた。組織慣性は「組織が現状を継続する性質」とされ、組織慣性が強いならば環境変化に対処できない場合も考えられるため、既存研究ではいかに組織慣性に対応できるかが検討されてきた(小沢, 2014:64)。組織慣性に対応して戦略的転換を実行する際には、主要な意思決定者、企業においては特に経営者が認知的に柔軟であることは極めて重要な要因といわれる(Laureiro‐Martínez and Brusoni, 2018)。また、変革への抵抗についても経営学では古くから議論されているように、戦略的転換などの新たな試みに対しては反対勢力が出てくることも多く、それにいかに対応するかが重要な問題とされてきた(たとえば、Coch and French, 1948)。
このように、環境変化への適応について多く研究される中で、戦略的転換の検討において、アッパーエシェロン理論の観点からの研究に注目が集まっている。
2.2 アッパーエシェロン理論アッパーエシェロン理論は、経営学の研究者、特に経営戦略論の研究者の関心を多く集めてきた(Neely, Lovelace, Cowen, and Hiller, 2020)。アッパーエシェロン理論の主たる関心は、経営者の認知(cognition)、価値観(value)、知覚(perception)が、戦略的選択(strategic choice)とそれが業績に与える影響にある。経営者の認知などを測定することは困難であるため、特に初期のアッパーエシェロン研究では、人口統計学に関する既存研究を援用し、観察可能な経営者の特性が、知覚などの根本的な違いを代理的に示していると捉えられてきた(Carpenter, Geletkanycz, and Sanders, 2004:750)。
つまり、アッパーエシェロン理論では、組織の戦略的意思決定とそれによる行動は、その経営者の特性などを測定することによって、部分的に予測することができるとしている。アッパーエシェロン理論では、経営者やトップ・マネジメント・チーム(Top Management Team)などが研究対象とされてきたが、組織内の多くのメンバーにとって、社内では経営者が最もパワーがある人物だと感じることが多いため、アッパーエシェロン理論に関する文献では、経営者の重要性が認識されてきた(Campbell, Bilgili, Crossland, and Ajay, 2023)。そのため、本論では特に経営者に着目する。
アッパーエシェロン理論では(たとえば、Hambrick and Mason, 1984) 、Cyert and March(1963)やMarch and Simon(1958)などのカーネギー学派の研究を踏まえつつ、限定合理的な経営者を想定している。限定合理的な経営者は、環境を主観的に解釈し、それに基づいて行動する。また、このような主観的な解釈は経営者の経験、価値観、心理的特性などを反映すると想定される。これらに基づいて、経営者は戦略の策定と実行を行い、組織行動に影響を与える。したがって、組織がなぜそのような行動をとるのかを理解するためには、組織の最も強力なアクターである経営者の特性を考慮する必要がある。
経営者の特性には、認知、価値観など心理的な側面を持ち、観察が困難である特性と、観察が容易な特性(年齢、在任期間、経営者交代、学歴、給与体系など)がある(焦, 2021)。従来、アッパーエシェロン理論では、特に経営者の観察可能な特性に着目され、観察可能な特性と組織行動、あるいはその結果(業績、イノベーション、戦略的転換など)との関連が研究されてきた(たとえば、Manner, 2010)。
その中でも、経営者の在任期間はアッパーエシェロン研究の中で最も注目を集めている特性の一つといわれる(Graf-Vlanchy, Bundy, and Hambrick, 2020)。Graf-Vlanchy et al. (2020)による既存研究の整理によると、経営者の在任期間が及ぼす影響については、たとえば、経営者の在任期間が長くなるにつれ、彼らはより少ない変更をより小規模に行う傾向がある点が論じられてきた(たとえば、Miller, 1991)。また、経営者の在任期間と業績は逆U字型の傾向を示す点も論じられてきたとされる。つまり、業績は一時的に改善するが、その後不適応が起こり、悪化すると考えられてきた(たとえば、Miller and Shamsie, 2001)。
