抄録
富山県の中央を貫流する常願寺川は急流荒廃河川として知られ、過去に幾多の氾濫を繰り返し、流域の住民は銀難辛苦を味わった。特に1858 (安政5) 年の地震では水源地帯で約4億万m3に及ぶ土砂が崩壊し、現在もなお約半分の土砂が山間に留まっていると言われている。このため一旦大雨ともなると土砂は土石流となって下流域に流失することから、川床は年々上昇して天井川を形成している。
1891 (明治24) 年の水害による復旧工事では、内務省雇外人デレーケの献策によって大規模な改修工事が実施されたことは良く知られているが、この工事内容は諸文献に簡単な記述が散見する程度で、詳細な設計・工事経緯などは不明であった。
本文では昨年筆者が発見した当時の富山県技術者で、この工事の最高責任者でもある高田雪太郎が残した数多くの記録をもとに工事の内容を紹介するものである。