電子教科書に関する規格策定の動きと,その中の1つであるEDUPUBの概要を紹介する。標準規格を策定することで,開発者側にも利用者側にもメリットが生まれ,新たな企業の参入を促すことができる。IEEE,CEN,IMSなどが電子教科書の規格策定に動いているが,IDPF,IMS GLC,W3Cが共同で開発を進めているEDUPUBは対象範囲が広く,かつ実装可能性を高めるために既存規格を極力利用している。また議論中のものも含めてオープンな仕様であり,採用するための参入障壁が低いため,今後有力なフォーラム標準となりうる。ただし,EDUPUBの規格策定は現在進行中であり,今後内容を修正あるいは拡大する可能性がある。
本稿では,電子教科書の規格と,その1つであるEDUPUBの現状を紹介する。前稿1)では,各国の電子教科書の導入状況,導入の是非をめぐる議論,各種プラットフォームの比較などを紹介した。これに対し,本稿はより技術的な議論に踏み込みたい。
「電子教科書」という言葉が包含する範囲は,場面によってさまざまである。
たとえば,次のようなものがある。
(1)紙媒体の教科書を電子メディア化したもの
(2)(1)に参考書や辞書などを加えたもの(「教科書・教材」ともいう)
(3)(2)に外部の教材や問題,ノート,LMS(Learning Management System)上の情報を含めたもの
(4)(3)に学務情報管理,認証,学習履歴分析などの各種サービスを加えた電子教科書のサービス全体
本稿で「電子教科書」という場合,おおむね上記の(3)の範囲をカバーする,広いものととらえていただきたい。
教科書,参考書,辞書,ノートなどの紙媒体をノートPCやタブレットPCに載せて閲覧・使用するため,これまでさまざまな技術規格が提案されてきた。2000年代には,ベンダー固有の,仕様が公開されていないファイル形式で電子教科書を作成・配信する例が多く見受けられた。これに対し,2010年代に入ると,ベンダー固有ではなく仕様が公開されているファイル形式,また無料で利用可能なものを利用する傾向が強まっている。これらのうち,前稿1)では,PDF,HTML,Flashなどの仕様を簡単に紹介した。
ここで,こういった仕様を一般に利用可能とする標準規格について触れる。一般論として,これらの標準規格には次の3種類がある注1)。
(1)デジュール(De Jure)標準:ISO,JIS,ITUなどの公的機関において,公的で明文化され公開された手続きによって作成された標準
(2)フォーラム(Forum)標準:IEEEやIDPFなど,関心のある企業等が集まってフォーラムを結成して作成した標準
(3)デファクト(De Facto)標準:個別企業等の標準が,市場の取捨選択・淘汰(とうた)によって市場で支配的になり業界の標準団体や国際機関の承認の有無にかかわらず,事実上の標準となったもの
こういった標準規格を策定することで,次のようなメリットを得ることができる注2)。
(1)ビジネスの視点:標準化を事業戦略ツールとして利用し,市場の創出/拡大,コストダウン等により,利益の追求を図ること
(2)消費者・顧客の視点:標準化により製品やサービス内容を明確に表示し,消費者・顧客が適切かつ誤解なくそれらを選定できるようにすることで,顧客満足度を向上すること
(3)産業・社会など公的な視点:公正な競争や貿易の壁を排除することによる社会・産業全体の発展を目指し,社会に貢献すること
これを,電子教科書に適用すると,次のようなメリットとして具体的にあげることができる。
(1)ビジネスの視点:電子教科書のファイル形式を統一することにより,編集環境や操作環境を開発する工数を削減し,コストダウンが図れる。また,仕様が国際標準化されれば,これを用いた教育・学習サービスの輸出機会が生まれる。
(2)教員や学習者の視点:操作方法やファイル形式が定まることにより,操作の混乱を防げる。また,どのOSでも閲覧・操作できる教科書であれば,学習者用PCの選択の幅が広がり,結果としてTCO(Total Cost of Ownership)が低減できる。
(3)産業・社会など公的な視点:認証,参照教材,学習記録分析などのさまざまなサービスに対するインターフェースが標準化されることにより,多くの企業の参入機会が拡大し,公正な競争が保たれる。
こういった背景をもとに,現在世界各国で電子教科書の技術仕様を策定し,また標準化する動きがある。これらは,主に次の項目を対象としている。
・内容のデータ形式,メタデータ形式
・交換するデータの形式やプロトコル
・最低限の機能
・多様な学習形態を提供するための機能
これらは,主に電子教科書の技術的な仕様に着目している。一方で,教科書が使われる教育現場の活動が,仕様や標準によって制限されることがあってはならない。このため,次の項目は標準化作業の対象外である。
・学習指導要領,カリキュラム