2.3 戦略的転換とアッパーエシェロン理論既存研究では、経営者の在任期間が長くなるにつれて、戦略的転換は抑制されると想定されてきた(たとえば、Hambrick et al., 1993;Boeker, 1997)。たとえば、Hambrick et al. (1993)は、経営者を中心とする経営幹部へのアンケート調査によって、業界での在任期間が現状へのコミットメントに関連し、戦略的転換の抑制に影響を与えることを示唆している。また、Boker(1997)は、半導体メーカーの経営者の特性と戦略的転換の関係について実証分析を行い、在任期間が長くなると戦略的転換の可能性が低下することを示した。
戦略的転換が抑制される原因の一つとして、経営者就任当初は柔軟で探求心に満ちていたとしても、在任期間が長くなることで自らのパラダイムへのコミットメントが強まることが主張されている(Boeker, 1997;Hambrick and Fukutomi, 1991)。これらの研究では、在任期間の増加は専門知識の蓄積をもたらすと考えられており、在任期間が長くなり、高度な専門知識が増加するにつれて経営者が戦略的転換を行う頻度と規模が低下する可能性があると示唆されている(Graf-Vlanchy et al., 2020)。この示唆は、専門知識が増加することによって柔軟性が失われるという研究(Dane, 2010)とも関連深く、戦略的転換を必要とするような状況変化が生じた場合には柔軟性の欠如が問題になりえることが論じられてきたといえる(Dane, 2010)。
このように、在任期間が長い経営者の認知は凝り固まり、現状にコミットしてしまい、柔軟性が失われるため、戦略的転換が起きにくくなると既存研究では想定されてきた(たとえば、Boeker, 1997;Miller, 1991)。つまり、戦略的転換には柔軟性が必要であると暗黙のうちに仮定されてきたといえる。
アッパーエシェロン理論に関する既存研究において、経営者の観察可能な特性が組織行動にどのような影響を及ぼすかというメカニズムは、多くの先行研究に共通して曖昧なままであり、そのブラックボックスの解明が求められている(Lawrence, 1997;Hambrick, 2007)。実際、Carpenter et al. (2004)も、アッパーエシェロン理論の研究者が人口統計学に基づく観察可能な要因のみに注目することに警鐘を鳴らしている。
これらの要請に従い、アッパーエシェロン理論における経営者の特性が組織行動に与える影響のメカニズムを明らかにする研究が進められており、近年では、ブラックボックスの解明に向けて、経営者の認知に対する注目が高まっている。たとえば、経営者の認知スタイルを直接測定して、組織行動との関連を探る研究(たとえば、Laureiro‐Martínez and Brusoni, 2018;Kiss, Libaers, Bart, Wang, and Zachary, 2020;Malhotra and Harrison, 2022)や、経営者の認知スタイルを媒介変数として設定することで、心理的プロセスのメカニズムを明らかにする研究(たとえば、Kapadia and Melwani, 2021;Stollberger, Guillaume, and van Knippenberg, 2024)がある。いずれにしても、ブラックボックスの解明に関する研究は、経営学以外の分野の知見を援用することがあり(Carpenter et al., 2004)、心理学における認知の研究と経営学の研究を統合したものが多くみられる。
また、経営者の認知や信念の在り方が、経営者の意思決定に関連すると考えられてきた(Finkelstein et al., 2009)。その中でも、認知的柔軟性(cognitive flexibility)は、近年の複雑な社会状況に対して適切に対応するために不可欠であると主張されている(Patil et al., 2025)。
前述したように、戦略的転換の既存研究では、経営者の在任期間が長くなることで、自らのパラダイムに固執してしまい柔軟性が欠如してしまう点や、それによって戦略的転換を行いにくくなる点が論じられてきた(Boeker, 2007;Hambrick and Fukutomi, 1991)。つまり、戦略的転換を実行するためには、経営者が認知的に柔軟であることが重要であると仮定されてきた。
