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知的財産と知的財産制度
石井 康之
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2015 年 58 巻 4 号 p. 301-305

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知的財産という言葉

2002年に制定された知的財産基本法によって,はじめて知的財産という言葉が法律に基づいて定義された。知的財産とは,特許法,意匠法,商標法,著作権法などの知的財産制度で保護の対象とされる客体(きゃくたい)はもとより,営業秘密など不正競争防止法の保護客体のほか,その他の事業活動に有用な技術上または営業上の情報を指すとされている。最後の「その他の……情報」というくだりからは,知的財産は知的財産制度の枠を取り除いた,より広い客体を対象にしていると考えられる。

というのも,経済産業省のWebサイトに示された解説によれば,知的財産制度とは特許,実用新案,意匠,商標といった産業財産権4法,著作権法,半導体チップ法,種苗法,不正競争防止法等,知的財産を保護する働きをするものとされている注1)

つまり知的財産とは,制度とは一線を画す,あくまでも客体であり,具体的には発明や考案といった技術的創作,信用力が宿された標章,著作物のほか,営業秘密にも該当せず知的財産制度による保護対象に該当しない技術ノウハウ,事業アイデアなども含む。それらは,企業に付加価値や収益力をもたらす源泉としての資産を意味し,いわば知的資産と表現するのが妥当かもしれない。そして知的財産制度というのは,少しラフな書き方かもしれないが,知的資産の創造促進や信用維持を意図して,知的資産の保有者に一定の排他権を付与する仕組みと考えることができよう。端的には,知的財産は客体としての資産であり,知的財産制度とは排他権をもたらす仕組みであり,両者には根本的な違いがある。

知的財産と競争力

知的財産は,企業など組織体の競争力確保にとって重要であるとよく述べられる。この場合に意図される知的財産には,いくつかの意味合いが考えられる。まず,知的財産制度による保護の有無を問わず,知的財産それ自体が(1)収益創出力をもつ資産を意味する場合,知的財産制度によってもたらされる(2)排他権自体を意味する場合,さらには知的財産制度によって保護され(3)排他権をもった収益創出資産を意味する場合,がある。そのいずれが意図されているかは必ずしも明確ではない。その時々の局面によってこれら3つのいずれかが,適宜使い分けられているのではないだろうか。

肝心なことは,企業の競争力とつなげて考えるときに,本質的にそのいずれが重要なのか,ということである。特に,(1)と,(2)および(3)とは,排他権の有無を問うか否かで根本的な違いがある。また,(3)は(1)と(2)が合体したもので,逆にいえば(3)は(1)と(2)に分解でき,その場合,分解した(1)と(2)のどちらがより重要なのかということになる。通常は,(2)あるいは(3)といった知的財産制度に裏打ちされた排他権を有する知的財産でないかぎり,さして意味をなさないとも考えられる。しかし,本当にそうなのであろうか。逆に,(2)や(3)の排他権があれば,知的財産は企業に確実に競争力をもたらすことを約束するのだろうか。しかし,もし知的財産が排他権の有無にかかわりなく,競争力の源泉として機能するのであれば,知的財産制度の意義があらためて問い直されることにもなる。

かつて,米国では競争力の低下した電気製品,自動車,鉄鋼など先端科学技術分野を抱える産業の復活を目指して,1980年代にグローバルな知的財産の保護強化政策が採られてきた1)。そしてここ十数年の間,わが国でも知的財産の創造と活用だけではなく,その保護の整備を含めた知的創造サイクルを確立し,知的財産立国を目指すことで国際競争力の強化が意図されてきた2)。わが国の取り組みも,少なからず米国の知的財産政策の影響を受けていたと考えられる。こと知的財産制度の整備に焦点を当てれば,基本的に排他権の確保が競争力確保に不可欠という暗黙の前提が存在してきたといえるだろう。

企業にとっての競争力の条件

特許制度は,今日の企業にとってさまざまな意義を有する。たとえば,多額の資金を投入して開発した発明に対して排他的権利を付与することで,それを有しない他社を市場から排除したり,他社より優れた製品の提供を可能にしたりすることで,優位な立場を保証する。新薬の薬効成分を物質特許として確保し,他社を排除することで多大の収益を上げている医薬品産業の実態はその典型例といえよう。

さらに特許発明は,それを他社に実施許諾することでライセンス・ロイヤルティーという収益をもたらす。それは,ほとんどコストを伴わない収益であり利益貢献の度合いが高い。中国や韓国での独占禁止法抵触問題で揺れてはいるが,2014年度に78億6,000ドル(約8,600億円)と,総売上高の約30%をライセンシング収益であげているクアルコム社はその典型的な例としてあげられよう3)

また万が一,他社の特許権を侵害したとしても,自社が豊富な特許資産を有していれば,一方的に侵害者として責められるだけでなく,他社も自社の特許を侵害しているとして,対等の立場で特許ライセンスの交渉を展開できる。そして,互いに有する特許権を相互に許諾し合い,クロスライセンスに持ち込むことができる。2012年にグーグル社がモトローラ・モビリティを買収した目的は,他社の特許攻勢に対抗するための特許資産の蓄積が目的であったといわれており4),こうしたクロスライセンスの道の確保も意図されていたと推測される。こうしたクロスライセンスは,電機,機械,自動車等,1つの製品に数多くの特許権が含まれた産業においては,頻繁に行われている。