・学習方法,教授法
・教員独自の授業ノウハウや工夫
・教科書・参考書・辞書・ドリルの出版社
なお一般論として,標準化はメリットだけではなくデメリットもあることが知られている。本稿ではこの議論は割愛させていただく。詳細は金2)の議論などを参照いただきたい。
以降,2章ではさまざまな団体で行われている電子教科書の標準仕様の状況を紹介し,3章ではその中のEDUPUBに焦点を当てる。なお,EDUPUBの基礎となっているEPUB標準規格については,村田3),高瀬4)の紹介を併せて参照いただきたい。
現在,電子教科書のフォーラム標準を策定する活動がいくつかあり,これらを紹介する。なお,現時点では電子教科書のデジュール標準は存在せず,またデファクト標準と呼べるほど市場シェアが高いものも存在しない。
2.1 IEEE Actionable Data BookプロジェクトIEEE(The Institute of Electrical and Electronics Engineers)注3)は,米国に本部を置く電気電子技術者の協会である。このLTSC(Learning Technology Standards Committee)が,2011年からActionable Data Book(ADBook)と呼ぶ仕様を検討中である5)。
ADBookは,理数系教育(STM Education)をもサポートする電子教科書の仕様として議論がスタートし,以下の特徴を目標としている。
・IDPF(International Digital Publishing Forum)注4)が規定したEPUB電子書籍を基本とする。
・Experience API注5)など公開されている既存規格を利用する。
・学習者のアクセシビリティーと学習スタイルなどの学習者特性をサポートする。
・対話的なコンテンツをサポートする。
・操作デバイスと外部サーバー(クラウドベースのLMS,学習記録サーバーなど)との情報交換を可能とする。
・この情報交換にはExperience APIの利用を勧める。
・コンテンツリポジトリ(教材などの蓄積サーバー)からの教材取得を可能とする。
・カメラ,GPSセンサー,実験計測センサーなどの情報を利用し,理数系教育をサポートする。
ADBookプロジェクトは,現在いくつかの報告書を公表しているのみで,仕様書や実装例は公開されていない。2015年に技術フレームワークやユースケースを公開する予定である注6)。
2.2 CEN eTernityプロジェクトCEN(European Committee for Standardization)注7)は,ヨーロッパの標準化団体である。この中で,eTernityプロジェクト注8)が2012年に発足し,電子教科書に関する技術仕様についての調査が進められている。機器の紹介や機能・性能についての調査が多く,具体的な電子教科書の仕様には至っていないが,EPUB3をベースとする勧告が出される予定である。
2.3 IMS ICEプロジェクトIMS GLC(Global Learning Consortium)注9)は,米国を中心とするeラーニングの団体であり,QTI(後述)などのフォーラム標準の策定や教育の情報化の普及啓蒙(けいもう)活動を幅広く行っている。教育の情報化に関する雑誌の発刊や国際会議を主催するEDUCAUSE注10)とも深く連携している。このIMSが,2013年にICE(Interactive & Connected Educational e-Book)プロジェクト注11)を発足させた。情報は会員外には公開されていないが,IMSは現在,後述するEDUPUBプロジェクトに参加しており,それに人員を割いているようである。
2.4 EDUPUBプロジェクトEDUPUBプロジェクトは,IDPF,IMS GLC,W3C(World Wide Web Consortium)注12)の3団体が中心となる,電子教科書の標準規格を策定するプロジェクトである。2013年10月に発足し,以下の会議を行っている。
・2013年10月 ボストン注13)
・2014年2月 ソルトレイク注14)
・2014年6月 オスロ注15)
・2014年9月 東京注16)
具体的な議論・検討は電話会議で毎週行われる。参加はオープンで,希望者には事前に開催通知のメールが届く。
EDUPUBは上記の3団体のほかに,Pearsonなどの出版社も参加し,自社の電子教科書の仕様を公開するなどの貢献を行っている。日本からもベネッセが仕様を提案している。
次章では,このEDUPUBの仕様の範囲や,現在議論されている仕様の概要を紹介する。
EDUPUBが対象としている範囲は,おおむね図1のとおりである。以下,図1の(a)~(i)に示す仕様の概要を紹介する。なお,以下は現時点での範囲や内容であり,今後の議論によって拡大・変更される可能性がある。
