本稿では,日本における性に関連する健康政策の歴史に関して,女性の健康と福祉の改善に向けた取り組みを中心に概観するとともに,性の多様性に適合した健康政策の今後の方向性を議論する. 女性の健康のための対策は,女性に固有の状況や役割に焦点を当てて実施されてきた.「母性」を保護するために,貧困の妊婦や母親への公的扶助が古くから実施されていたが,母子保健法制定後は全ての妊産婦の健康を増進する対策が,母性と小児を一体とした形で実施されている.性感染症対策は当初は「売春婦」を主な対象としていたが,公娼制度の廃止と売春防止法の施行によって一般市民に対象が拡大された.また売春防止法に基づいて,売春に従事する女性の保護と更生が実施されたが,その後「困難な問題を抱える女性」に対象を拡大して支援が実施されている.「働く女性」を保護するために,時間外労働,休日労働,深夜労働が制限されてきたが,雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律によって制限が撤廃された.しかし働く女性の健康を守る対策は,母性の保護を中心に引き続き実施されている. 1996年にリプロダクティブ・ヘルス/ライツの概念が提唱されて以降,思春期,妊娠・出産期,更年期,老年期を含む,生涯を通じた女性の健康支援が,男女共同参画政策と健康政策の両方において明確に位置づけられるようになった.具体的な施策として,不妊治療を希望する人への支援,「女性の健康週間」やウェブサイト「女性の健康推進室ヘルスケアラボ」などの普及啓発,プレコンセプションケア,性差医療,フェムテック,ジェンダード・イノベーション,生理の貧困への対応,研究開発などが挙げられる. 2003年に日本で初めて性の多様性に関連する法律が制定され,2023年には性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律が施行された.しかし性的指向や性自認の多様性に関連する健康問題への対応に関しては,エイズ対策や困難な問題を抱える女性への支援を除いては,十分に進展していない.したがって今後は,多様なセクシュアリティを有する人々の健康状態や健康問題を詳細に把握して,それぞれのセクシュアリティにとっての健康の理想像を明確にした上で,性の多様性を踏まえた健康政策を展開していく必要がある.