本稿は、明治9年11月、東京医学校の本郷移転を東京大学本郷キャンパス成立の画期と捉え、その移転背景を明らかにすることから、今日の東京大学本郷キャンパスを新たな視点で捉え直すとともに、近代大学キャンパス史の一端を補うことを目的とした論考である。東京医学校本郷移転の背景を、上野計画、本郷計画別に、太政類典や公文録などの文献調査により再考した結果、(1)東京医学校が本郷文部省用地に移転するに至った一連の流れと、(2)東京医学校建設当初より、キャンパスの必要機能の一つである運動空間等を他学と共有する形で存在させようとする意図があったことが明らかになった。よって、本稿は、結果的に我が国最初の総合大学の嚆矢となる本郷元加賀藩邸は、文部省自らが見出し獲得し、紆余曲折を経ながらも近代高等教育環境整備の重要性を認識しつつ、またそれを成立させようとした萌芽が存在したことを明らかにした。