電子教科書のフォーラム標準として議論されているEDUPUBは,IDPFが策定したEPUB3を拡張する。このEPUB3は,次の特徴をもつ。
・HTMLがサポートする画像ファイルのほか,SVG形式の画像も表示可能
・CSSによるレイアウト制御が可能
・文字の拡大縮小や行間変更などができ,それに合わせて1行の文字数が自動的に変更されるリフロー表示を許す
・縦書き,禁則処理,ルビなどの言語依存表示に対応
・識字障がい者向けのDAISY仕様を包含
なお,EPUB3は現在IDPFのフォーラム標準であり,ISO/IEC JTC1/SC34においてデジュール標準とするための議論が開始されている。
3.2 電子教科書内容のタグ付け教科書の本文などは,書籍における章節見出し,注釈,目次などの項目のほかに,「学習目標」「演習問題」「ヒント」「解答」「フィードバック」など,教科書特有の記述を含んでいる(図1(a))。これらの記述を機械的に意味付けするため,EDUPUBではEPUB3に加えて新しいタグを規定している。この仕様はEPUB3 EDUPUB Profileと呼ばれ,現在パブリックコメント募集のため公開されている注17)。
3.3 教科書のメタデータ(説明情報)教科書には本文やメディアがあるほか,その属性を説明するメタデータが付属していると便利である。書籍に付与されるメタデータの例としてはDublin Core注18)があり(ISO 15836注19)としてデジュール標準となっている),Title,Creator,Subject,Publisher,Date,Language,Rightsなどの項目を備える。書籍を検索する際,書籍の本文を検索するよりメタデータを検索対象とすることで,より正確に検索が行える。
一方,電子教材に対するメタデータとしては,IEEEがLOM(Learning Object Metadata)規格を1484.12.1-2002注20)として,またIMSがLRM(Learning Resource Meta-data)注21)規格を,LRMI(Learning Resource Metadata Initiative)注22)がLRMI規格を規定している。EDUPUBプロジェクトでは,LRMIが電子教科書のメタデータ策定を担当している(図1(b))。
また,電子教科書のメタデータはアクセシビリティーの項目,たとえば,教科書を使用する学習者にある障がいの種類や程度を含めることが望ましい。これにより,それぞれの障がいに応じた電子教科書を検索する助けとなる。これについても,IDPF,IMS,LRMIの三者で協議が始まっている。
3.4 紙面のレイアウトEPUBは,表示する文字を拡大表示できるリフロー表示を許している。電子教科書をリフロー表示すると,弱視の学習者にとって文字が読みやすくなり,従来の紙媒体の拡大教科書が不要となる場合がある。このメリットがある一方で,リフロー表示が問題となる場合もある。特に日本の初等教育の教科書では,ページ内の文字の段落や画像などが特定位置に置かれるような,固定レイアウトを想定して組版するケースが多い。この電子教科書をリフロー表示すると想定した版組が崩れ,授業で教員がページを指定する際に不具合が起こるなどの問題が生じる。
この問題を解決するため,IDPFではEPUB Multiple-Rendition Publications注23)と呼ぶ規格を策定中である。これは,単一の電子書籍ファイルの中に,リフロー表示する内容と固定レイアウトの内容の両者を備え,スイッチによってリフローと固定の表示を切り替えることができるものである(図1(c))。
3.5 ノートテイク学習の現場では,単に教科書を見るだけでなく,学習者が気づいたことをノートに書くノートテイク作業が頻繁に発生する。この作業をパソコンで行う場合,いくつかの実現方法がある。IDPFでは,W3Cが策定したOpen Annotation Data Model注24)を拡張したOpen Annotation in EPUB注25)を提案している。Open Annotation Data Modelは,Webコンテンツに対して注釈(Annotation)を追加するための規格である。Open Annotation in EPUBはこれを拡張し,EPUB電子書籍の任意の場所に注釈を追加・修正することができる(図1(d))。学習者がノートとして追加した注釈をファイルやデバイスのどこに格納するかは実装の問題であり,上記の規格では特に規定されていない。
3.6 外部の教材やアプリの利用電子教科書をEPUB3で実現した場合,画像などの基本的なメディアは表示できるが,3Dメディアや複雑な対話型メディアは表示できない場合がある。また,EPUB3はJavaScriptを用いた対話型機能の記述を禁止してはいないが,EPUBのバージョン,EPUBビューアー(表示ソフトウェア),OSなどのバリエーションがあり,JavaScriptの動作は必ずしも保証されていない。
