ベックやギデンズのような社会理論家が提唱したリスク社会論は,1980 年代以降の現代社会を科学技術の巨大化によるグローバルなリスクの出現として特徴付けた.そして,リスク社会を統治するために専門家支配でも民主的多数決でもない専門家と市民社会との公共的な関わり方を可能とする仕組みを構想し,その点で科学技術社会論にも大きな影響を与えた.本稿では,フーコーの言うバイオポリティクス論を援用して,このタイプのリスク社会論を批判的に検討し,現代社会における個人化されたリスクのマネジメントが「方針・説明責任・監査」の三角形による自己統治であることを示した.こうした状況は,リスクそれ自身の変容の結果ではなく,よりよい未来を夢見るユートピア的な構想力の衰退の帰結と考えられる.