抄録
江戸城下の町人地の居住密度はその生成過程に起因し極めて高密度であった。
本論は、この稠密居住を可能とした城下の仕組み、空間構造や管理運営など都市整備の様々なツールを明らかにするものである。本稿から得られた知見は、(1) 町の基本単位を画す道路や堀川など公儀地の整備水準の高さとその運営システムに依拠していたこと、(2) 城下内部の濠や運河、広小路や火除け地及び縁辺部に配置された社寺仏閣の他、郊外の遊山行楽施設など広域的な都市オープンスペースが稠密居住による町人の閉塞感を解放・緩和したこと、(3) 市政の管理機橋や様々な町触れによる諸活動への規制・誘導が住まい方の規範を定着させ、町入の主体的な相互扶助の精神を植付け、町人地の更新と秩序維持に貢献したこと等々であり、今後の既成市街地整備への計画指針を読み取ることができる。