このように、アッパーエシェロン理論における認知的柔軟性あるいは関連深い概念での研究がされ始めた一方で、戦略的転換を認知的柔軟性の観点から分析し、認知的柔軟性の及ぼす影響を明らかにした研究は不足している。しかし、戦略的転換を抑制する要因として経営者の柔軟性の欠如が指摘されているように、戦略的転換と経営者の認知的柔軟性は大きく関連していると考えられる。このような現状を踏まえて、本研究では経営者の認知的柔軟性と戦略的転換の実行との関係に着目する。
3.2 経営者の認知的柔軟性認知的柔軟性の概念は従来から注目されており、比較的多く引用されている文献としてはMartin and Rubin(1995)が挙げられる(たとえば、Kiss et al., 2020)。Martin and Rubin(1995:623)によると、認知的柔軟性は「(a)どのような状況においても、利用可能な選択肢や代替案があるという認識、(b)柔軟に状況に適応しようとする意欲、(c)柔軟に対応することに対する自己効力感」と説明されている。
認知的柔軟性の先行研究では、その結果と先行要因の双方において研究が進められてきた。たとえば、認知的に柔軟な人物は、努力的かつ持続的に情報探索を行うために探索と活用を両立できる(Kiss et al., 2020)、また思考のプロセスを問題状況によって切り替えることで高い意志決定パフォーマンスを実現できるといわれる(Laureiro‐Martínez and Brusoni, 2018)。さらに、認知的柔軟性によって組織メンバーの情報交換が促進され、その結果、意思決定の質が高められると主張されている(Raes, Heijltjes, Glunk, and Roe, 2011)。くわえて、タスクの性質(Kapadia and Melwani, 2021)やリーダーの感情的な複雑性 (leader emotional complexity) (Stollberger et al., 2024)が認知的柔軟性の先行要因となり、その結果、創造性に正の影響を与えることが示されている。このように、認知的柔軟性に関する研究では、その正の側面に着目したものが多くみられる。
一方で、認知的柔軟性には正の側面だけでなく、負の側面もあると指摘されている(Patil et al., 2025)。たとえば、認知的柔軟性の高い経営者が意思決定の優先順位付けを誤ったり、無理に意思決定を複雑にし過ぎたりする可能性があるといわれる(Malhotra and Harrison, 2022)。
前述した通り、経営者の在任期間の増加は、柔軟性の漸減を原因として、戦略的転換の抑制と関連付けられてきた。このように、先行研究では戦略的転換の実行において、柔軟性が必要であると仮定されてきた。しかし、認知的柔軟性がもたらす正と負の両方の影響を踏まえると、在任期間の研究のように、柔軟性が低下することで戦略的転換が抑制されるとしても、「経営者の認知的柔軟性が高ければ戦略的転換が促進される」などと単純に結論付けることはできない。
在任期間の既存研究では、柔軟性の種類についてあまり論じられていないものの、多くの場合、柔軟性を思考様式の切り替え能力として捉えている。一方で、系譜の異なる認知的柔軟性の研究では、切り替え能力だけでなく、相反する概念を受け入れる能力や、多くの選択肢を考慮する能力も含めて検討されている(Patil et al., 2025)。これを踏まえると、在任期間の既存研究は、経営者の認知的柔軟性の一部の性質のみに着目しており、その結果、認知的柔軟性が及ぼす負の影響が見過ごされていた可能性がある。
認知的柔軟性について多面的に検討している研究としてはPatil et al.(2025)が挙げられる。彼らは、認知的柔軟性に関する包括的なレビュー論文において、「認知的柔軟性は相互に関連しながらも潜在的に異なる思考プロセスで構成されている」とし、「認知構造のシフト(shifting)、対立(contending)、再形成(reshaping)」の3つに分類できるとする(Patil et al., 2005:104)。
認知的柔軟性には、様々な構成要素が考えられるが、Patil et al.(2025)を参考に、本論文ではシフト、対立、再形成の3つの構成要素に注目する。そして、それぞれと戦略的転換との関係性について検討したい。