このため,3Dメディアなどの先進的なメディアを電子教科書で使用する場合,適切なメディアやアプリケーションを外部から転送し,表示することが望ましい。これを実現するため,IMSはLTI(Learning Tools Interoperability)注26)という規格を策定している(図1(e))。
3.7 クイズ多肢選択式,◯×式,組み合わせ式,穴埋め式など,クイズには多様な形式がある。また,上位のクイズでこの選択肢を選んだ場合,下位のクイズでこちらを表示するなど,複数のクイズ間に因果関係をもたせると効果的な場合もある(図1(f))。
こういったクイズを記述する規格として,IMSはQTI(Question & Test Interoperability)と呼ぶ規格を提案している注27)。QTIはXMLでクイズを記述し,かつ上記のような多様なクイズのバリエーションを記述できるよう,巨大な規格となっており,その解釈や表示に複雑な処理系が必要となる。このためIMSは,現在QTIの次期バージョンとしてaQTIと呼ぶ規格を策定中である。
3.8 学習記録データ電子教科書を表示・操作するデバイスでは,さまざまな学習活動の記録データが取得可能である。学習活動の記録はLMSの教材をWebブラウザーで閲覧する際にも,教材のアクセスやクイズ,課題の解答を取得していた。こういった情報に加え,タブレットPCやノートPC上で教科書を表示・閲覧する際,ページめくりや移動の情報は容易に取得できる。また,タブレットPCがもつ多様なセンサーを用いると,上記以外のさまざまな情報も取得できる。これらの学習記録データは,LRS(Learning Record Store)と呼ぶサーバーに蓄積され,時系列や相関などが分析される。こういった活動全般をLearning Analytics(LA),あるいは教育ビッグデータ分析と呼んでいる(図1(g))。
LAを実施するフレームワークとして,IMSはCaliper Analytics Framework注28)を提唱している。LAを行うための構成要素,ステークホルダー(利害関係者),データの流れなどを示すフレームワークがあり,また具体的に取得すべきデータ項目の例をあげている。
この一方で,IDPFでEDUPUB Structural Semantics Vocabulary for Learning Analyticsと呼ぶデータ項目の仕様策定作業が進んでいる。これは筆者が取りまとめを担当しており,今後IMS Caliperと整合性を取るため,調整の電話会議が開催される予定である。
3.9 教師用指導書学習者が用いる教科書のほかに,各国の教科書会社は教師用の冊子を作成・配布している。日本の検定教科書では,教師用指導書として研究編と朱書編が発行されている。これらをEDUPUBコミュニティーではTeachers' GuidebookとTeachers' Editionと呼んで区別している。
このうち,特にTeachers' Editionは学習者用の教科書との重複記述が多く,また学習目標,追加問題,評価基準など,Teachers' Edition特有の項目がある(図1(h))。このため,これらの項目を意味的に区別するためのタグを,3.2のタグとは別に規定する必要がある。
このタグは,現在筆者がIDPFに対して予備的な仕様を提案しており,今後議論が始まると予想される。
3.10 参考書等との相互参照教科書は,それのみで学習活動の場で使われることは少なく,参考書や辞書などの教材と相互参照されて使われる場合が多い(図1(i))。電子教科書を用いる場合,同様の相互参照が必要となるが,これをどのように実現するかはまだEDUPUBでは議論されていない。一案としては,参考書や辞書を教科書と異なるアプリ上で閲覧できるようにし,IMS LTI規格を用いて相互参照する,という実現方法がある。その一方で,参考書や辞書も電子書籍としてビューアー上に表示し,切り替え,あるいはオーバーラップさせて表示させるという方法もある。ただし,後者での相互参照の方法はまだ議論されておらず,今後の議論を待つ必要がある。
本稿では,電子教科書を標準規格の観点から述べた。3章で述べたEDUPUBの多くの部分は,現在議論が進行している段階であり,今後変更される可能性がある。しかし,これほど多くの機能について,実現可能性を踏まえた形で議論されている規格はほかにない。
日本でも,文部科学省がEPUB3,総務省がHTML5をベースとした電子教科書の仕様を議論している段階である。この議論や,今後公開される仕様が,電子教科書のグローバルなフォーラム標準であるEDUPUBと可能なかぎり整合させ,1章で述べた規格標準化のメリットを享受できるよう,筆者としても努力していきたい。