1997 年 3 巻 1 号 p. 27-33
内観療法による治療過程において, 「水のテーマ」が箱庭制作や描画法の中にしばしば出現することを, 筆者らは観察して報告してきた。その「水」の出現は, 精神内界の変化の表現として捉えられ, 内観の深さと関係があると考えられた。筆者らがこれまで観察した「水のテーマ」は, 風景の中のアイテムとしての池や川であった。それはわが国の自然風土との関係の上で論じられた。地上の水は, 天空に昇って雨となり, 再び地上に落ちて循環する。ここでは, 「水のテーマ」の延長線上にある気象現象―水の循環リズム―としての「雨 (雨上り)」について考察した。
内観の目的とする「あるがままの自己」への到達は, 自然への同化であると考える。「自然法爾」はおのずからにしてあること, ありのままにして存在することである。natureとしての自然と「自然法爾」としての自然は異ってはいるが, 重なっている共通部分もあると考えられる。また, 内観後の浄化された清々しさは, 「禊の思想」に通ずる。水の浄化力によってけがれを洗い去ることであり, 身も心もさっぱりと洗い清められる。これは「雨上り」の心境にも通ずると考える。