Patil et al.(2025)によると、シフトとは、外部からの刺激に適応するために、認知構造などを柔軟に適合させることである。この能力は外部刺激に対応して、自らの複数の考え方や取り組み方をいかに切り替えるかに関連しているため、タスク切り替えや戦略的意思決定などの研究で用いられることが多い(Patil et al., 2025:100)。たとえば、Laureiro‐Martínez and Brusoni (2018)は認知的柔軟性の中でもシフトに注目しており、彼らの実験では、参加者が提示された問題が構造化されているかいないかを判別し、異なるタイプの問題への取り組み方を柔軟に切り替える能力として扱われている。また、在任期間の既存研究では、経営者の認知が凝り固まってしまうことで柔軟性が失われると言及されてきたことから(Boeker, 1997)、多くの場合、認知的柔軟性の中でも主にシフトを想定していたと考えられる。
続いて、対立には、競合し矛盾する認知構造に対する二つの概念、つまり統合(integrating)と並置(juxtaposing)が含まれており、統合はそれらのつながりを理解して概念的に結び付けることであり、並置は差異を容認するが無理に統合せず、それらの共存を受け入れることである(Patil et al., 2025:95)。たとえばLauche and Erez(2023)は、競合や矛盾する構造の例として組織の戦略的選択と自らの理想との認知的不一致を挙げており、そのギャップによる不満が生じた際にどのように対処するべきか検討している。また、対立の能力は、他者が異なる価値観を持っている際に、それにいかに対応できるかに関連している(Patil et al., 2025)。
最後に、再形成には、単一の刺激に対して認知構造を拡大もしくは縮小する二つの概念、つまり精緻化(elaborating)と次元化(dimensionalizing)が含まれている。精緻化は認知構造を上位レベルで再カテゴリー化することであり、次元化は認知構造を下位レベルで分解することである(Patil et al., 2025:89)。たとえば、精緻化は、新技術を用いた新しいゲーム機が現れた際に、所属するカテゴリーを「娯楽」だけでなく、「通信機器」のカテゴリーにも含めて扱うようにするなど、思考の枠を広げることを指す。一方で、次元化は、新しいゲーム機に関して、その技術の内容だけでなく、部品の数や関連するステイクホルダーの詳細まで識別することで、そのゲーム機に関するより多くの特徴を認識することを指す。つまり、再形成の能力は、精緻化と次元化を通して様々な選択肢を考慮することに関連する。
上述のように、経営者の認知的柔軟性はシフト、対立、再形成の3種類に分類できるため、以下ではそれぞれが戦略的転換に及ぼす影響について考察する。
はじめに、シフトと戦略的転換の関係性について検討する。既存研究によると、シフトの能力が高いならば、外部からの刺激に適応するために、認知構造などを柔軟に適合させることができる。また、高いシフトの能力は、刺激に応じて経営者自らの考え方を調整し、切り替えることを可能にする。そのため、自らの適応能力を認識し、不確実な状況下でも自信をもってリスクを負うことができるといわれてきた(Patil et al., 2025)。
これらを踏まえると、本研究で焦点となっている経営者の認知的柔軟性と戦略的転換の関係について、シフトの能力は戦略的転換に正の影響を与えると考えられる。つまり、シフトの能力が高い経営者は、新しい刺激に対して柔軟に適合し、状況に合わせて新しく自らの考えや取り組み方を切り替えることができると考えられる。そのため、戦略的転換は高いリスクと不確実性が伴うものであるが、そのような状況でも、新しい環境に適応し、現状とは異なる行動を選択できると考えられる。したがって、認知的柔軟性のうち、特にシフトの能力が高い経営者は戦略的転換を促進すると考えられる。ただし、高いシフトの能力は、戦略的転換の実行に正の影響を与えるとしても、転換を行うこと自体を過度に優先し、多くのエネルギーを要求する可能性がある。そのため、戦略的転換の結果(業績など)に対しては常に正の影響を与えるとは限らないが、本論では戦略的転換の実行に焦点を当てているため、深く検討しない。
次に対立について検討する。Patil et al.(2025)によると、複雑な状況、特に相反する要求を求められる場合に、対立の能力が高いならば、そのような状況に対処できる傾向があるとされる。なぜなら、対立の能力が高い人物は矛盾に寛容であり、競合する価値観の対応に慣れているためである。また、高い対立の能力によって、組織内のコンフリクトを和らげることができ、探索と活用の両立を実現できる可能性を高めるといわれる。
