都市計画論文集
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歴史都市アレッポにおけるオスマニザシオンの系譜
フランス都市計画の海外展開の一事例
松原 康介
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ジャーナル オープンアクセス

2009 年 44.3 巻 p. 889-894

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抄録

シリアのアレッポは、世界各地との交易を背景として多様性豊かな商業都市として発展した。20世紀に入ると高度な資本主義の発展の下で歴史的市街地に開発圧力が集中したが、その時の都市計画の理念と実態はいまだ明確ではない。そこで本研究では、仏委任統治領時代に始まるフランス都市計画のアレッポにおける変遷を考察し、近代都市計画の導入に伴う都市空間の変容を明らかにする。旧市街における道路計画はダンジェによる最初の都市計画に既に現れていた。エコシャールは古代遺跡局出身者の立場から歴史的建築の修復計画をこれに加える一方、道路計画に変更は加えなかった。独立後、ギュトンの計画はこれまでの道路計画を更に発展させ、具体的な街路線計画を残した。この計画が旧市街の破壊につながったと言われるが、ギュトンは計画の背景にアレッポ市側の要請があったことを示唆している。その後に都市計画を担当した番匠谷尭二は、旧市街に道路を貫通させない方針を明確に示し、ギュトン計画にあった道路の多くを削除した。それでもダンジェ以来の道路計画のいくつかが方針に反する形で採用されており、そこには商業都市アレッポの開発圧力があったものと考えられる。

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© 2009 公益社団法人 日本都市計画学会
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