このように,特許制度は排他権を付与することで,競争力確保など事業展開にとって重要な役割を果たしている。しかしそれを現実にするには,特許権等の知的財産のポートフォリオにおいて,他社に対し「比較優位」の確保が前提となる。つまり,他社よりも優れた特許ポートフォリオを有することではじめて企業の事業活動は力強さを増す。そのことは,特許をはじめとした知的財産制度は,各企業をおしなべて利するものではないことを意味する。

知的財産制度と経済発展

経済の発展は,多数の国内企業が相そろってバランスよく発展するときに成し遂げられるものであろう。しかし,比較優位の前提の下では必ずしもそうした経済の発展は保証されない。近年,国の産業競争力という言葉が,知的財産立国を目指した政策論との関連で述べられることが多い。しかし,「比較優位」という視点から考えるとき,こうした国全体の競争力を知的財産制度がもたらしてくれる保証はない。今日,知的財産制度は自国の企業だけではなく,他国の企業にも同等の保護を約束しているからである。

知的財産制度が排他権の付与を通して,実際に国全体の経済の発展を担保してきたかの判断はほとんど不可能だと思われる。しかし,知的財産の保護強化が国の経済発展に寄与したかどうかについては,ある程度の検証を試みることができる。

以下での分析は山田・石井(2006)によるが5),ここではRomer(1990)などによって提唱された「内生的経済成長」モデルに従い6),成長回帰分析の説明変数に,Ginarte and Park(1997)によって開発された知的財産保護指数(IPI)を加え7),それが各国の経済成長率を有意に説明しているかを検証した。

具体的には,世界76か国について,TRIPs協定が締結される前後の1970~2000年を10年ごとに3期間に区分し,サンプル数を228として分析を行った。各国・各期間の人口1人当たり実質GDPの平均成長率を被説明変数とし,(a)各国の各期間における初期時点(つまり1970年,80年,90年時点)の人口1人当たり実質GDP(INTGDP),(b)同総固定資本形成の名目GDPに対する比率の平均,(c)同消費者物価指数の平均増減率,(d)同平均余命,(e)同じく教育水準の量と質を表すデータでコントロールし,それに(f)IPIと,(g)IPIとINTGDPとの交差項を加えて回帰を行った。

分析の結果,(f)と(g)のいずれの係数も頑健に有意な結果を示すとともに,その結果からINTGDPが8,000~1万ドルあたりを境界として,この水準以下の途上国では知的財産の保護強化は経済成長を低下させ,これ以上の先進国では経済成長率を高めていることが確認された。

さらに,この境界域以上の先進国を抽出して(f)IPIと,(h)IPIの二乗項を付加して分析した結果,知的財産の保護は強ければ強いほど成長促進的であるというよりも,ある程度の適度な保護水準にあることがもっとも成長促進的という,非線形の関係にある可能性が示唆された。

このように,知的財産の保護水準が経済成長に及ぼす影響は,その国の経済発展度によって異なると同時に,たとえ先進的な国であっても単純に排他権を強化することで経済発展が実現されるわけではない可能性が垣間見える。

技術と特許の経済効果

知的財産と知的財産制度によってもたらされる排他権それぞれの経済的効果を,実証的に測定した研究は見当たらない。次に,知的財産基本法が意図する知的財産全体と,排他権を意図した知的財産だけの経済効果との比較を試みる。

具体的には,技術資産全体と特許出願技術だけを取り出して比較する。技術資産全体の場合は,特許発明,出願中の発明,技術ノウハウ,研究者のスキルなど,さまざまな形態の技術が含まれる。

ここでは,医薬,化学,機械,電気,自動車,精密の6つの製造産業から,規模の大きい企業をそれぞれ10社程度,計62社の262万731件の特許出願を抽出して分析を行う。各企業の付加価値創出に,技術や特許出願された発明がどれだけのインパクトをもって貢献していたかを確認する。1990年から2011年までの付加価値に対する,技術資産(研究開発費により算出した「研究開発ストック」)と特許出願された発明(「特許出願ストック」)の弾力性を求めた注2)。各企業の特許データは,1985年から2008年までの出願を用い,各特許出願が有する属性情報をもとに算出した特許出願の価値を変数に用いた。

付加価値を被説明変数とし,各企業の期末稼働有形固定資産(資本投入量),期末従業員数(労働投入量)といった伝統的な生産要素をコントロール変数とし,研究開発ストックや特許出願ストックがどれだけの説明力(弾力性)をもつかを確認した。

分析結果は,(A)資本=0.21,労働=0.53,研究開発ストック=0.26と,(B)資本=0.24,労働=0.67,特許出願ストック=0.096となった。たとえば,(A)の場合でみれば,研究開発ストックが1%増加したとき,付加価値は0.26%増加することになる。それぞれ,3つの変数の弾力性は合計で1になるように制約条件を付けておいたため,それらは寄与度を示すことにもなる。

