情報管理
Online ISSN : 1347-1597
Print ISSN : 0021-7298
ISSN-L : 0021-7298
レガシー文献・探訪
クラウド・コンピューティング事始め
名和 小太郎
著者情報
ジャーナル フリー HTML

2012 年 55 巻 2 号 p. 129-131

詳細

D.F. パークヒルというカナダの技術者をご存じだろうか。ウィキペディアをみると,「クラウド・コンピューティングと今日呼ばれるものに関する先駆的な業績によって有名である」と記載されている。その先駆的業績とは『The Challenge of the Computer Utility』という彼の著書を指す。

さきへ進むまえにパークヒルの経歴を紹介しておこう。まず米国の防衛関連シンクタンクであるMITRE社の研究者として,のちにカナダに戻ってビデオテックスの開発責任者,そして通信省の長官として活躍している。

パークヒルの著書は1966年に刊行されている。この時点の技術はどんな水準にあったのか。これを確認しておこう。まずコンピュータ本体であるが,それはIBMシステム360モデル68,CDC6600――いずれの価格も10の6乗ドルのオーダー――などであった。ユーザーによる共同利用のためにも双方ともタイム・シェアリング・システム(TSS)を実現することはできた。

現実に運用されているオンライン・システムとしては,1958年完成のSAGE,1969年完成のSABERがあった。前者は軍事用として,後者はアメリカン航空の予約管理用として開発されたものである。

共同利用のシステムとしては,このほかにMITがGE社と組んでMULTICS(Multiplexed Information Computing Service)を開発中であった。MULTICSは,当時,Many Unnecessarily Large Tables in Core Simultaneouslyではないかと揶揄されたりして,通説では失敗したことになっている。だが,いや,じつは商品化されていた,という説もある。

ボトルネックは通信にあった。当時,商用としてサービスされていた通信手段はテレタイプあるいはテレックスにすぎなかった。それは高コストであった。

このような環境のなかで,パークヒルは「コンピュータ・ユーティリティ」という概念を示したことになる。彼はこれを「汎用の公共システムで,地域的に分散している多くのユーザーに対して,広範囲にわたる各種の情報処理サービスを,オンライン・ベースで提供するもの」と定義し,加えて「在来の電力とか電話と同様なサービス」と注記している。

彼は,さらにコンピュータ・ユーティリティを推し進める要素として,(1)早い応答,(2)ユーザー側の資本支出の減少,(3)コンピュータ資源の有効利用,(4)ユーザーの性能対価格の向上,(5)ユーザーの無制限のコンピュータ資源利用,(6)多くのデータとプログラムの共同利用,(7)システムの増強あるいはモジュール交換に対する融通性,(8)ユーザーの保守と運営コストの低減,を列挙している。

ほぼ半世紀後の2011年に,米国の国立標準技術研究所(National Institute of Standards and Technology: NIST)はクラウド・コンピューティングに対して,つぎの定義を示している。

「共用の構成可能なコンピューティング・リソース(ネットワーク,サーバー,ストレージ,アプリケーション,サービス)の集積に,どこからでも,簡便に,必要に応じて,ネットワーク経由でアクセスすることを可能とするモデルであり,最小限の利用手続きまたはサービス・プロバイダとのやりとりで速やかに割当てられ提供されるものである」

NISTはそのあとに,このクラウド・モデルは5つの基本的な特徴と3つの利用法をもつと続けている。前者は,(1)オンデマンド・セルフサービス,(2)幅広いネットワーク・アクセス,(3)資源の共用,(4)迅速な拡張性,(5)計測可能なサービスであり,また後者は,(1)サービスとして,(2)プラットフォームとして,(3)インフラストラクチャーとして,となる。パークヒルの定義とNISTの定義は瓜二つといってもよい。

じつは,パークヒルはコンピュータ・ユーティリティの実現の壁となる要因を挙げていた。(1)通信の高コスト,(2)ユーザー・ジョブの多様性,(3)信頼性と保守に対する高水準の要求,(4)システム負荷の変動の不確実性,(5)ユーザー・ジョブへの迅速な応答,である。

これらの難点は,21世紀になり技術的には,ほぼ解決してしまった。(1)については,回線の高帯域化とその普及により,また(4)と(5)については,巨大な数の低価格サーバーと,仮想化技術の導入によって,それを実現した。グーグルは100万台のサーバーを所有しているという噂もある。

(2)と(3)については,ビジネス・モデルの課題として,少なくない企業が試行錯誤を続けている。このような脈絡のなかで,クラウド・コンピューティングはともかくも市場に現れつつある。

もう一度,パークヒルに戻る。彼は技術のみではなく,その制度についても言及している。彼は「ユーティリティ」の意味を確認している。そして「法的に公衆の利益に関係し,政府の規制を受ける特別な産業集団」という『ブリタニカ百科事典』の定義を借用し,それを歴史的にたどっている。

それは,まず英国で渡し船,馬車,粉屋などに適用され,これが植民地時代の北米においても慣行となり,独立後の1871年には穀物用エレベータに対する最高裁の判断として現れている。20世紀になり,この制度は石炭産業,さらに電話,電力,水道,鉄道などに拡がった。パークヒルはこの延長上にコンピュータ・ユーティリティの実現可能性を示したことになる。

現実にはどうか。1970~80年代になると,国際的なデータ通信システムが出現する。例えば,銀行用のSWIFT,航空会社用のSITAなど。加えて,米国に本拠をもつ商用システムも出現する。例えば,GE社のMARK-III,CDC社のCybernetなど。

これらのシステムを通じて,データが容易に国境を越えるようになった。これを「越境データ流通」(Transborder Data Flow: TDF)と呼ぶ。このTDFは,国家安全保障,個人データ保護,情報産業の国際競争力などの面で,見過ごすことのできない問題を表面化させた。

TDF問題は,その後,OECD,ITU,GATT(現WTO)などで議論されたが,決着をみないまま放置されている。クラウド・コンピューティングは,このTDFの問題を,改めて問いかけるものとなるだろう。

2012年,欧州連合は,グーグルの新しいプライバシー・ポリシーが欧州連合の個人データ保護規則を充たさない,と公表した。つけ加えれば,日本の郵便局は米国のセールスフォース・ドットコム社のサービスにそのデータベースを預けている。

ここで都市伝説を1つ。1949年,UNESCOは地球上にコンピュータ・センターが1つあればよいとしていた。1953年,IBMはその製品の販売数を5セットであると予測していた。これだけのコンピュータがあれば世界中のコンピュータ需要に対応可能という見込みであった。

現在のグーグルやアマゾンの行動をみていると,全世界のコンピュータ資源を,グーグル,アマゾンなど少数の巨大システムに集中しつつあるともみえる。クラウド・コンピューティングは半世紀前の都市伝説を実現するかもしれない。

参考資料

  1. a)   パークヒル, D.F. コンピュータ・ユーティリティ. 藤井純訳. 竹内書店, 1969 (原著1966), 256p.
  2. b)   郵政省電気通信局監修・旭リサーチセンター編. TDFウォーズ. 出版開発社, 1985, 261p.
  3. c)   名和小太郎. 脆弱性問題は変化せず. 情報管理. 2006, vol. 49, no. 8, p. 452-453.
  4. d)   安延申, 前川徹ほか. ビッグトレンド. アスペクト. 2009, 248p.
  5. e)   Mell, Peter; Grance, Timothy. NISTによるクラウドコンピューティングの定義. 2011. http://www.ipa.go.jp/security/publications/nist/documents/SP800-145-J-Draft.pdf

 
© Japan Science and Technology Agency 2012
feedback
Top