経営者の認知的柔軟性と戦略的転換の関係については、対立の能力が戦略的転換に正の影響を与えると考えられる。第1に、組織内の矛盾する状況や意見の相違を受け入れ、組織を適応させることができる可能性がある。戦略的転換は従来とは異なる環境に直面した際に組織が行う手段の一つであるが、その実行にあたり、組織内での抵抗や反対勢力の対応を求められることが多い。その際に、認知的柔軟性のうち、特に対立の能力が高い経営者は、組織内の反対意見を和らげ、対処することができるため、戦略的転換を実行できると考えられる。第2に、従来とは異なる環境に直面したとしても、経営者自身が変化に抵抗を示さない可能性が高い。対立の能力が高い経営者は、議論を伴うような内容にも前向きに取り組み、自らと異なる意見に対する寛容性が高いことが示されている(Martin, Anderson, and Thweatt, 1998)。つまり、経営者は自らのパラダイムに固執する(Hambrick and Fukutomi, 1991)ことなく、戦略的転換の必要性を認識できると考えられる。したがって、認知的柔軟性のうち、特に対立の能力が高い経営者は戦略的転換を促進すると考えられる。
対立が相反する意見を統合、もしくは並置することであるならば、戦略的転換に負の影響を与えるという意見も考えられる。たしかに、相反する考えを受け入れることには時間がかかり、戦略的転換の実行に負の影響を与えるかもしれない。しかし、対立の能力が高いほど、考えを受け入れるまでの時間は短くなる。したがって、相反する考えを検討することが必要な状況ならば、対立の能力が高いことは、戦略的転換の実行に正の影響を与えると考えられる。一方で、相反する考えを考慮しなくてもよい状況ならば、その正の影響は弱まる可能性がある。しかし、戦略的転換の実行に際して、一般的には組織と環境とのギャップへの対応が求められるため、多くの場合において、対立の能力の高さは戦略的転換の実行に正の影響を与える場合が多いと考えられる。また、対立の能力が高い場合、組織内のコンフリクトへの対応を優先し、組織の経営資源を過度に費やす可能性があるため、戦略的転換の結果に負の影響を与える可能性もありえるが、本論文では、戦略的転換の実行の結果でなく、実行に焦点をあてているため、結果に関する負の影響について今回は考慮しない。
最後に再形成について検討する。既存研究では、再形成の能力が高い場合、他の能力と異なり、刺激に対して様々な視点や選択肢を考慮できる傾向があるといわれてきた(Bartunek, Gordon, and Weathersby, 1983)。また、Calori, Johnson, and Sarnin(1994)やLarson and Rowland(1974)などを引用しつつ、Malhotra and Harrison (2022)は、再形成の能力が高い人物は、情報収集やその評価を効果的に行い、意思決定を行う際に複数の補完的な視点から物事を捉えることができるため、環境の違いをより認識しやすいとしている。Patil et al.(2025)によると、再形成、とくに次元化の能力が高い人物は、本質的に現象を多面的に捉えることができるため、複雑な状況に対しても対応できるといわれる。
経営者の認知的柔軟性と戦略的転換の関係について、再形成の能力は戦略的転換に正の影響を与えると考えられる。再形成の能力が高い経営者は、様々な選択肢を考慮し続けることで、多面的かつ複数の視点で物事を捉えられると考えられる。先行研究では、補完的な視点や代替案を考慮し、情報収集を続けることで新しい機会を特定する可能性が高まることが示唆されている(Li, Maggitti, Smith, Tesluk, and Katila, 2013)。このように、環境の変化を敏感に察知し、変化の機会を捉えられるため、認知的柔軟性のうち、再形成の能力が高い経営者は、戦略的転換を促進する可能性がある。