一部企業のデータによる試行的分析ではあるが,特許出願ストックの弾力性0.096は,技術資産を示す研究開発ストックの0.26の3分の1ほどにすぎない。これは,特許出願された発明の効果が,研究開発成果全体の中でも,概して小さいことを示している。

研究開発成果は多様であり,特許出願される発明はその一部分にすぎないことが分析結果からも理解できる。さらに今回分析に含めた特許出願には,登録特許だけではなく,出願中の発明や登録に至らなかった発明も含まれる。つまり,登録によって得られる排他権(前述した(2))という法律上の効果自体は,特許出願ストックの一部である登録特許(同(3))の,さらに一部分((3)を分解した際の(2))を構成するにすぎない8)

まとめ

かつて1980年代の米国の知的財産保護強化政策は,米国産業の競争力回復に寄与し,1990年代の好調な経済の発展につながったと考えられている9)。しかし,統計データを緻密に分析すれば,それが単なる根拠なき憶測にすぎず,米国が当初に意図した産業の競争力回復や研究開発活動,特許取得活動を促したものではなかったことが確認できる10)11)

知的財産制度は,知的創作や信用力の維持に対するインセンティブ確保のための制度としては非常に重要である。しかし反面,知的財産をいかに競争力確保の資源として活かすかという課題においては,単に知的財産制度を変更したり,運用することで足りると考えるのは危険かもしれない。

知的財産立国への取り組みが意図する,知的財産の創造と活用という側面だけに限ったとしても,それは今日の企業活動における経営の本質そのものであり,とてつもなく広遠な試みであり,生半可な取り組みではとても実現できるものではないことをあらためて確認しておくことが求められよう。

執筆者略歴

  • 石井 康之(いしい やすゆき)

1974年一橋大学経済学部卒業。2005年専修大学経済学研究科(計量経済修士)修了。2012年東北大学工学研究科博士後期課程修了(工学博士)。1974年東京海上火災保険株式会社入社,営業企画等の業務を担当の後,財団法人知的財産研究所,(株)東京海上研究所に出向し主席研究員などを歴任。2002年株式会社ミレアホールディングス・マネージャーとして,東京海上他グループ各社の知的財産管理を統括。2005年東京理科大学大学院MIP教授,現在に至る。著書に『アーリーステージ知財の価値評価と価格設定』(監訳,中央経済社),『知的財産の経済・経営分析入門』(白桃書房)など。

本文の注
注1)  経済産業省. “知的財産制度とは”. http://www.meti.go.jp/policy/ipr/overview/ipr_system.html, (accessed 2015-3-15)。秘密として管理された営業秘密は,不正競争防止法によって保護の対象とされている。しかし秘密保持がされていない技術ノウハウや顧客リスト,さらにはビジネス・ノウハウなどといった「事業活動に有用な技術上または営業上の情報」を直接的に保護する知的財産制度は存在しない。

注2)  弾力性とは,被説明変数(付加価値)に対する説明変数(研究開発ストックや特許出願ストック)の及ぼす影響のインパクトの強さを示す。たとえば,説明変数である研究開発ストックが1%増加したときに,被説明変数である付加価値が何パーセント増加するかを示す。

参考文献
  • 1)  President's Commission on Industrial Competitiveness. Global Competition The New Reality. 2005.
  • 2)  知的財産戦略会議. 知的財産戦略大綱. 2002.
  • 3)  Qualcomm, inc. "Qualcomm announces fourth quarter and fiscal 2014 results : record fiscal year results-". http://www.prnewswire.com/news-releases/qualcomm-announces-fourth-quarter-and-fiscal-2014-results-281666711.html, (accessed 2015-03-15).
  • 4)  平松波央, 三国大洋. “グーグルのモトローラ買収:「特許取得によるAndroid防衛が最大の理由」との見方について”. WirelessWire News. 2011-08-16, http://wirelesswire.jp/Watching_World/201108161253.html, (accessed-2015-03-13).
  • 5)   山田 節夫,  石井 康之. 知的財産権の保護と経済成長. 知財プリズム. 2006, vol. 4, no. 44, p. 18-34.
  • 6)   Romer,  P. M. Endogenous growth and technical change. Journal of Political Economy. 1990, vol. 99, p. 807-827.
  • 7)   Ginarte,  J. C.;  Park,  W. G. Determinants of patent rights: a cross-national study. Research Policy. 1997, vol. 26, p. 283-301.
  • 8)   石井 康之. 特許データは研究開発成果の代理変数として機能するか. 日本経営システム学会誌. 2014, vol. 30, no. 3, p. 229-236.
  • 9)  米国大統領経済諮問委員会.  平井 規之監訳. 2001年米国経済白書. 毎日新聞社, 2001, p. 350.
  • 10)   石井 康之. 1990年代アメリカ経済と政策目標:知的財産権政策の経済的背景(前編). 知財研フォーラム. 2002, vol. 48, p. 2-21.
  • 11)   石井 康之. 1990年代アメリカ経済と政策目標:知的財産権政策の経済的背景(後編). 知財研フォーラム. 2002, vol. 49, p. 20-35.
 
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