土木史研究
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秋田藩における近世期史料からみた水利・治水技術と水環境論
秋田藩「川口町丁代文書」にみる普請対応を中心として
堀野 一男
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1992 年 12 巻 p. 281-288

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抄録

その時代の河川のあり方を決定するのは、その時代の経済社会であり、それを主体的に担う地域住民のはずである。ところが、河川に投げかけられる諸力の実態は、そこに住む地域住民だけの意志決定に任せられることはない。そこには国家的な政策としての強い要請も含まれ、それに経済的な要因、歴史的な要因も複雑に絡み合ってくるのである。
本稿でとりあげた『川口町丁代文書』は町代の湊屋喜三郎が書き留めたもので、本人自身享保 (1716-35)、元文 (1736-40)、寛保 (1741-43)、延享 (1744-47)、寛延 (1748-50)、宝暦 (1751-63) まで、五度にわたり丁代役を勤めた。この文書は元禄年中、元文年中、宝暦年中の3冊を、享保年中よりの町内日用帳の28冊の内から書き写し綴ったものだとされ、洪水による河岸の決壊やそれに伴う普請の対応について記されている。川口町は、久保田城下南西部、雄物川の支川である太平川、旭川が雄物川と合流する丁度そこの地点に隣接するかたちでひらけた町であり、地理的には洪水災害に頻繁に見舞われたであろうと推察される。文書には水害をはじめ、川欠に関する記述が数多く見受けられる。
本研究では、「川口町丁代文書」に示された河川への対応、水利・治水技術の評価と、その地域、時代の主流な河川環境観について取り上げ、その理念に触れながら、今後の総合的な治水・利水のあり方、問題点について探ってみた。

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