一方で、再形成の能力は戦略的転換に負の影響も与えるとも考えられる。再形成の能力は、他の能力と異なり、様々な選択肢を考慮することに関連する。そして、様々な選択肢を考慮することは、多くの時間とエネルギーの投資を要求する(Bartunek et al., 1983)。そのため、再形成の能力が高い場合、意思決定が遅れる可能性がある上に、経営者が意思決定の優先順位付けを誤ったり、意思決定を過度に複雑にしたりする可能性があるといわれてきた(Malhotra and Harrison, 2022)。これらを踏まえると、再形成の能力が高い経営者は、意思決定を複雑にしてしまうことで過度な時間がかかり、戦略的転換の実行における決断が遅れると考えられる。環境変化への対応の手段としての戦略的転換であるが、実行に至るまでの意思決定に時間がかかればかかるほど、状況がさらに変化する可能性が高まる。そして、状況が変化するならば、それに対応するために新たな戦略的転換を策定し直す必要が生じ、戦略的転換の実行がさらに遅れるとも考えられる。したがって、認知的柔軟性のうち、とくに再形成の能力が高い経営者は、戦略的転換を抑制するとも考えられる。
以上より、認知的柔軟性のシフトと対立については、戦略的転換を促進すると考えられる。一方で、再形成については、戦略的転換を抑制する場合があると考えられる。つまり、ひとくちに柔軟性といっても、認知的柔軟性を構成する一つの要素である再形成の能力は、戦略的転換に正と負の両方の影響を与える可能性がある。
4.2 再形成と戦略的転換の関係性前節では、再形成の能力によって意思決定が複雑化し、状況変化に対応できないために戦略的転換が抑制される可能性がある点について論じた。経営者の意思決定プロセスは、外部環境あるいは内部環境の状況に影響を受けるため、経営者の認知的柔軟性、とくに再形成の能力が戦略的転換に与える効果も業界構造などに影響を受けると考えられる。
また、既存研究では外部環境(たとえば、環境変化の程度)が戦略的転換とその有効性に影響を及ぼす可能性が示唆されている(Gavetti, Levinthal, and Rivkin, 2005;Wei and Zhang, 2020)。そこで、認知的柔軟性の再形成の影響に変化をもたらすと考えられる環境変化の程度について検討する。
変化が激しい環境に直面した際に、組織は環境に対して素早い反応が求められる。しかし、再形成の能力が高い場合、様々な選択肢を考慮するために、多くの時間とエネルギーの投資が経営者には必要になる(Bartunek et al., 1983)。また、再形成の能力が高い経営者は意思決定を過度に複雑にしてしまうため、その結果として意思決定が遅れる可能性があるといわれる(Malhotra and Harrison, 2022)。これらにより、戦略的転換の実行までに時間がかかってしまい、変化が激しい環境に対して即座に反応できない可能性がある。その後、さらに環境が変化するならば、それに対応するために新たな戦略的転換の策定し直す必要が生じるため実行には至れず、戦略的転換は通常以上に抑制されると考えられる。
一方で、環境変化の程度が低い場合、もしくは組織にスラック資源が豊富にあるなどの理由から環境に即座に反応する必要性がない場合には、組織は意思決定に時間を割くことが可能である。再形成の能力が高い場合、意思決定に時間がかかるものの、情報収集を続けることで新たな機会を特定する可能性が示唆されており、環境に適合した経営戦略を適切なタイミングで選択できる可能性が高い。そのため、環境が安定している場合、もしくは組織にスラック資源が豊富な場合には、戦略的転換は抑制されにくいと考えられる。
本論文では、現代の不確実性が高い環境において不可欠な戦略的転換に焦点を当て、その推進要因として経営者の認知的柔軟性が果たす役割をアッパーエシェロン理論の観点から分析した。アッパーエシェロン理論による戦略的転換の先行研究では、特に経営者の在任期間が長くなるほど認知が固定化し、戦略的転換が抑制される傾向にあるとされ(Boeker, 2007;Hambrick and Fukutomi, 1991)、戦略的転換には柔軟性が必要であると仮定されてきた。
一方で、経営者の認知的柔軟性は多面性をもつことが指摘されており(Patil et al., 2025)、その負の側面はむしろ戦略的転換を抑制する可能性がある。そこで、本論では認知的柔軟性をシフト、対立、再形成の3つの構成要素に分解し、戦略的転換の実行との関係を検討した。具体的に、シフトの能力が高い経営者は、新しい刺激に柔軟に適応し、自らの考え方を切り替えることでリスクと不確実を伴う戦略的転換を促進する。また、対立の能力が高い経営者は、組織内のコンフリクトを和らげられるうえ、組織内の矛盾や相反する意見を受け入れられるため、戦略的転換を促進する。
