抄録
石原憲治は本日本都市計画学会第五代会長を務めた都市計画学者で、農民建築研究のパイオニアでもあったが、同時に我国で 1920年代に開始された都市美運動の立役者でもあった。石原は主に都市美協会の常務理事として、 1925年の都市美研究会設立から 1981年の社団法人都市美協会の解散まで、都市美協会の運営の中枢を担い続けた。石原の都市美論の要諦は、都市美を視覚的な美に限定せず、生活環境の改善問題として幅広く捉える広義性、また、都市美を過去の労作の蓄積として捉える歴史性にあった。そして、「総合美」、「企画性」、あるいは「住み心地良き健康な都市」といった諸点を通して、都市計画との密接な関係を主張し続けたのである。