これらとは対照的に、再形成の能力は、複数の選択肢を多角的に検討することで新しい機会を特定する可能性を高めるものの、意思決定に過度な時間を要して意思決定の遅延や複雑化を招くことで、戦略的転換を抑制する可能性がある。さらに、再形成が戦略的転換に与える影響は、環境変化の程度に左右されると考えられる。つまり、環境変化の程度が高い場合、戦略的転換の実行までに求められる時間は短くなるため、様々な選択肢を考慮する再形成の能力が高い際には戦略的転換はより抑制される。一方で、環境の安定性が高い場合やスラック資源がある場合には、ある程度余裕をもって戦略的転換に取り組むことができるため、再形成は適切なタイミングでの戦略的転換を促進する可能性がある。
このような本論文の議論は、アッパーエシェロン理論におけるブラックボックスの解明を試みる研究群に貢献している。近年では、デモグラフィック特性でない経営者の特性と組織行動の関連を明らかにする要請(Lawrence, 1997;Hambrick, 2007)に従い、経営者の認知に直接注目する研究が進められている (Andrus, Scoresby, Lee, Rainville, Smith, and Syed, 2025;Kiss et al., 2020)。このような状況を踏まえて本論文では、認知的柔軟性と戦略的転換の関係性を検討することで、経営者の心理的プロセスの解明を試み、経営者の認知的柔軟性が戦略的転換に及ばす負の影響の一部を明らかにした。
また、本論文の議論は、認知的柔軟性の分類を通して、認知的柔軟性と戦略的転換の関係を明らかにすることを試みた。在任期間の先行研究では、柔軟性の欠如が戦略的転換を抑制するとされ、柔軟性が必要であるとされてきた。一方で、系譜の異なる認知的柔軟性の先行研究では、様々な側面から柔軟性が検討され、負の影響が示唆されていた。このように、既存研究では、認知的柔軟性が及ぼす影響についてのコンセンサスが得られていなかったといえる。こうした先行研究の状況をふまえて、本論文は、Patil et al.(2025)に則って認知的柔軟性をシフト・対立・再形成に分けて分析し、正の影響を与えるシフト・対立と、正と負の両方の影響を与える再形成に分類し、概念間の関係を一部明らかにした。
本論文の限界は下記の通りである。第1に、本論文では柔軟性以外の「経営者の認知」について考慮できていない点である。認知については、たとえば経営者の認知の複雑性に注目する研究なども見られる(Graf-Vlachy et al., 2020;Malhotra and Harrison, 2022)。しかし、既存研究においては、複数の経営者の認知要因について、十分に整理されていないため、今後はこれらの関係性を整理した後に、それらと柔軟性との関係性を明確にする必要があるであろう。
第2に、経営者の認知的柔軟性を構成するシフト、対立、再形成の3つの構成要素の分類方法に対する検討と、構成要素間の関係性に対する検討が不足している点である。本論では、Patil et al.(2025)をベースに認知的柔軟性を3つに分類したが、さらなる構成要素が存在する可能性がある。また、戦略的転換に与える影響を検討する際に、Patil et al.(2025)以外の分類方法も考えられるであろう。さらに、構成要素間の関係性が戦略的転換にどのように影響を及ぼすかを考慮できていない。3つの構成要素はそれぞれ独立でなく、相互に関連すると考えられるが(Patil et al., 2025:105)、どのように関係するかは必ずしも明らかにされていない。既存研究では経営者の認知的柔軟性と戦略的転換についての研究が不足していたため、本研究では3つの構成要素のそれぞれが、どのように戦略的転換に影響を及ぼすかを検討したが、今後の研究では相互関連性を考慮した研究が求められるであろう。
第3に、戦略的転換の結果についての考察が不足している点である。本論文では、認知的柔軟性が戦略的転換の実行に与える影響について中心的に論じてきたが、認知的柔軟性が戦略的転換の結果に影響を及ぼす可能性がある。例えば、高いシフトの能力によって常に考え方を切り替えることは、戦略的転換の実行について正の影響を与えるとしても、業績に対しては常に正の影響を与えるとは限らない。また、高い対立の能力によって反対意見を受け入れることに過度に組織の経営資源を費やすことは、戦略的転換の実行に正の影響を与えたとしても、業績には負の影響を与える可能性がある。今後の研究では、「認知的柔軟性」と「戦略的転換の結果」の関係性までを含めて考察する必要があるであろう。